都教委4・13「学校経営の適正化について(通知)」
いわゆる、都立高の職員会議における採決禁止の命令、が波紋を呼んでいる。
「歴史的愚挙」という声もある。
「ファシズム」のことを「民主主義」と言いくるめるような、稀代のペテン「4・13通知」に関する、資料的価値のあるものを、GW特集と銘打って連続して取り上げていきたい。
最初は、「マスコミの反応」から。
4/14(金)一面トップで取り上げた『毎日新聞』記事
4/15(土)『朝日新聞』社説
★都教委 職員会議で挙手や採決禁止★ 校長の効率的運営狙い
東京都教育庁は13日、職員会議で教職員による「挙手」や「採決」を行ってはならないとする通知を都立高校など263校の都立学校長に出した。校長の意思を貫徹させた効率的な学校運営が狙い。旧文部省は00年に「職員会議は意思決定権を持たない」との通知を出しているが、挙手や採決そのものを禁止するのは極めて異例。教育現場での主導権確保を目指す同庁の姿勢を反映した内容だが、教職員の反発も予想される。
通知は「学校経営の適正化について」。中村正彦・都教育長名で出され、同日の都教育委員会定例会で報告された。
それによると、学校経営について通知は「職員会議を中心とした経営から脱却することが不可欠」と強調し、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と指示。会議の運営上の権限がある「議長」を置く学校は、単なる「司会者」に改めるよう求めている。
そのうえで校長、副校長(教頭)、主幹教諭らによる「企画調整会議」を、学校経営の中枢として方向付けの場とするよう促している。
同庁によると、今年1~2月、都立高校など計22校でヒアリングを行った結果、主任教諭の選任や生活指導の方法、学校行事の運営などについて、職員会議の場で多数決で決めていた学校が十数校あった。
職員会議での意思決定については、文部省通知に沿う形で同庁も01年6月、「議決により校長の意思決定権を拘束することは認められない」と通知していた。このため、ヒアリング結果を重視した同庁は、校長の学校経営・管理をサポートする「都学校経営支援センター」を都内6カ所に設置したのに合わせ、今回の通知を出したという。
ただ、文部省通知は「挙手」や「採決」まで具体的に禁止しているわけではない。学校現場では、最終的に校長が決定権を行使する場合でも、教職員の賛否の多少を参考にする場合があり、今回の通知により、こうした意味での教職員の意思把握も困難になりそうだ。
同庁学務部は「校長がリーダーシップを発揮し、スピーディーで透明性のある意思決定と学校運営を目指し、教育の質の向上を図りたい」と説明している。
【木村健二】
▽ノンフィクション作家の吉岡忍さんの話 校長の権威だけに頼る運営をせよという通知で、一般の教員の参加意欲をそいでしまい、学校を活力のないものにしていくのではないか。校長は教職員に情熱を語って巻き込んでいかなければならないのに、その力量がなくなっていることを表明しているような通知だ。これで生徒にどうやって民主主義の多数決原理を教えられるのか。教育現場の荒廃はここまできたか、と思わせられる。
◇学校現場から戸惑いや反発の声
「職場がますます息苦しくなる」。職員会議で挙手などにより教職員の意向を確認することを禁じた13日の都教育庁通知に、学校現場から戸惑いや反発の声が上がった。都内のある区立小学校の男性教諭(55)は皮肉を込めて言う。「都立の学校では今後、教え子に民主主義をどう教えるんでしょうね」
都教育庁は、そもそも学校管理運営規則で職員会議を「教職員への報告や意見聴取、連絡の場」と位置づけ、学校経営にかかわる事項などを決定する権限を認めていない。ここ数年、校長や教頭の権限を強める指導の徹底を図ってきた。だが、現実には、校長が自らの判断で職員会議に多数決を諮ることも珍しくない。
「息苦しくなる」と訴えた都立高の女性教諭(54)は「職員会議で文化祭や体育祭の行事案(日程や進め方など)を挙手(多数決)で決めてきた。どの程度締め付けが強まるのか……」と不安を隠さない。
都内の市区町村教委では、職員会議の位置づけはさまざま。教員組合との交渉で「職員会議の内容は(校長らが)尊重することが望ましい」と伝えている教委もある。
今回の通知の内容を知ったある区立小の教諭は「そこまでやるの?」と一瞬絶句。「校長と教職員が協力して学校を良くしていく流れに、いきなり冷水をぶっかけるようなもの。教職員よりも校長が追い詰められるのではないか。私たちの区教委も追随しないか不安だ」とあきれていた。【高山純二、井上英介】
毎日新聞 2006年4月14日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060414k0000m040148000c.html
★採決禁止 東京の先生は気の毒だ (朝日新聞社説4月15日)
あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう、こっけいな話ではないだろうか。
