▼ 計画的避難区域 福島・浪江町の今
残留住民「異常あります」
福島第一原発の事故から間もなく3ヶ月。放射能汚染地域はじわりと拡大している。それでも地域と生活を捨てきれず、計画的避難区域に残る道を選んだ人もいる。そんな人々を悩ませるのは情報不足。社会からの孤立などが引き起こす、言いしれぬ不安だ。(坂本充孝)
▼ 情報過疎孤立に不安
生まれつき耳のないウサギの動画が、ネットで飛び交ったのは五月初旬だった。動画をアップしたのは、福島県浪江町津島地区でキャンプ場を営む杉本祐子さん(56)。ウサギはキャンプ場の一角で四月に生まれた十数羽の中の一羽。
「原因はわかりません。私にわかるのは、こんなウサギが生まれたという事実だけ。ネットにアップしたのは面白半分じゃない。ここにいると何もわからない。県や町は平然と情報隠しをする。うそもつく。残った人は疑心暗鬼で孤立している。そんな状態を知ってほしかっただけです」と杉本さんは話し始めた。
自給自足の田舎生活に憧れて、杉本さんが東京から移住したのは二十年前。約一万五千坪の傾斜地を求め、キャンプ場を開いた。池を造り、ハーブを植え、ウサギやヤギ、フランスガモ、犬などを飼った。特にライダーに人気で、週末ともなると歓声がこだました。四月から市民団体と協力しアルコール依存から立ち直る人々を受け入れる計画も練っていた。
そこへ原発の事故が起きた。
福島第一からは約三十キロ。震災のために電気、電話は不通で、情報から取り残された。屋内退避の指示もなかった。3号機が爆発した三月十四日は約二時間も屋外で作業をしてしまった。翌朝、スタヅフの女性(52)と二人で顔が赤くなり、目が腫れた。「頭がかゆく、のどがガラガラになった。鼻血も出た」と杉本さん。
上り慣れた坂道で息が切れるようになった。あれほどさえずっていた野鳥の姿も見えなくなった。ジャガイモの新芽は、いつまでも出なかった。“異変”の原因は分かりようもないが、心は泡立つ。
四月二十二日に計画的避難区域に指定された。
避難の目安は「一ヶ月程度までに」。だが生きものたちを残して避難はできないと残留を決めた。「線量が一番多い時に被ばくさせておいて、何を今さら」という思いも強かった。町に簡単なスクリーニング検査を半ば強制され、「異常ありません」と書いた紙切れを渡されたときは、腸(はらわた)が煮えくり返った。
避難対象の町民は約千五百人だが、同じように残留している人が二十人ほどはいる。
人が消えた村は荒廃が進む。田植えをしない水田では、乾いた土くれがむき出しとなり、ヒメジョオンが花盛りだ。空き巣狙いが横行し、怪しげなワンボックスカーが農道を走り回っている。この警戒のためにバトカーが巡回し、検問も行っている。
キャンプ場のロッジのテラスで線量を測ると二・二〇~二・四〇マイクロシーベルトほどだった。日によっては一〇・○○マイクロシーベルトほどまで上がることもある。
この数値は約二十キロ離れた人口密集地域の福島市あたりと大差がない。汚染は広範囲に及んでいることを示し、むしろ深刻だ。
原発政策を推し進め、美しい村を“殺した”政府に、杉本さんが突きつける要求は明快だった。
「体内被ばくを測るホールボディーカウンター(WBC)を早急にそろえ、住民全員の記録を取るべきです。機械の数が足りないと言い訳するが、全国の原発に常備している分があるはず。できることをしないのは、また情報隠しをする意図があるからではないですか」
『東京新聞』(2011/6/8【ニュースの追跡】)
残留住民「異常あります」
福島第一原発の事故から間もなく3ヶ月。放射能汚染地域はじわりと拡大している。それでも地域と生活を捨てきれず、計画的避難区域に残る道を選んだ人もいる。そんな人々を悩ませるのは情報不足。社会からの孤立などが引き起こす、言いしれぬ不安だ。(坂本充孝)
▼ 情報過疎孤立に不安
生まれつき耳のないウサギの動画が、ネットで飛び交ったのは五月初旬だった。動画をアップしたのは、福島県浪江町津島地区でキャンプ場を営む杉本祐子さん(56)。ウサギはキャンプ場の一角で四月に生まれた十数羽の中の一羽。
「原因はわかりません。私にわかるのは、こんなウサギが生まれたという事実だけ。ネットにアップしたのは面白半分じゃない。ここにいると何もわからない。県や町は平然と情報隠しをする。うそもつく。残った人は疑心暗鬼で孤立している。そんな状態を知ってほしかっただけです」と杉本さんは話し始めた。
自給自足の田舎生活に憧れて、杉本さんが東京から移住したのは二十年前。約一万五千坪の傾斜地を求め、キャンプ場を開いた。池を造り、ハーブを植え、ウサギやヤギ、フランスガモ、犬などを飼った。特にライダーに人気で、週末ともなると歓声がこだました。四月から市民団体と協力しアルコール依存から立ち直る人々を受け入れる計画も練っていた。
そこへ原発の事故が起きた。
福島第一からは約三十キロ。震災のために電気、電話は不通で、情報から取り残された。屋内退避の指示もなかった。3号機が爆発した三月十四日は約二時間も屋外で作業をしてしまった。翌朝、スタヅフの女性(52)と二人で顔が赤くなり、目が腫れた。「頭がかゆく、のどがガラガラになった。鼻血も出た」と杉本さん。
上り慣れた坂道で息が切れるようになった。あれほどさえずっていた野鳥の姿も見えなくなった。ジャガイモの新芽は、いつまでも出なかった。“異変”の原因は分かりようもないが、心は泡立つ。
四月二十二日に計画的避難区域に指定された。
避難の目安は「一ヶ月程度までに」。だが生きものたちを残して避難はできないと残留を決めた。「線量が一番多い時に被ばくさせておいて、何を今さら」という思いも強かった。町に簡単なスクリーニング検査を半ば強制され、「異常ありません」と書いた紙切れを渡されたときは、腸(はらわた)が煮えくり返った。
避難対象の町民は約千五百人だが、同じように残留している人が二十人ほどはいる。
人が消えた村は荒廃が進む。田植えをしない水田では、乾いた土くれがむき出しとなり、ヒメジョオンが花盛りだ。空き巣狙いが横行し、怪しげなワンボックスカーが農道を走り回っている。この警戒のためにバトカーが巡回し、検問も行っている。
キャンプ場のロッジのテラスで線量を測ると二・二〇~二・四〇マイクロシーベルトほどだった。日によっては一〇・○○マイクロシーベルトほどまで上がることもある。
この数値は約二十キロ離れた人口密集地域の福島市あたりと大差がない。汚染は広範囲に及んでいることを示し、むしろ深刻だ。
原発政策を推し進め、美しい村を“殺した”政府に、杉本さんが突きつける要求は明快だった。
「体内被ばくを測るホールボディーカウンター(WBC)を早急にそろえ、住民全員の記録を取るべきです。機械の数が足りないと言い訳するが、全国の原発に常備している分があるはず。できることをしないのは、また情報隠しをする意図があるからではないですか」
『東京新聞』(2011/6/8【ニュースの追跡】)
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