☆ 四次訴訟・第5回最高裁要請行動 2月8日(金)15時45分最高裁西門集合
◆ 最高裁はまともな判断を! (被処分者の会通信)
12月~1月、四次訴訟に係わって三度の最高裁要請を行いました
◆ 四次訴訟第3回要請、3名の原告が要請
「東京『君が代』裁判四次訴訟」原告団は、10月2日、11月2日に続き、12月4日に第3回最高裁要請を行いました。原告団からBさん、Cさん、Aが要請しました。冒頭、司会のDさんから前回の要請で明らかにされなかった、“要請内容が判事に届けられているか”について回答を求めましたが、「お答えできない」との回答。本日の要請内容を裁判官に伝えるよう改めて強く求め、各原告の要請に入りました。
○ 多様な価値観に向き合ってこそ-A
「多様な価値観の,時に対立がある場合を含めて,誠実にそれらの価値に向き合い,道徳としての問題を考え続ける姿勢」を重視すると述べた「小学校学習指導要領解説・道徳編」を引き、この裁判のテーマこそ、その姿勢が求められていると述べました。
同時に、生徒からこの問題について考える機会を奪っている都教委を批判し、「主体性をもたず言われるままに行動する」(上記解説より)のではなく、大いに議論する中で、他者の人権を尊重しつつ自己の考えを育てることのできる教育を実現するため、最高裁の公正な判断を訴えました。
○ 心と体は分離できなし-Bさん
Bさんは、困難な境遇にある生徒たちに寄り添う中で、戦争のない社会を願うに至ったことを、丁寧に語ってくれました。一旦ことが起きれば、経済的・身体的・境遇的弱者が最も痛い目に遭うものだから。
そして、生徒の前で「心と体は別」という態度は取れないと訴えました。再び戦争ができる国へと変わりつつある今、教え子を戦場に送ったかつての教育の轍を踏んではいけない、戦争につながるあらゆる道を断ち切っていかなくてはいけないと、万感の思いで締めくくりました。
○ 最高裁の判例は、最高裁自身にしか変えられない-Cさん
Cさんは、最高裁が「不当な支配」を認定した七生養護学校の事件に照らし、教育基本法の「不当な支配」に焦点を当てて展開しました。10.23通達が、教育の現場に直接的に権力による「支配」をなしたかどうかが問題とされるべきことを強調しました。
また、一審・二審の二つの判決が2012年の一次訴訟最高裁判決の枠組みを超えられなかったことを指摘し、四次訴訟原告たちが10.23通達以降の都立学校の変化・変貌について検証を重ねてきたことを挙げ、単なる4回目の訴訟としてではなく、時間の経過を踏まえた判断を迫りました。
◆ 四次訴訟第4回要請、2名の原告が要請
1月7日には第4回最高裁要請を行い、原告団からEさんとFさんが要請しました。
○ 生徒に対する起立斉唱の強制の可否を問う-Eさん
Eさんは、さまざまな思想良心を持つ生徒が通う学校で自分が起立・斉唱することが、生徒への強制に加担し、起立できない生徒に自ずと圧力をかけ苦しめてしまう意味作用があると述べ、それはむしろ個の尊厳を多くの人が意識するようになった今の時代に逆らうものであることを強調しました。
○ 神道の象徴に向かって立たされるのは信教の自由への直接的侵害-Fさん
Fさんはカトリックの信者としての立場から、10.23通達とそれに基づく職務命令を容認してきたこれまでの最高裁判決を批判しました。管理職の圧力に抗しきれず予行で立ってしまったときの、信仰を捨てぬが故に火あぶりにされた聖ヨハンナ(Fさんの洗礼名)を裏切ったという思いから、体調を崩したといいます。最高裁のいうような「間接的」ではなく、「私は直接的制約をされました。」と訴え、最高裁が多くの教職員・生徒の苦しみを終わらせるよう求めました。
◆ 自由裁判をすすめる会、3名の共同代表が要言
12月11日には「東京・教育の自由裁判をすすめる会」による要請が行われ、共同代表のうち小森陽一さん、醍醐聡さん、俵義文さんのお三方がかけつけてくださいました。
まず要請の冒頭、要請書「最高裁は司法の良心と独立を示す判断をだし、『行政を忖度した』などと揶揄されることがないよう望みます」を渡しました。
○ 要請書を読み上げて要請-小森さん
要請書はまず、昨年7月に最高裁が、再雇用拒否二次訴訟について、原告一部勝訴の高裁判決を破棄したことは、下級審の議論を無視して都教委の主張をそのまま受け入れ、最高裁の権威を貶めるものであると糾弾。
