◎ 陳 述 書
2017年9月21日
東京高等裁判所民事第14部御中控訴人 根津公子
本件控訴審が始まるに当たり、原判決に対する私の気持ちを述べさせていただきます。
原判決は「学校教育法及び学習指導要領において定める…教育活動は…価値中立的であることは不可能である」といい、「教員らが国旗及び国歌として定められたものを尊重する態度を示すことにより、生徒らにも同様の態度が涵養され」ると判示しました。
これはまさに、子どもたち一人ひとりの「人格の完成」を目ざした戦後教育の否定であり、教育勅語、「日の丸・君が代」、御真影を使って国家の価値観を刷り込んだ戦前の教育を肯定する教育観です。
私が「君が代」起立の職務命令に従えなかった、従わなかったのは、原判決が判示する、こうした刷り込みは教員として決してしてはならない、加担してはならないと考えるからです。
人格形成期、換言すれば、思想形成期にある子どもたちの思想・良心の自由の形成を支援するのが教員の仕事であって、それと相反することに加担することはできませんでした。
原判決はトレーナー着用及び「過去の処分歴」を理由に停職6月処分を適法としたので、その点について以下、述べます。
原判決は私の行為について、「校長らの警告も無視して本件職務命令②が発せられるような状況を自ら作出した」「やむを得ず不作為を選択したというものではなく、自ら学校の規律や秩序を乱すような行為を積極的に行った」のだから、「過去の懲戒処分や文書訓告の対象となった根津の行為は、すでに前回の停職処分においても考慮されていること、…停職処分は、職務上及び給与上の大きな不利益を与える処分であること、直近の平成19年3月30日付け停職6月処分が取り消されていること等を考慮しても、本件においては、上記した過去の処分歴に係る非違行為の内容及び頻度、本件トレーナー等着用行為を含む一連の言動などに照らし、なお規律や秩序の保持等の必要性の高さを十分に基礎付けるに足りる具体的事情があるというべきである。」と判示しました。
何をもって「具体的事情がある」というのでしょうか。
「本件トレーナー等着用行為を含む一連の言動」について、私は生徒・保護者からも同僚からも一度たりとも苦情を言われたことはありません。不利益を受けただろう人も見当たりませんでした。一審の本人尋問の際に証拠として提出した学年同僚および生徒たちが私にプレゼントしてくれた寄せ書き(甲562号証)を見れば、良好な関係にあったことが推察されるはずです。同僚や生徒たちが私を「学校の規律や秩序」を害するような人物と捉えていたのなら、このようなプレゼントをくれるはずがありません。
一方、生徒指導をしている私のところに来て「着用しないでください」と言い、それに対する私の質問には答えないなどの尾崎校長の行為に対して、同僚たちは朝の打ち合わせや職員会議で校長に意見してくれました。
私と校長のどちらが「学校の規律や秩序」を害したと同僚たちが見ていたかは、明白ではないでしょうか。
そもそも、このトレーナー・Tシャツを私は長い間着用してきましたが、問題にしたのは尾崎校長だけでした。
私が「君が代」不起立処分を受けた2005年以降に赴任した学校の校長たちは私に申し訳なさそうに、「『君が代』起立の職務命令は出さざるをえない」とは言いましたが、私に対して悪意むき出しにこのような対応はしませんでした。
こうした事実について、原判決は公平・公正に審査し考慮したしたのでしょうか。甚だ疑問です。
南大沢学園養護学校で私が本件トレーナーを着用したのは、ただ単に汚れてもいい作業着が必要だったからでした。
卒業式当日ではありませんから、都教委が発出した10・23通達にも違背しません。理のないことに、校長が職権を濫用して職員を従わせようとするのはパワーハラスメントであり、学校組織を独裁的に支配することだと考え、私は従わなかったのです。
校長のこの行為は都教委の指示があってのことだとも私は認識しておりました。しかし、校長の「お願い」に私が従ってしまえば、「着用禁止」は既成事実化してしまいます。10・23通達以降、東京の学校職場からは自由度が奪われていましたが、さらに自由度が奪われると考え、理のない校長の「お願い」に私は従わなかったのです。
「過去の処分歴」は「すでに前回の停職処分においても考慮されている」と原判決は言いながら、実際にはそれを再度考慮しています。
2005年5月28日高裁判決が、「過去の処分歴」は「既に…前回根津停職処分において考慮されている」と判示したのは、同一の「過去の処分歴」を処分加重の「具体的事情」として、繰り返し使ってはならないと言っているということです。
しかも原判決は、「過去の処分歴」がいかに「学校の規律や秩序」を害したかの「具体的事情」は示していません。
10年にわたり在職した八王子市立石川中で受けた処分にかかわる私の行為については、生徒や保護者、同僚から支持されたものでした。「学校の規律や秩序」を害するどころか、民主主義に基づく「学校の規律や秩序」を石川中に定着させる働きをした、と私は確信しています。
こうしたことについても私は陳述しましたが、原判決はそれを虚偽と捉えたのでしょうか。また、原判決は「停職処分は、職務上及び給与上の大きな不利益を与える処分である」とも書いていますが、これについても考慮した痕跡はありません。
免職を覚悟しなければならない停職6月処分の過酷さについては、上記2015年高裁判決が私の心理状態を実に的確に判示しています。
当時私には、免職に対する恐怖が常につきまとっていました。
控訴審では、私が「南大沢学園養護学校の規律や秩序」を害した「具体的事情」があるかを、公正・公平に審査してくださいますよう、お願いします。
以上
※ 次回は進行協議になりました。
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