東京都教育委員会が、都立学校の職員会議で先生たちの挙手や採決を禁止したことだ。
都教委は今年初め、高校など263校の都立学校に対して運営のあり方を自己点検させた。その結果、学校行事などのやり方をめぐり職員会議で挙手や採決をしていたところが十数校あった。
学校を運営する決定権は校長にある。職員会議は校長の仕事を補助する機関にすぎない。校長が職員会議の意見に影響されるのは、けしからん。
そう考えた都教委は、全校に「学校経営の適正化」を求める通知を出した。その中で「挙手、採決などの方法で職員の意向を確認するような運営は行わないこと」と述べた。さらに念を入れて、児童や生徒の成績判定、卒業認定についても職員会議での挙手や採決を禁じた。
今回の通知は、学校運営を校長や幹部らの会議で決めるよう強く求めている。その会議で十分論議をせずに職員会議で議論してはいけないとも指示している。挙手や採決を禁止するだけでなく、議論することも制限しているのだ。
普通、挙手や採決をするのはどんなときだろう。色々な意見があり、なかなかまとまらないときに、どの案に賛成か手を挙げてもらう。賛否をもっとはっきりさせるときには採決する。
もちろん、なんでも多数決で決めればいいというわけではない。校長は指導力を発揮しなければならないし、最終的に学校の方針を決めるのは校長である。
しかし、その場合でも先生たちの意見を聞きながら、方針を決めるのが常識ではないか。先生たちの意見が割れたときには、挙手してもらって全体の意向を知りたいということもあるだろう。
そうしたことを一切許さないというのは、どう考えても、行き過ぎである。
賛成か反対か、採決によって多数意見を決める方法は、民主主義の大事なルールとして、先生が子どもたちに教えていることだ。その先生たちが、職員会議では挙手も採決も禁じられていると知ったら、子どもたちはどう思うだろう。
卒業式などで国旗掲揚や国歌斉唱を強制するにあたって、都教委は国旗の位置などを細かく指示した。通知や指示で学校をがんじがらめにするのが、どうやら都教委の流儀のようだ。
学校運営の決定権を持ちながら、ハシの上げ下ろしまで枠をはめられる校長は気の毒である。挙手や採決を禁じられる先生も、まことにかわいそうだ。
いや、だれよりもかわいそうなのは、児童や生徒たちだろう。
学校の活力は、校長や先生の意欲と熱意から生まれる。先生が決定事項に従わされるだけの存在になれば、学校の活力が失われかねない。
そんな学校で学ぶのは、子どもたちにとって悲劇である。こっけいな話というだけでは、すみそうにない。
いわゆる、都立高の職員会議における採決禁止の命令、が波紋を呼んでいる。
「歴史的愚挙」という声もある。
「ファシズム」のことを「民主主義」と言いくるめるような、稀代のペテン「4・13通知」に関する、資料的価値のあるものを、GW特集と銘打って連続して取り上げていきたい。
最初は、「マスコミの反応」から。
4/14(金)一面トップで取り上げた『毎日新聞』記事
4/15(土)『朝日新聞』社説
★都教委 職員会議で挙手や採決禁止★ 校長の効率的運営狙い
東京都教育庁は13日、職員会議で教職員による「挙手」や「採決」を行ってはならないとする通知を都立高校など263校の都立学校長に出した。校長の意思を貫徹させた効率的な学校運営が狙い。旧文部省は00年に「職員会議は意思決定権を持たない」との通知を出しているが、挙手や採決そのものを禁止するのは極めて異例。教育現場での主導権確保を目指す同庁の姿勢を反映した内容だが、教職員の反発も予想される。
通知は「学校経営の適正化について」。中村正彦・都教育長名で出され、同日の都教育委員会定例会で報告された。
それによると、学校経営について通知は「職員会議を中心とした経営から脱却することが不可欠」と強調し、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と指示。会議の運営上の権限がある「議長」を置く学校は、単なる「司会者」に改めるよう求めている。
そのうえで校長、副校長(教頭)、主幹教諭らによる「企画調整会議」を、学校経営の中枢として方向付けの場とするよう促している。
同庁によると、今年1~2月、都立高校など計22校でヒアリングを行った結果、主任教諭の選任や生活指導の方法、学校行事の運営などについて、職員会議の場で多数決で決めていた学校が十数校あった。
職員会議での意思決定については、文部省通知に沿う形で同庁も01年6月、「議決により校長の意思決定権を拘束することは認められない」と通知していた。このため、ヒアリング結果を重視した同庁は、校長の学校経営・管理をサポートする「都学校経営支援センター」を都内6カ所に設置したのに合わせ、今回の通知を出したという。
ただ、文部省通知は「挙手」や「採決」まで具体的に禁止しているわけではない。学校現場では、最終的に校長が決定権を行使する場合でも、教職員の賛否の多少を参考にする場合があり、今回の通知により、こうした意味での教職員の意思把握も困難になりそうだ。
同庁学務部は「校長がリーダーシップを発揮し、スピーディーで透明性のある意思決定と学校運営を目指し、教育の質の向上を図りたい」と説明している。
