☆ 連載「みる・きく・はなす」ではなぜ不当な圧力を跳ね返した例を伝えないのか?
皆さま 高嶋伸欣です
1 今年もまた朝日新聞阪神支局襲撃事件(1987年5月3日)を起こした「赤報隊」に対する「答えとして」『朝日新聞』が毎年連載している「みる・きく・はなす」の第47回目のシリーズが4月30日から掲載されています。
さらに同日の『朝日』は朝刊2ページを広告抜きの全面特集で、シリーズ47回の内容総覧を掲載するなどの力の入れようです。
2 支局襲撃事件を重大視するのは当然ですが、このシリーズには疑問があります。
1)これまでの同シリーズ(各シリーズ原則5回連載)については、私も関心をもって読み続け、スクラップにしたりもしました。けれども最近は一瞥するだけです。
なぜなら、これまでの延べ200回余の記事の大半は、支局襲撃事件を派生させるような理不尽で不気味な右傾化、テロ誘発の雰囲気が日本国内には密かに蔓延しつつあるという事例をこと細かに堀り起こし、そうした不気味な圧力に悩ませれている人々の苦渋の様子や屈服、挫折などの紹介で終わっているのです。
これでは、「怖いぞ、怖いぞ」と警戒を呼び掛ける効果はあっても、そうした理不尽な圧力を受けている人々を励まし力付ける効果はほとんど見込まれません。
ましてや、それ等の不当な行為を辞めさせる手立てを講じる手助けにはほとんどなっていないと思えます。
何のための長期の連載企画なのかという疑問が以前からありました。
2)そして、今回の連載③(昨日5月3日掲載)もまた正しくその典型なのです。
前半は、沖縄県屋那覇島の土地の一部を購入した中国系企業の出資者の女性があたかも島全体を買ったかのような誇大情報を流したSNSに踊らされた日本国内の匿名電話などで村役場の職員などがひどく悩まされたという話しで終わっています(添付資料参照)
これでは泣き言の紹介です。
朝刊紙面ビューアー:朝日新聞デジタル (asahi.com)
*ちなみに著作物の引用では著作物に対する論評等が主で、引用された著作物が従の関係にあれば、著作権の侵害には当たらないとの最高裁判決が確定しています。
3)記事の後半は、熊本市が台湾の大手企業の進出を機に、住民基本条例の市民の定義に「外国の国籍を有する者を含む」と加筆する改正案を用意したものの、パブリックコメントを経て断念に追い込まれたということでしかありません。
右翼の街宣車が市役所に乗り付け、「外国人に熊本が乗っ取られる」などの過剰反応でしかない抗議電話が殺到したためだということです。
*この話題自体について別の角度からの異論がありますが、それについては別の場で触れます。
4)このどちらの話題も、役所を混乱に落とし入れた側から見れば、思惑通りに「してやったり!」の事態をもたらしたケースです。
屋那覇島を購入した女性は、購入したものの高値転売が見込めないのでSNSで騒ぎを誘発させることで注目度を高め、「アラブの大金持ちにでも買って欲しい」旨の我欲の達成をめざしていた様子は見え見えです。
5)後半の熊本市のケースは、街宣車や電話で抗議した側にとっては、”抗議で見事に成果を挙げた!”ことになります。それをこの連載は、サクセスストーリーとして紹介しているように読めます。
6)これでは「赤報隊」を下支えしていることになる街宣右翼や無責任なネットウヨクに「『朝日』も注目して、我々の成功談を拡散してくれている」として自信を与えていることになりかねません。
他方では一般の読者には「世の中、フェイク情報が大手を振って流布されている。巻き込まれたら大変だ」などと、恐怖感の拡散やことなかれへの傾斜を促進する影響を産んで終ている記事でしかありません。
3 ジャーナリズムの担い手としての『朝日』のありようへの疑問
1)そうした状況が広まった要因の一つは、『朝日』などがいち早くそうしたSNS情報はヘェイク同然であると指摘する報道をしなかったことにもあるはずです。
*沖縄の地元紙はやっています。この件に限らず”ヘェイク検証!"の欄があるのです(随時掲載)。
2)かつて『朝日』の記者からは、「不適切な内容の本などを記事で問題にすると、逆にその本のPRになってしまうから、意図的に無視することにしている」と言われたことがあります。「読者を信用していないなあ」と思いました。
