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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

高槻市教委へ卒業式についての要望と質問

2015年03月31日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  《山田さんを支える会ニュース から》
 ◎ 教育委員会への要望と質問


 山田さんを支える市民の会では、一昨年、昨年につづき、高槻市教委に以下の要望書と質問書を3月2日、和田市会議員をはじめ6名で提出しました。以下、その「今年度の卒業式について(要望書と質問書)」です。
 2015年3月2日
◎ 今年度の卒業式について(要望書と質問書)

 今年も卒業式の季節がめぐってきました。子どもたちにとって、それは、新たな希望に向けて羽ばたく門出のときであり、保護者にとっても、豊かな子どもに育んでいただいた教職員・関係者のみなさんへの感謝と成長を歓びあうときでもあります。
 しかしながら、子どもたちが希望を抱いて羽ばたいていこうとしている卒業後の社会は今、きな臭さが漂い始め、戦争の影が急速に忍び込み始めてきています。
 互いの違いを認め合い、尊重し合い、手を取り合い、より豊かで平和な社会の担い手になるよう育てていただいた子どもたちに、ふたたび、この国は、銃をとれと。
 他国が起こした侵略戦争に積極的に命を投げ出すことがこの国を守ることだと、集団的自衛権を公然と行使しはじめ、「有志連合」の一員として事実上の参戦に踏み切り、都合の悪い情報は秘密保護法で隠し、私たちの知る権利などを制限し始めています。
 国会抜きの閣議決定で、参戦が国益だと言い放ち、武器輸出三原則を撤廃し、武器を戦争当事国に売りつけ、沖縄と他国に新基地をつくる。私たちの気づかないうちに、自ら戦争を始め、他国にも戦争を輸出し始めています。
 巷でヘイトスピーチを野放しにして、人々に排外主義を煽り、異を唱えるものには「非国民」と罵声を浴びせ、人々を萎縮・沈黙させて、「いつか来た道」をせっせと掃き清めています。
 戦争は一人ではやれないので、未来と希望に生きる子もたちを、兵士に仕立て上げ、銃を抵抗なく握らせるたくらみを、教育にやらせようとしています。
 この戦後70年目の歴史の曲がり角、節目の年、戦争前夜に、私たちは、あらためて卒業式を問いたい。そして万感の思いで、要望し、教育委員会に平和の教育の砦たれと呼びかけたい
 子どもたちの卒業を祝う日に、「日の丸」のなんたるかを教えず、子どもたちの目の前に掲げたうえに、一斉に起立させ、「国歌斉唱」と式場内の子どもたちと、教職員、保護者全員に「君が代」をうたわせ、戦争の責任をとらないどころか、沖縄を引き換えに、命乞いをしたその「天皇のお治めになる世の中が、千代に八千代に続きますように」と、有無も言わせず歌わせることが、子どもたちへの思考停止と、天皇賛美のすり込みに増々つながっていくのではないでしょうか。
 まさに教育・学校が戦争をつくり、子どもたちを戦争に動員していく装置になってきているのではと、恐怖を覚えます。
 高槻市の教育委員会は、戦前の道に国といっしょに舵を切り戦争に突き進むことに加担してはならない。希望を抱いて巣立っていく子どもたちに、銃を持たせてはならない。
 アウシュビッツが解放されて70年がたった先日、85歳の元収容者が壇上から、こう訴えたと新聞は伝えています。「傍観者になるな。自分で考えよ、凡庸な悪に陥るな」と。
 私たちのこの国も、70年前、考えることを止め、「一億一心」同調圧力の下、朝鮮・中国を土足で踏みにじり、他国を奪い、2000万人のアジアの人々を死に追いやり、自らも300万を超える戦死者をだし、最後は2発の原子爆弾を浴びるという地獄の結果を招いたのではなかったのか。
 私たちは、この戦争の慟哭から、もう2度と「殺戮と破壊と惨劇」を繰り返さないと誓い、「平和主義、主権在民、基本的人権の尊重、」の憲法を打ち立て、この実現は根本において教育の力にまつべきものとして、教育基本法を定め、「お国のための教育」と峻別し、個人の尊厳を土台に置く、私たちの権利としての教育を積み重ね、戦争の防波堤、平和の礎にしてきました。教育委員会制度はその役割の一つでした。
 しかし、この国は、戦後70年という節目に、この戦争の負の歴史から学ばず、今や平和憲法を投げ捨て、教育基本法を改悪し、教育委員会を解体し、道徳の教科化・教科書の国定化など国家の教育への介入を深め、戦争のできる教育に造り替え始めています。
 教育委員会が「教え子を再び戦場に送らない」と不起立をした山田さんを処分し、再任用をしないのは、まぎれもなく、国の教育の不当な介入を手助けすることにほかならず、教育委員会の理念を自ら否定する行為と言わなければなりません。
 私たちの以下の質問に3月10日までに文書で誠実に答えていただき、教育委員会は、その設立の原点に今こそ立ちかえられ、平和と人権の砦として「子どもたち、私たちの権利としての教育」の実現にまい進されることを強く要望します。
 次の点を踏まえて、質問に回答してください。
 1、憲法と教育基本法前文・子どもの権利条約。
  平和主義・主権在民・基本的人権の尊重・平和的生存権・・・(憲法)
  「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成…普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育の普及・・・」(教育基本法)
 2、憲法は
  ①98条で国の最高法規であり、これに反するその他の法令等は一切効力を有しないと定めている。
  ②99条に、公務員に憲法を守る義務を明記している。

