《沈思実行(185)週刊新社会》
☆ 超少子化の時代
鎌田 慧
韓国の出生率が0・72。驚くべき水準だ。世界最低水準、という。それも8年連続で前年を下まわった。報道された数字を知って、ほとんどのひとが日本を対置して考えたと思う。
子どもをつくらないのは、経済的に苦しいか、「将来への漠然たる不安」があるからだ。おそらく、若ものたちが感じる将来への不安は、日韓おなじようなものだと思う。
というのも、わたしたち(60年安保世代)あるいは70年代全共闘世代、いま80代、70代の周辺は、明日の生活のことを思い煩う必要はなかった。
大企業志向はなかった。就職であせるのは恥ずかしい。どこかで食べて行ける、という楽観があった。それは高度経済成長時代にあたっていたからだ。
たとえば、臨時工(臨時職員)の本工化(社員化)運動は、高度成長期前からあった。それは達成された。
が、1986年に労働者派遣法が施行され、派遣事業が認められた。まもなく工場労働者の派遣が合法化され、非正規時代となった。
暴力団由来の「人夫出し」を合法化したのが「派遣法」だった。
その法律の下で、臨時工が大量に復活、いま「非正規」が40%、という不安定時代を招来するようになった。
出生率が下がったのは、現在の生活ばかりか、将来の生活が不安定だからだ。
男女ともに職場が安定せず、賃金が上がることなく、いつ解雇されるか判らない。そんな身分不安定な状態では結婚できず、結婚したにしても、子どもを産んで育てられる状況にはない。それが現実なのだ。
晩婚化、非婚化は本人の好みや流行ではない。それでいて大企業は、未曾有の内部留保を抱えてウケに入っている。
韓国では、今年1年生の入学者がいない小学校が、全国で150校になる、という。ソウルにある大企業への就職にむけて、子どもの頃から競争が激しい。生き残るためだ。
日本でも塾に通い、公立の学校から私立有名校にむかう競争が激しくなっている。
それらはけっして豊かさのあらわれではない。「出世」でしか、生き残れない社会は、貧しさのあらわれである。
『週刊新社会』(2024年3月13日)
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