今では無視しても『産経』や『週刊文春』『Hanada』などの嘘を平気で垂れ流すメディアとネットウヨクの連携でSNSのヘェィクが短時間で拡散されてしまいます。
『朝日』の沈黙は弱腰かことなかれ、或いはそのような低レベルのことには拘わらないという自己満足のためでしかないように思えます。
3)そうした『朝日』の弱腰、ことなかれによって苦汁をなめさせられた一人が元朝日記者の植村隆氏です。植村氏バッシングは『朝日』が2014年8月に突如表明した「従軍慰安婦」記事取り消しと謝罪行動によって派生した事件でした。
けれども、今も同氏に対する責任を『朝日』は、「すでに社員でなくなった人物のことだから」などとして、バッシングの不当さを積極的に紙面で指摘することもほとんどなく、果たしているとは思えません。
この時の『朝日』の言い分は、終戦後に旧植民地出身の日本兵や軍属について、「日本国籍を失ったのだから、戦死傷の補償や恩給支給の対象としない」とした日本流”法の論理”の不都合さを連想させるものに思えました。
4)ともあれ、今回のシリーズを読んでも、どこが「『赤報隊』に対する答えとして」企画されたものということになるのか疑問です。
5)一読者として考えてみれば、『朝日』がやるべきことは「『赤報隊』に通じる理不尽な圧力に屈しない人々」の取り組みを掘り起こして広く紹介することではないでしょうか。
*その点で『東京新聞』「こちら特報部」の不定期連載「めげない人々」は好対照です。
6)今後は、”不気味な動きがこのようにあちこちで多発しています”という恐怖感を煽るのではない、理不尽な力に立ち向かっている人々が全国にはこんなにいるのですという「心の折れない人々」を紹介するシリーズの掲載を『朝日』には求めたいです。
7)その場合に特に意識して欲しいのは、単に”めげない”だけではなく、不当な圧力、脅しに対して逆襲的な対応で、仕掛けた側に”やぶ蛇で失敗だった””やらない方がよかった”という認識をさせたケースを具体的に紹介することです。
*私の場合、検定を不当として教科書裁判を起こした(1993年6月)際、電話や脅迫状などで様々な嫌がらせをされました。
そこで、それらの脅迫状をそのまま高校や大学での授業の教材として”活用”し、その内容がいかにお粗末、不当であるかを実証的に示しました。
生徒・学生が大笑いし、脅迫者のお粗末さを知ることとなったという結果を、研究会や市民集会などで公表したところ、その後の嫌がらせ類はなくなって、今に至っています。
4 「みる・きく・はなす」に正対する地域版の連載「明日も喋ろう」の登場
1)なお、『朝日』の本日(5月4日)東京本社版の地域版「東京」のページには記事面の半分近くを費やした連載「明日も喋ろう(上)(題字は小尻記者の父、故・信克さん)」が掲載され、政治・社会問題についてSNSで声を挙げた俳優・小泉今日子さんの体験を紹介しています。
2)同記事の文末には、この連載は阪神支局襲撃事件以後、「言論を封殺しようとする動きが今もはびこる」動きに対して、それでいいのかという思いの企画であるとの説明があります(添付資料参照)。
*『朝日』のWEB紙面で探索して見ると大阪本社版では、昨日3日の大阪・京都・神戸などの地域版にこの(上)の記事が掲載され、本日4日には(中)が掲載されています。関西で制作された地域版の記事を東京本社の地域版でも掲載したのだと読めます。
全国版紙面の35年間ほとんど進歩のない「みる・きく・はなす」企画に対する『朝日』社内の地域面編集者(支局員たち)による”叛旗”のようにも見えます。
3)『朝日』はアフガニスタンへの米軍の爆撃を「限定的であるならば」と容認した2001年10月、それと「従軍慰安婦」報道の誤報で全面謝罪一色の紙面を掲載した2014年8月以来、”芯が抜けた!”と言われている状況からまだ立ち直れていないように見えます。
4)そのことを、この「みる・きく・はなす」連載が如実に語っているというのが私の解釈です。
今後、『朝日』をこうした支局の記者たちがどのように変えていくのか、この連載に変化が起きるのかどうか、ウォッチングを続けるつもりです。
以上 高嶋の私見です。 ご参考までに 転送・拡散は自由です
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