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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

板橋高校藤田裁判第9回公判(12/1)速報その2

2005年12月03日 | 板橋高校卒業式
2,弁護側証人(1):K先生(英語、当時生徒部、当日警備係、現在再雇用)

(1)弁護側主尋問〔猿田佐世、田場弁護人〕

 以前は、校務分掌委員会、予算委員会などがあり、校内人事や予算などすべて職員会議を中心に運営していた。最近は職員会議は、都教委の下請け機関に堕してしまっている。
 99年の「国旗国歌法」制定以前は、都立高では卒業式に「日の丸・君が代」はほとんど無かった。板橋では2000年3月の卒業式で、初めて「君が代」のCDが流されたが、開式前だったので実施したとみなされず、校長は都教委に呼ばれて叱責された。それは「それでも校長か」とか「実施できなければ校長止めろ」といった人格攻撃を含むものだったという。
 そのため翌年の卒業式では開式後にCDを流したが、ほとんどの生徒は座ったままだった。
 02年3月もほぼ同じ。03年3月は、自分が担任の学年だった。生徒も着席したままで、教員でも2人を除いて全員着席していた。他校での経験で、ぬいぐるみを着てきたり、クラッカーを鳴らしたり、司会からマイクを借りて感謝のメッセージを話す生徒がいたり、都立高の卒業式は自由な雰囲気があった。
 03年4月に着任した北爪校長は信望がなかった。理由は、全校集会で脈絡のない話をダラダラして生徒が騒いでいても注意できなかったり、喫煙の特別指導で前例のないやり方をして混乱を招いたり、色々。「私の方針に従えない者は出て行って欲しい」が口癖だった。
 04年3月の卒業式の前、教員の椅子の向きについてだけでも、1時間も議論した。主役である卒業生の方を向かずに、日の丸に敬意を表するなどおかしい。が、教員に選択肢はない。都教委の通達通りにしないと校長が処分される、と強行された。嘱託予定の者は、起立しなければ採用されないとも聞いた。生活権も奪う、まるで戦前の教育の様だ。
 土屋都議が来賓として来ることを聞いたのは3/3の職員会議。前年北野高校で「立ちなさい」と大声を上げたと聞いていたので、政治的に利用されるのではないかと不安に思った。
 TBSの取材が入る件は3/9の職員会議で聞いた。生徒の肖像権、事前に生徒から了解を得る時間がない、カメラの前ではしゃぐ恐れ、などから反対が強かった。3/10にカメラと生徒を接触させないため、一旦自転車置き場を待機場所にする案が出た。3/11当日の朝に、校長が「生徒の後ろ姿だけでも写すのを許可したい」と蒸し返したが担任団を中心に強い反対。生徒会室前を第一待機場所とする二段構えに決まる。「多少遅れても、プライバシーを最優先する」が、全体の合意事項だった。
 体育館は小振りなので、普通の声なら聞こえる。
 式終了後の声は、保護者も教職員も「とてもよい卒業式だった」。古くからの先生は「一番よかった」と感想をもらした。
 3/19から経営アドバイザーが常駐。監視されている感じ。職員会議で校長が「被害届」を出すと報告したのに対して、教員から強い反対意見が続出し30分以上ももめる。賛成意見は一つもなかった。「板橋高校の名前で被害届を出すなら私たちの意見を尊重せよ」に対して校長は「私が板橋高校だ」と開き直った。
 署名を集めた時、都教委にどう利用されるか分からない、仕事を辞めてからでなければできないと言った人がいた。処分を受けていない人も過敏になっている。教育がどうなるのか、強い危機感を覚える。

(2)検察側反対尋問〔阪井・石嶋・九岡賢治〕
Q:校長が「遅れても構わない」と言ったのか。
A:「遅れるのも止む終えない」というニュアンス。担任団が不安を強く訴えた。皆、10時に始めることよりも、生徒のプライバシーを気にしていた。
Q:あなたは翌年以降、卒業式に参列してますか。
A:嘱託になってからは出ていない。過去の勤務校へ行ったこともない。
Q:授業の始まりの時間は大切にしているのでしょう。
A:職員室から教室まで1~2分のタイムラグがあるのは日常。生徒会主催の行事などでは、彼らの達成感を優先することもある。

