△ 都立高1年生 x 2 のハハは △
/ 2007-06-10 23:28:53
この春、我が家の双子の息子が別々の都立高校に入学した。幼稚園からずっと、息が詰るような小さい集団の中でなんだかんだと比較されてきた彼らは、やっと大人数の、そして何より自分が双子であるということを誰も知らない環境で過ごせる日々を、心から満喫している様子である。
そんな様子を見るのはハハとしてはやはり嬉しく、苦手な早起きを返上して巨大なお弁当をせっせと作る毎日だ。
同時に違う都立高校の様子を垣間見ることが出来るのというのも、なかなかに面白い。
同じ都立でも、雰囲気や学校の様子は随分違うもんだな・・・と興味津々で、二つの高校で役員まで引き受けてしまったので、まだまだ中のことは良く分からないながら、少しずつ観察している日々だ。
『しゃしゃるなよ!』(・・・とは、余計なことしてでしゃばっていくことを、息子達が呆れて言う言葉ですな)と、疎まれながらも、おかんとしての最後の楽しみを大いに ”しゃしゃって” 味わいたいと思っている。
都立高校保護者の会のことは、息子達が中3の秋ごろ、友人から聞いて知った。君が代強制のこと、卒業式の都教委の監視やその後の処分、裁判のこと・・・新聞では何かと目にし、いつもそれとなく気になっていたことたちだったが、直接関わりのあった友人の夫の話として生々しく聞いたときには本当にショックだった。そこまできていたのか、と。
これから都立に通わせようとしている中3の親として、都立高校の現状を、正直とことん知りたいような、今知りたくないような・・・それでも我が家には都立高しか選択の余地のないまま、複雑な思いで、受験期を過ごしていた。
しかしそんな話を身近に聞いたお陰で、その後、知人たちとの話題の中に、都立高校での君が代強制のことやら、教育基本法改正のことやらが、入り込むようになった。
みんな、受け取り方や感じ方は様々であったが、こんな風に、ごく普通の母親達がその『おかしさ』に気付き、考え始める、話題にし始める、ということこそが、実はとても大切なことなんではないかな、と思い始めた。晴れて、都立高生のハハになった暁には、ぜひ私も参加して、もっといろんなことを聞いたり感じたりしてみたい、とずっと思っていたのだった。
先日都立高生保護者のネットワークの会に初めて参加させてもらった。
その会のあいだ、私は一体何に一番気持が悪いと思うのだろうか?とずっと考えていた。
君が代に関して言えば、様々なものを読むにつけ、歴史認識の浅さということを抜きにしてもなお、私の中では考えがまとまらずにいる。では、君が代でなければいいのか?と問われたら、実はよく分からない。
私の中では、やはり『何かを強制、強要させられる、画一的な意見の元に思考をストップさせられる、自分の意見を自由に言うことが出来ないことの怖さ・・・』 そういうことへの苛立ち、危惧、拒否感、というものが何より自分のなかにひっかかっているのだろうなと、ゲストの先生の話や、他の方の意見を聞きながら改めて感じていた。
正直、こうした会に参加するには、あまりに意識が低くないか?とか良く分かりもせず参加しているのはどうなのか?と少々不安にもなったりもしたのだが、やはり、そういうよく分かってないような人がこうした会にまず出てみる、ということが大事なことなのだ、とそこでも思ったのだ。
こんな話を話題にする際、時には煙たがれたり、偏った思想の持ち主・・・というような、それこそ『偏った』見方をされることも少なくない。こうした会に誘っても、そんな堅そうな、意識の高い人たちの集まる場所にとても近づけない、などということばも耳にする。私も同じように考えていた人間だっただけに、なんだか
そんな風にしか感じず、考えるきっかけすら持とうとしないということが、もったいない、とても残念な気がしてならなかった。
チラシに誘いの文言を入れる際に、あまりにも、向おうとしている方向性が違う人たちに来てもらっても・・・という意見も出ていたが、勘違いの中から様々面白いものが生まれたり、いつも違う考え方をする新しい空気が場に入ることで、全く違った視点がひらけたりすることが実は多い。
いつも、同じ考えの人々の中にいることは、同じように何かが見えてこなくなってしまうことでもある。
よく分かってない、フツーのお母さんである私達のような人々が、よく分からないままにそれでも、口々に話題にして、広げて、考え始める。そんなことがどんどん広がったらいいな、と思う。そんな敷居の低いものの中から、私など、少しずつでも広げていけるかな、と考える。地道な、一人一人に伝える、ということしかどうも浮かびはしないのだけれど。
息子達には、いつも人とのなかに、お互いの違いを認め、尊重し、同じをその中に見つける作業をすることが本当に大事なんだ、と言って育ててきた。えらそうなことを言って、そんな事を自分が出来ているかといえば、自信のないことも多くあるのだが、いつも心にとめていることだ。
新しい環境にどぎまぎしながら毎日自分の世界を広げている息子達に負けないように、私もあまりこれまで縁のなかったことに入り込みながら、様々な考えの人たちに出会い、多様性のある考え方を尊重しながら、自分のこれまでの捕らえ方や思考にごつごつぶつかる体験をしてみたいと思う。
とんちんかんなことを言ったり、勘違いも大いにして、そして大いに恥もかきながら・・・。
(花道)
このブログへのお便りは muzmuz@hotmail.co.jp へ
『都立高校保護者のつぶやき』
http://blog.goo.ne.jp/toritsuhogosha/