さらに、本件職務命令は「間接的に」思想・良心の自由を制約すると判断し、機械的な累積加重処分は裁量権の逸脱・濫用とした東京「君が代」裁判一次訴訟最高裁判決(2012年1月)、および、当事者による解決などを求める補足意見に言及し、都教委がこの判決の精神に立とうとしないことを指摘しています。
教師の人権が保障されない現状では、学校が生徒の人権侵害の場に変質することを危惧して、係属中の四次訴訟では、教育行政の職権濫用をくい止め、国際的にも恥じない判決を出すことを求めています。
○「起立・斉唱の強制は『儀礼的所作の求め』で済まされない」-醍醐さん
醍醐さんは、この日の要請のために新たに要請書を作成してくださいました。良心との葛藤にさいなまれる教員にとって、10.23通達に基づく職務命令は「儀礼的所作の求め」では済まない、内心の自由にまで踏み込む教育行政にお墨付きを与える司法判断はとうてい容認できないと強調。再雇用拒否や服務事故再発防止研修などによって不利益処分と精神的苦痛を与えることは、思想・良心の自由に対する非道きわまりない直接的な侵害であると訴えました。
○歴史認識に立って判断を-俵さん
俵さんは、1933年に関東軍が万里の長城で宮城に遥拝し、日の丸を立てて君が代を歌っているところを撮った写真を提示し、「このあと日本は日中戦争に突入していく。まさにそういう歴史を背負った旗であり歌なのだ」と説明し、「日の丸・君が代」は歴史認識の問題であると述べ、憲法の精神を踏まえた判決を求めました。
第3回要請には21名の方が、第4回要請には26名の方が、「すすめる会」の要請には30名の方が参加してくださいました。17名しか入れないため寒空の下で終了まで待っていてくださったみなさん、感謝の言葉もありません。
また1月7日までに、団体署名累計287筆、個人署名累計10527筆を手渡すことができました。本当にありがとうございました。
今年も闘いは続きます。引き続き、ご支援をお願いします。
*今回の「通信」には署名用紙を再度同封しましたので、ご活用ください。個人署名・団体署名ともに、被処分者の会のHPからも入手できます。
『被処分者の会通信 121号』(2019年1月15日)
◆ 最高裁はまともな判断を! (被処分者の会通信)
12月~1月、四次訴訟に係わって三度の最高裁要請を行いました
◆ 四次訴訟第3回要請、3名の原告が要請
「東京『君が代』裁判四次訴訟」原告団は、10月2日、11月2日に続き、12月4日に第3回最高裁要請を行いました。原告団からBさん、Cさん、Aが要請しました。冒頭、司会のDさんから前回の要請で明らかにされなかった、“要請内容が判事に届けられているか”について回答を求めましたが、「お答えできない」との回答。本日の要請内容を裁判官に伝えるよう改めて強く求め、各原告の要請に入りました。
○ 多様な価値観に向き合ってこそ-A
「多様な価値観の,時に対立がある場合を含めて,誠実にそれらの価値に向き合い,道徳としての問題を考え続ける姿勢」を重視すると述べた「小学校学習指導要領解説・道徳編」を引き、この裁判のテーマこそ、その姿勢が求められていると述べました。
同時に、生徒からこの問題について考える機会を奪っている都教委を批判し、「主体性をもたず言われるままに行動する」(上記解説より)のではなく、大いに議論する中で、他者の人権を尊重しつつ自己の考えを育てることのできる教育を実現するため、最高裁の公正な判断を訴えました。
○ 心と体は分離できなし-Bさん
Bさんは、困難な境遇にある生徒たちに寄り添う中で、戦争のない社会を願うに至ったことを、丁寧に語ってくれました。一旦ことが起きれば、経済的・身体的・境遇的弱者が最も痛い目に遭うものだから。
そして、生徒の前で「心と体は別」という態度は取れないと訴えました。再び戦争ができる国へと変わりつつある今、教え子を戦場に送ったかつての教育の轍を踏んではいけない、戦争につながるあらゆる道を断ち切っていかなくてはいけないと、万感の思いで締めくくりました。
○ 最高裁の判例は、最高裁自身にしか変えられない-Cさん
Cさんは、最高裁が「不当な支配」を認定した七生養護学校の事件に照らし、教育基本法の「不当な支配」に焦点を当てて展開しました。10.23通達が、教育の現場に直接的に権力による「支配」をなしたかどうかが問題とされるべきことを強調しました。