(3)左陪審〔杉山正明裁判官〕から
Q:第一待機場所から第二待機場所へ移動するタイミングは?
A:連絡係を一人増やして、合図で移動することに決めた。
Q:校長証言では、第一待機場所からは時間で、第二待機場所からは合図で、と言っていた。
A:両方とも時間ではなく、合図で決めていたと思う。

3,弁護側証人(2):W先生(社会、当時生徒部、当日警備係、現在再雇用)

(1)弁護側主尋問〔加藤文也弁護人〕
 前任の北野高校では、生徒会が君が代を強制しないで欲しいとの決議を上げ、校長と話し合いを持ち、強制を回避したことがあった。
 北野高校や多くの都立高校で、式次第に「内心の自由があります」「ご自分の判断で対処してください」などの文言が印刷されていた。(数校の式次第を証拠として提出)
 板橋高校の問題の前の年の卒業式では、CDは流れたが、生徒も教師もほとんど立たなかった。
 土屋都議が来賓としてくることについて、前年北野高校で「立つべきだ」と怒鳴り声をあげ、ビックリした生徒たちが立ってしまったことがあるので、来てもらいたくなかった。
 TBSが来ることは、プライバシーがあるので、出来れば断って欲しかった。
 開式時間は、特に気にしたことがないし、これまでの経験で、遅れは「いつも」ではないが、「珍しいこと」でもなかった。
 問題の翌年2005年3月の板橋の卒業式も、一人の先生の着席が遅れて5分くらい遅れている。
 当日、警備係で正門前にいると、自家用車が来た。「どなたですか」と聞いたら、ムッとして「土屋だよ」と言った。玄関前でのやりとり、「君、日の丸はどこにあるのかね」「屋上です」「玄関でなきゃ駄目なんだよ」。TBS吉岡キャスターのインタビュー、「なぜ板橋高へ?」「君が代を歌わせるべきだ。そのために来た。」
 インタビューの10分後くらい、4~5人が正門からドドッとなだれ込んできた。後で指導主事と知った。それから10分後、藤田氏が「追い出されたよ」と、通る。9:50~10:00の間くらい。
 式終了後、保護者が通る。なごやかで「無事終わったな」と思う。土屋都議のインタビュー、「式は良かった。大多数が立たなかったのはけしからん。誰か仕組んだ者がいる。」不起立を問題視しているので、今後の事態にやや不安を抱いた。
 3/16の都議会質疑は、インターネットで見ていた。生徒は適切な資料さえ与えれば自分で判断できるのに、教師の指導力不足を持ち出すのは何と乱暴な、と聞いていた。横山教育長の「校長に制止にも関わらず」は、完全な事実誤認と聞いた。
 その後の板橋は、ほとんど戒厳令下の学校。学校経営アドバイザーが常駐し、年がら年中監視されている。
 12月の起訴を聞いて、藤田氏が言ったことは、前年までは学校として言っていたこととほぼ同じ趣旨なのにおかしいと思った。大変な世の中が来た。このままでは憲法第19条、憲法第21条は死ぬと思いました。

(2)検察側反対尋問〔阪井・石嶋・九岡賢治〕
Q:卒業式の開式の遅れは良くあることなのか。
A:不思議なことではない。
Q:校長は「遅れても構わない」と言ったのか。
A:そのような言い方はしていない。皆が遅れるのは必至と考えていた。
Q:開式が遅れる可能性を、事前に卒業生や保護者に説明していたか。
A:元々気にしていないから、説明もない。
Q:来賓がウロウロ教室を回るのはまずいのではないか。
A:元々指導した生徒と話すのは当たり前。
Q:不起立について話すのは差し支えないか。
A:個人の意見を話すのは差し支えない。
Q:3/9付けの実施要領は、変更になったのか。
A:字句を変更したことはない。

最後に、検察側が、弁護側証人二人の「陳述書」の証拠採用について、「同意」を申し出て終わった。

次回は、1月18日(水)10:00~同じく104号法廷で。
引き続き、弁護側から、板橋高校関係者、保護者の証人が証言台に立つ。
傍聴券配布を待つ列もしんしんと冷え込む季節になったが、私たちの熱気で何とか傍聴席を埋め尽くしたい。

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