/ 2007-06-10 23:28:53
この春、我が家の双子の息子が別々の都立高校に入学した。幼稚園からずっと、息が詰るような小さい集団の中でなんだかんだと比較されてきた彼らは、やっと大人数の、そして何より自分が双子であるということを誰も知らない環境で過ごせる日々を、心から満喫している様子である。
そんな様子を見るのはハハとしてはやはり嬉しく、苦手な早起きを返上して巨大なお弁当をせっせと作る毎日だ。
同時に違う都立高校の様子を垣間見ることが出来るのというのも、なかなかに面白い。
同じ都立でも、雰囲気や学校の様子は随分違うもんだな・・・と興味津々で、二つの高校で役員まで引き受けてしまったので、まだまだ中のことは良く分からないながら、少しずつ観察している日々だ。
『しゃしゃるなよ!』(・・・とは、余計なことしてでしゃばっていくことを、息子達が呆れて言う言葉ですな)と、疎まれながらも、おかんとしての最後の楽しみを大いに ”しゃしゃって” 味わいたいと思っている。
都立高校保護者の会のことは、息子達が中3の秋ごろ、友人から聞いて知った。君が代強制のこと、卒業式の都教委の監視やその後の処分、裁判のこと・・・新聞では何かと目にし、いつもそれとなく気になっていたことたちだったが、直接関わりのあった友人の夫の話として生々しく聞いたときには本当にショックだった。そこまできていたのか、と。
これから都立に通わせようとしている中3の親として、都立高校の現状を、正直とことん知りたいような、今知りたくないような・・・それでも我が家には都立高しか選択の余地のないまま、複雑な思いで、受験期を過ごしていた。
しかしそんな話を身近に聞いたお陰で、その後、知人たちとの話題の中に、都立高校での君が代強制のことやら、教育基本法改正のことやらが、入り込むようになった。
みんな、受け取り方や感じ方は様々であったが、こんな風に、ごく普通の母親達がその『おかしさ』に気付き、考え始める、話題にし始める、ということこそが、実はとても大切なことなんではないかな、と思い始めた。晴れて、都立高生のハハになった暁には、ぜひ私も参加して、もっといろんなことを聞いたり感じたりしてみたい、とずっと思っていたのだった。
先日都立高生保護者のネットワークの会に初めて参加させてもらった。
その会のあいだ、私は一体何に一番気持が悪いと思うのだろうか?とずっと考えていた。
君が代に関して言えば、様々なものを読むにつけ、歴史認識の浅さということを抜きにしてもなお、私の中では考えがまとまらずにいる。では、君が代でなければいいのか?と問われたら、実はよく分からない。
私の中では、やはり『何かを強制、強要させられる、画一的な意見の元に思考をストップさせられる、自分の意見を自由に言うことが出来ないことの怖さ・・・』 そういうことへの苛立ち、危惧、拒否感、というものが何より自分のなかにひっかかっているのだろうなと、ゲストの先生の話や、他の方の意見を聞きながら改めて感じていた。
正直、こうした会に参加するには、あまりに意識が低くないか?とか良く分かりもせず参加しているのはどうなのか?と少々不安にもなったりもしたのだが、やはり、そういうよく分かってないような人がこうした会にまず出てみる、ということが大事なことなのだ、とそこでも思ったのだ。
こんな話を話題にする際、時には煙たがれたり、偏った思想の持ち主・・・というような、それこそ『偏った』見方をされることも少なくない。こうした会に誘っても、そんな堅そうな、意識の高い人たちの集まる場所にとても近づけない、などということばも耳にする。私も同じように考えていた人間だっただけに、なんだか
そんな風にしか感じず、考えるきっかけすら持とうとしないということが、もったいない、とても残念な気がしてならなかった。
チラシに誘いの文言を入れる際に、あまりにも、向おうとしている方向性が違う人たちに来てもらっても・・・という意見も出ていたが、勘違いの中から様々面白いものが生まれたり、いつも違う考え方をする新しい空気が場に入ることで、全く違った視点がひらけたりすることが実は多い。
いつも、同じ考えの人々の中にいることは、同じように何かが見えてこなくなってしまうことでもある。
よく分かってない、フツーのお母さんである私達のような人々が、よく分からないままにそれでも、口々に話題にして、広げて、考え始める。そんなことがどんどん広がったらいいな、と思う。そんな敷居の低いものの中から、私など、少しずつでも広げていけるかな、と考える。地道な、一人一人に伝える、ということしかどうも浮かびはしないのだけれど。
息子達には、いつも人とのなかに、お互いの違いを認め、尊重し、同じをその中に見つける作業をすることが本当に大事なんだ、と言って育ててきた。えらそうなことを言って、そんな事を自分が出来ているかといえば、自信のないことも多くあるのだが、いつも心にとめていることだ。
新しい環境にどぎまぎしながら毎日自分の世界を広げている息子達に負けないように、私もあまりこれまで縁のなかったことに入り込みながら、様々な考えの人たちに出会い、多様性のある考え方を尊重しながら、自分のこれまでの捕らえ方や思考にごつごつぶつかる体験をしてみたいと思う。
とんちんかんなことを言ったり、勘違いも大いにして、そして大いに恥もかきながら・・・。
(花道)
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『都立高校保護者のつぶやき』
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