 <質問1>
 山田さんに「職務命令」を出し、戒告処分をしてまで、「君が代」を歌わせようとする理由。(戒告処分は、昨年の人事委員会の裁決で取り消し)
 <質問2>
 山田さんの処分は取り消しになったのに、再任用に合格していた山田さんを再任用しない理由。
 <質問3>
 【不起立の教職員を、懲戒処分にすることは、子どもたちに対して】
 ① 「君が代」斉唱時、起立斉唱しないことは、「悪いこと」で罰せられる、起立することが正しいことだと認識させることになりませんか。
 ② 国家(公)権力は正しいもので、それへの服従を当然と思い込み、逆らうものは異端で、「非国民」として排除して当り前という考えを浸透させていくことになりませんか。以下の理由により、「子どもたちを戦場におくらない」と不起立をとおした山田さんの良心をこそ讃えて、子どもたちに伝えるべきではありませんか。
 <質問4>
 【歌わない自由の尊重について】
 ① 憲法は、13条で個人の尊重と19条で思想良心の自由はこれを侵してはならないと唱っている。子ども、教職員、保護者、参列者には、様々の考えの人がいて、「起立したくない・歌わない」という人がいるのは、当りまえで、これを保障している。
 少なくとも、学校長、司会者が、卒・入学式の参加者に、前述の憲法13・19条に基づき「日の丸」に礼をしない、「君が代」を歌わない自由もあると伝える(もちろん子どもに前もって、学習しておく)義務があります。そうされますか。それをしないのなら、子どもたちの尊厳を黙って踏みにじることになり、学校教育でしてはならない罪、憲法99条違反になりませんか。
 ② 東豊中高校事件大阪高裁判決(2009.9.9確定)
 「『君が代』という国家が担ってきた戦前からの歴史的役割に対する認識や歌詞の内容から『君が代』に対し負のイデロギーないし抵抗感を持つものが、その斉唱を強制されることを思想信条の自由に対する侵害であると考えることには一理ある。とりわけ「唄う」という行為は、個々人にとって感情を伴わざるを得ない積極的身体的行為であるから、これを強要されることは、内心の自由に対する侵害となる可能性が高い。従って、『君が代』を斉唱しない自由を尊重されるべきである。」と指摘しているではありませんか。事前に「歌わない自由がある」ことを伝えてください。
 <質問5>
 【子どもたちに、再び銃をとれと叫びだしたお国のための教育ではなく、平和を愛する私たちの権利としての教育を!卒業式を!】
 ① 「侵略戦争の加害の象徴としての「日の丸」を見たくもないのに見せつけられ、その最高責任者であった天皇を讃える「君が代」を聞きたくもないのに聞かされ、その場から退室する自由も保障されていない卒業式等の会場は、「囚われの聴衆」(ダグラス裁判官アメリカ)(黒田伊彦)と言えます。
 何の事前説明もない「日の丸」「君が代」は、日本人としての自覚と国を愛する心、国家への帰属感を深めることを目的としてはいないか。学校(国歌)がその為の教育方法を一方的に強制することになり、これは国家の価値中立性、教育の中立を、自ら犯しているのではありませんか。
 ② 「厳粛かつ清新な雰囲気」の演出は、
 非日常性の「ハレ」の場での直立不動による一斉斉唱のもつ同調圧力による思考停止状況を演出し、国旗・国歌と国家権力の権威性への拝跪になるのではありませんか。子どもたちの日本への愛国心や、帰属感の認識の自由な発達を妨げていることになりませんか。
 ③ だからこそ、戦時中、「神ノ国日本」「天皇は現人神」「天皇のために戦死することは名誉なこと」等の誤った知識や観念が、教育によって植えつけられたために、1976年の最高裁旭川学テ判決で、「殊に個人の基本的人権を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきとしている憲法下においては、子どもが自由、かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な概念を子どもに植え付けるような教育を施すことは憲法26条、13条の規定からも許されない」と判示している。正に戦争前夜の今年の卒業式は、この判示の通りになるのではないのですか。