【木村健二】
▽ノンフィクション作家の吉岡忍さんの話 校長の権威だけに頼る運営をせよという通知で、一般の教員の参加意欲をそいでしまい、学校を活力のないものにしていくのではないか。校長は教職員に情熱を語って巻き込んでいかなければならないのに、その力量がなくなっていることを表明しているような通知だ。これで生徒にどうやって民主主義の多数決原理を教えられるのか。教育現場の荒廃はここまできたか、と思わせられる。
◇学校現場から戸惑いや反発の声
「職場がますます息苦しくなる」。職員会議で挙手などにより教職員の意向を確認することを禁じた13日の都教育庁通知に、学校現場から戸惑いや反発の声が上がった。都内のある区立小学校の男性教諭(55)は皮肉を込めて言う。「都立の学校では今後、教え子に民主主義をどう教えるんでしょうね」
都教育庁は、そもそも学校管理運営規則で職員会議を「教職員への報告や意見聴取、連絡の場」と位置づけ、学校経営にかかわる事項などを決定する権限を認めていない。ここ数年、校長や教頭の権限を強める指導の徹底を図ってきた。だが、現実には、校長が自らの判断で職員会議に多数決を諮ることも珍しくない。
「息苦しくなる」と訴えた都立高の女性教諭(54)は「職員会議で文化祭や体育祭の行事案(日程や進め方など)を挙手(多数決)で決めてきた。どの程度締め付けが強まるのか……」と不安を隠さない。
都内の市区町村教委では、職員会議の位置づけはさまざま。教員組合との交渉で「職員会議の内容は(校長らが)尊重することが望ましい」と伝えている教委もある。
今回の通知の内容を知ったある区立小の教諭は「そこまでやるの?」と一瞬絶句。「校長と教職員が協力して学校を良くしていく流れに、いきなり冷水をぶっかけるようなもの。教職員よりも校長が追い詰められるのではないか。私たちの区教委も追随しないか不安だ」とあきれていた。【高山純二、井上英介】
毎日新聞 2006年4月14日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060414k0000m040148000c.html
★採決禁止 東京の先生は気の毒だ (朝日新聞社説4月15日)
あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう、こっけいな話ではないだろうか。
東京都教育委員会が、都立学校の職員会議で先生たちの挙手や採決を禁止したことだ。
都教委は今年初め、高校など263校の都立学校に対して運営のあり方を自己点検させた。その結果、学校行事などのやり方をめぐり職員会議で挙手や採決をしていたところが十数校あった。
学校を運営する決定権は校長にある。職員会議は校長の仕事を補助する機関にすぎない。校長が職員会議の意見に影響されるのは、けしからん。
そう考えた都教委は、全校に「学校経営の適正化」を求める通知を出した。その中で「挙手、採決などの方法で職員の意向を確認するような運営は行わないこと」と述べた。さらに念を入れて、児童や生徒の成績判定、卒業認定についても職員会議での挙手や採決を禁じた。
今回の通知は、学校運営を校長や幹部らの会議で決めるよう強く求めている。その会議で十分論議をせずに職員会議で議論してはいけないとも指示している。挙手や採決を禁止するだけでなく、議論することも制限しているのだ。
普通、挙手や採決をするのはどんなときだろう。色々な意見があり、なかなかまとまらないときに、どの案に賛成か手を挙げてもらう。賛否をもっとはっきりさせるときには採決する。
もちろん、なんでも多数決で決めればいいというわけではない。校長は指導力を発揮しなければならないし、最終的に学校の方針を決めるのは校長である。
しかし、その場合でも先生たちの意見を聞きながら、方針を決めるのが常識ではないか。先生たちの意見が割れたときには、挙手してもらって全体の意向を知りたいということもあるだろう。
そうしたことを一切許さないというのは、どう考えても、行き過ぎである。
賛成か反対か、採決によって多数意見を決める方法は、民主主義の大事なルールとして、先生が子どもたちに教えていることだ。その先生たちが、職員会議では挙手も採決も禁じられていると知ったら、子どもたちはどう思うだろう。
卒業式などで国旗掲揚や国歌斉唱を強制するにあたって、都教委は国旗の位置などを細かく指示した。通知や指示で学校をがんじがらめにするのが、どうやら都教委の流儀のようだ。
学校運営の決定権を持ちながら、ハシの上げ下ろしまで枠をはめられる校長は気の毒である。挙手や採決を禁じられる先生も、まことにかわいそうだ。
いや、だれよりもかわいそうなのは、児童や生徒たちだろう。
学校の活力は、校長や先生の意欲と熱意から生まれる。先生が決定事項に従わされるだけの存在になれば、学校の活力が失われかねない。
そんな学校で学ぶのは、子どもたちにとって悲劇である。こっけいな話というだけでは、すみそうにない。
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