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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

東京「君が代」第3次訴訟第2回最高裁要請原告要請書(3/3)

2016年06月06日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★ 第3回最高裁要請6月29日(水)14:00~14:30(15分前最高裁西門集合)
最高裁第三小法廷 裁判官 殿
◎ 要 請 書
2016年5月26日
上告人 T

 私は1975年から2010年まで38年間、6校の都立高校定時制で給食栄養士として勤務しました。
 学校栄養職員は一人職種です。この仕事に就いた時「給食がある間は休めない」と感じました。実際38年間、給食がある時はほとんど休暇を取りませんでした。
 出張や、やむ終えない私用の時は、なるべく給食時間までには職場に戻るようにしました。給食時間に食堂で、生徒一人一人に声をかける事が私の第一の仕事と思っています。今も交流がある卒業生は、会うと「てっしーのおかげでピーマンが食べられるようになったよ」などと言ってくれます。
 私は都立A高校における2007年度の入学式で「職務命令」に反して「国歌」斉唱時に起立しませんでした
 私は教諭ではありませんが、給食を通じて様々な生徒と交流してきました。その生徒達の入学・卒業を祝ってあげたい気持ちで式典には出来る限り欠かさず出席していました。
 ある学校で、それまで通称名を名乗っていた女子生徒が、担任によると「民族意識に目覚めた」と卒業式に鮮やかな民族衣装を身に着けて出席し、本名を呼ばれると「はい!」と澄んだ声で答え、証書を受け取り私たちの方に広げて見せました、その誇らしげな笑顔は今でも目に浮かびます。そうした思い出は様々あります。
 私たち給食に携わる職員が仕事の都合で遅れての途中入場や、途中退席も咎められることはありませんでした。式の形式も舞台を使用しない対面方式や、生徒のアイデアで卒業生答辞が複数によるリレー方式、また意見表明の場であったりと、自由で一つ一つが印象に残る忘れられない式でした。
 しかしそれはいずれも2003年の「10・23通達」以前の話です。「通達」以降はそのような意見表明できる場は失われました。
 これは私の思い出話を語っているのではありません。病気・貧困・など厳しい試練を経て、多くが卒業後社会に出る定時制高校生が自分らしく生きてゆくカとなる節目であり、各校の積み重ねの財産であった大切な場が、失われた事を意味していると考えます。
 私は小学生の頃、教師から「日本にはすばらしい憲法がある絶対に戦争はしない、宗教や物の考え方で差別されることは無いし、罰せられる事も無い」と教えられ、中学・高校では「憲法はすべての法律の上にあり、国はそれを守る義務がある」教えられ、一途にそれを信じて来ました。
 「通達」以降は式典の前に予め校長から教職員全員に「職務命令」が出され、出席する(出来る)人は座る場所を決められ、仕事の都合でも途中入場や途中退場も出来にくくなり、栄養士は給食がある日は出席が難しくなりました。
 2007年度の都立A高校定時制の入学式は給食がありませんでした、私は「職務命令」を受けて式典に参加する事になりました。
 私は常々、教育の場で「国旗」「国歌」を強制してはならないと思っていました、さらに上記のような様々な生徒にとって、自由で心が苦しくならない学校であってほしい、その入り口である入学式、門出である卒業式は生徒の気持ちを第一にした式であってほしいと考えました。その思いから私は「国歌」斉唱時に起立する事が出来ませんでした。
 「職務命令違反」をした後、都庁に呼びつけられての事情聴取、水道橋の職員研修センターでの研修、さらに校内研修が強要されました。
 都庁まで往復2時間、研修センターは往復1時間かかります。上記のように私は日常給食時間に合わせて行動していましたが、仕事への配慮は一切ありませんでした。教師に例えれば授業時間を奪われたに等しい処置です。そして私は「戒告処分」を受けました。
 「職務命令違反」をしたA高校ではそれ以後の式典に出席できなくなりました。翌2008年度の入学式を前に出された「職務命令」は、救護要員として「保健室待機」でした。その年に配属された図書館司書も同様の「命令」で養護教諭は、式典出席の「命令」と極めて不自然な割り振りでした。
 また「職務命令違反」をした直後、企画室長から職員全員の前で「どうしてそんなことをしたのか」と聞かれました。そうしたことから一部の教職員は私を「少し問題のある人?」と見るようになりました。
 次の異動先のB高校で、私が式典への出席を申し出たところ、別室に呼ばれ企画室長立ち合いのもと、副校長2名から「あなたは前任校で『職務命令違反』をしましたね」「あなたの気持ちが変わらない限り式に出すことはないでしょう」と言われ、後日改めて校長から「式に出せない」と言われました。
 純粋に生徒の門出を祝いたい気持ちがあっても「通達」の壁に阻まれ、その後も式典に参列できないまま私は退職を迎えました。
 「日の丸」「君が代」を巡る一連の裁判で、最高裁判所において「戒告」処分の取り消し判決はまだ出されていません。「戒告」は決して軽い処分ではないと私は考えています。
 自分の仕事に誇りを持ち、一度の「職務命令違反」以外は何一つ咎められることはなく、学校栄養職員として仕事に取り組んできた者にとって、このうえもなく理不尽な罰でありこのままでは一生消えない汚点です。
 私たちの訴えは要約すれば、どれも同じように聞こえるかも知れませんがどうか一人一人の声に耳を傾けてください。一つとして同じ主張はありません。一定の政治的信条で動いているのではありません。私は学校の中に、生徒のために憲法の精神が隅々まで行き渡ることを願っているだけなのです。
 裁判所におかれましは賢明なる判断を下していただけるようお願いいたします。

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