 <質問6>
 【国旗・国歌法の制定は、】
 これが「日の丸」「君が代」であることを定義したにすぎず、この掲揚や斉唱を義務づけてはいません。また同法の制定時、総理大臣も、「新たな義務を課すものではなく、罰則規定もない」との談話(1999年8月)を発表しており、「口をこじ開けてまでも歌わせることはない。」と政府高官も言い切っています。また、その制定時、「君は天皇」で「代は国」との見解を示しています。
 ① 政府見解は、それでいくと「君が代」は「天皇の国」となり、憲法の柱である主権在民に反し、「千代に八千代に」は、「天皇の国が、千に、八千に」となり、それは天皇の世界支配の野望の歌とはなりませんか。主権在民を保障する憲法を否定し、侵略戦争の歌を子どもたちに歌わせていることになりませんか。
 ② 今年も、「不起立」するかもしれないと予測される教職員や、何らかの意思表示をしない教職員に、「職務命令」を発出されますか。
 ③ どうするか態度表明をしない人にも、いわゆる「黙示の職務命令」を発出されるのですか。
 ④ 中原大阪府教育長の「口をこじ開けてでも歌わせる」いわゆる「口元チェック」通達は、全国的非難の集中から「学校長の裁量に任せる」と撤回しました。しかし、それに従って職務命令を明示しなかった学校長は処分するという。これほどの、理不尽はなく戦時下の人権蹂躙と同様ではないのですか。高槻市もこれに倣われますか。
 ⑤ 国連の自由権規約委員会の意見書では、特に日本に対して、「『旗やシンボルに敬意を払わないこと』を理由に人権を制制することは許されない」と勧告している。「職務命令とその違反に対する処分」は、この勧告の無視に当たりませんか。
 <質問7>
 【学習指導要領について】
 「日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てる」と学習指導要領にありますが、在日韓国、朝鮮人等定住外国人生徒たちにとっては、これは同化、皇民化教育以外の何ものでもなく、民族の文化享有権を補償する子どもの権利条約29条、30条に違反し、多文化共生を掲げる高槻市の宣言にも反するのではありませんか。
 また、愛国心は、強制されて育つものではなく、まして、「愛せよ、日本人として自覚せよ」というその国が、かつて治安維持法の恐怖で人を縛り付け、他国を「奪い、殺し、焼き尽くし」自らも300万の命を無残にしなければならなかったし、天皇はその戦争犯罪の責任をとらないという「無責任な再びの国」がそれだとすれば、そんな国を到底、愛せないし、人道に恥ずることではないですか。
 「学習指導要領」を「卒業式の通知」(2月5日付)の根拠にして、鬼の金棒にするのは、「学習指導要領」(憲法と法の下位にある)に従っているだけだと、つまり、上からの命令に従っただけだと思考を停止して、子どもたちを戦場に連れ出すことになるのではないですか。
 <質問8>
 【大阪府の「国旗国歌強制条例」】
 この条例は、憲法違反(98条)です。
 この条例に従う処分等は、すべて憲法違反になりませんか。

 【最後に】
 「子どもたちを戦場に再び連れ出すわけにはいかない」と良心を貫かれ、山田さんを懲戒処分にしたことの不当性を謝罪し、再任用を認め、子どもたちに再び銃をとらせ、戦場に送り出す教育や卒業式ではなく、平和、人権教育の最後の授業として、職務命令(処分)のない、「『君が代』を唄わない自由」もあることを、はっきり伝えられ、子どもが主人公の卒業式が、全市内で安心して取り組まれるようここに強く要望します
高槻市教育委員会
 教育委員長  中村 公美子様
 教育長    一瀬 武様
山田さんを支える市民の会

『山田さんを支える会ニュース』(2015.3.6 第21号)
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