また、一審・二審の二つの判決が2012年の一次訴訟最高裁判決の枠組みを超えられなかったことを指摘し、四次訴訟原告たちが10.23通達以降の都立学校の変化・変貌について検証を重ねてきたことを挙げ、単なる4回目の訴訟としてではなく、時間の経過を踏まえた判断を迫りました。
◆ 四次訴訟第4回要請、2名の原告が要請
1月7日には第4回最高裁要請を行い、原告団からEさんとFさんが要請しました。
○ 生徒に対する起立斉唱の強制の可否を問う-Eさん
Eさんは、さまざまな思想良心を持つ生徒が通う学校で自分が起立・斉唱することが、生徒への強制に加担し、起立できない生徒に自ずと圧力をかけ苦しめてしまう意味作用があると述べ、それはむしろ個の尊厳を多くの人が意識するようになった今の時代に逆らうものであることを強調しました。
○ 神道の象徴に向かって立たされるのは信教の自由への直接的侵害-Fさん
Fさんはカトリックの信者としての立場から、10.23通達とそれに基づく職務命令を容認してきたこれまでの最高裁判決を批判しました。管理職の圧力に抗しきれず予行で立ってしまったときの、信仰を捨てぬが故に火あぶりにされた聖ヨハンナ(Fさんの洗礼名)を裏切ったという思いから、体調を崩したといいます。最高裁のいうような「間接的」ではなく、「私は直接的制約をされました。」と訴え、最高裁が多くの教職員・生徒の苦しみを終わらせるよう求めました。
◆ 自由裁判をすすめる会、3名の共同代表が要言
12月11日には「東京・教育の自由裁判をすすめる会」による要請が行われ、共同代表のうち小森陽一さん、醍醐聡さん、俵義文さんのお三方がかけつけてくださいました。
まず要請の冒頭、要請書「最高裁は司法の良心と独立を示す判断をだし、『行政を忖度した』などと揶揄されることがないよう望みます」を渡しました。
○ 要請書を読み上げて要請-小森さん
要請書はまず、昨年7月に最高裁が、再雇用拒否二次訴訟について、原告一部勝訴の高裁判決を破棄したことは、下級審の議論を無視して都教委の主張をそのまま受け入れ、最高裁の権威を貶めるものであると糾弾。
さらに、本件職務命令は「間接的に」思想・良心の自由を制約すると判断し、機械的な累積加重処分は裁量権の逸脱・濫用とした東京「君が代」裁判一次訴訟最高裁判決(2012年1月)、および、当事者による解決などを求める補足意見に言及し、都教委がこの判決の精神に立とうとしないことを指摘しています。
教師の人権が保障されない現状では、学校が生徒の人権侵害の場に変質することを危惧して、係属中の四次訴訟では、教育行政の職権濫用をくい止め、国際的にも恥じない判決を出すことを求めています。
○「起立・斉唱の強制は『儀礼的所作の求め』で済まされない」-醍醐さん
醍醐さんは、この日の要請のために新たに要請書を作成してくださいました。良心との葛藤にさいなまれる教員にとって、10.23通達に基づく職務命令は「儀礼的所作の求め」では済まない、内心の自由にまで踏み込む教育行政にお墨付きを与える司法判断はとうてい容認できないと強調。再雇用拒否や服務事故再発防止研修などによって不利益処分と精神的苦痛を与えることは、思想・良心の自由に対する非道きわまりない直接的な侵害であると訴えました。
○歴史認識に立って判断を-俵さん
俵さんは、1933年に関東軍が万里の長城で宮城に遥拝し、日の丸を立てて君が代を歌っているところを撮った写真を提示し、「このあと日本は日中戦争に突入していく。まさにそういう歴史を背負った旗であり歌なのだ」と説明し、「日の丸・君が代」は歴史認識の問題であると述べ、憲法の精神を踏まえた判決を求めました。
第3回要請には21名の方が、第4回要請には26名の方が、「すすめる会」の要請には30名の方が参加してくださいました。17名しか入れないため寒空の下で終了まで待っていてくださったみなさん、感謝の言葉もありません。
また1月7日までに、団体署名累計287筆、個人署名累計10527筆を手渡すことができました。本当にありがとうございました。
今年も闘いは続きます。引き続き、ご支援をお願いします。
*今回の「通信」には署名用紙を再度同封しましたので、ご活用ください。個人署名・団体署名ともに、被処分者の会のHPからも入手できます。
(四次訴訟原告:大能清子・葛西南定)
『被処分者の会通信 121号』(2019年1月15日)
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