<萩生田文科大臣批判①>
◆ 浅薄で無責任な藤岡「つくる会」の策動に同調する萩生田氏の判断ミス!
皆さま 高嶋伸欣です
歴史教科書から「従軍慰安婦」記述の排除を求める藤岡「つくる会」や『産経』などの策動に即時同調して、萩生田文科大臣と同省官僚は教科書各社に訂正申請を”指導”するなど、教育内容への「不当な支配・介入」を邁進中です。
ところが、萩生田大臣たちの主張の根拠を精査すると「ザル」同然の欠陥だらけです。彼らはそうした欠陥の大半に気づいていながら、マスコミの多くが、コロナ問題に集中してこの件には関心を示していないことなどに乗じて、横車を押し通そうとしています。
この事態を看過しては、禍根が残ります。
彼らの横暴を食い止めるために、気づいた範囲の「欠陥」の指摘、それに逆手の手法提起に順次取り組んでいきます。
メールが増えることご容赦下さい。最初は彼らの主張の「欠陥」指摘からです。
それらの「欠陥」は、彼らが金科玉条の如く掲げている「検定基準」のいわゆる「政府見解規則」=「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」に関わる部分に集中しています。
この後、この規則が度たび話題になります。記憶しておいて下さい。
今回は<欠陥・その1>です。
<欠陥・その1>
『答弁書』は、「政府としては」「単に『慰安婦』という用語を用いることが適切であると考えており」という回答をしたに過ぎない。関連省庁間で協議・調整等をした旨の説明もなく、単に内閣府として便宜的な理由をもって判断した程度のものでしかないと、文面から読める。
1 従って同『答弁書』を政府全体の統一的見解を示したものと大げさに位置づけるのは、為にする誤読に当たる。そうした誤読に萩生田文科大臣などが異を唱えなかったのをいいことに、「日本維新の会」議員らが、「河野官房長官談話と同等のものでありがら、これではダブルスタンダード、二枚舌ではないか。河野談話を取り消すべきだ」という趣旨の声をあげている(5月13日、参議院文教科学委員会。国会ビデオライブラリー参照)。
2 その発言に対し、岡田直樹・内閣官房副長官は、「今回の答弁書の趣旨は、現時点における用語の使用に関する政府の考えを示したもの」にすぎず、河野談話当時の用語については別問題であることを指摘。
「政府はこれまでの経過も踏まえて真摯にこの答弁書を調整した」のであって「二枚舌とかダブルスタンダードというご指摘は必ずしも当たらないと、このように申し上げたい」とも明言している。
3 菅首相は安倍晋三氏ほどには歴史修正主義の活動に関心がなく、首相官邸も内閣府も、この件について忖度を働かせている気配がないので、『答弁書』は通例のままに素っ気ないもので済まされている。
内閣府は、この件で議論に巻き込まれることを嫌っている気配を露骨に示している。
4 歴史教科書の「従軍慰安婦」記述の排除の根拠とされるだけでも、「迷惑な話し」と感じているのに、国際的公約の「河野官房長官談話」の取り消しの根拠にまで『答弁書』を使われるなど、迷惑千万でしかない。
彼らの政治的判断力の欠落を自ら証明しているに他ならない、と官邸や内閣府は不快感を露骨に示し、かれらを積極的に支援しようとしている様子はほとんどない。
5 上記2のように、憤慨させてしまうなど、お粗末な限り。
藤岡「つくる会」の浅薄な策略に群れるのは、やはり「類を以って集まる」だと再認識させられる事柄でもある。
この事態を萩生田大臣が認識できているのか。これまでの様子を見る限りでは危うい。
また、仮に政府(官庁)内の用語として「単に『慰安婦』とする」ことが広く確定したとしても、教科書記述での政府(官庁)用語以外の使用を、検定で認めていないわけではない。実際にそうした事例がいぜんから複数ある。
「政府(官庁)用語=教科書記述」という関係が、全ての「政府(官庁)用語」に当てはまるわけではない!
<事例1>
例えば、かつては、在日米軍の「基地」表記は、安保条約で「施設及び区域」としているので不可とする検定意見が付いた。だが、家永教科書訴訟の争点の一つともされ、あまりに形式主義的と下級審などで批判されたこともあって、現在では「基地」とする表記を文科省は受け入れ、大半の教科書がこの表記を用いている。
また首相や閣僚も「基地」という言葉を公的な場でもよく用いている。
一方で、政府の公的文書(官庁用語)の表記は「施設及び区域」を維持している。
さらに米軍基地が存在する地方自治体では、「基地対策課」などという公的組織名が用いられたりし、表記については、官公署でも様々である。
<事例2>
私が地理の教科書で「東京の西北に位置する群馬県は~」などと書いたところ、検定では「書き換えろ」という意見が付けられた。
なぜ?
外務省や経産省には「東北アジア課」がなく、あるのは「北東アジア課」。
官庁用語では8方位を表記する際、「北あるいは南」を「東あるいは西」よりも先にすることになっているためだという。
そこで、検定官と「早稲田大学の『都の西北、早稲田の杜に~』や鉄道の『東北線』、地方名の『東北地方』など書き換えたら、生徒が混乱するではないか」と言い合いになった。
検定官は、「慣例等で定着しているものは通例の表記でも良い」という逃げの回答しかできなかった。
*同様の事例を体験されたかたから、新たな事例を紹介していただければ幸いです。
6 今もこの状況は変わっていないと思われる。何かといえば「官庁」基準を持ち出し、その一方で強く反発されそうな場合は「慣例」や「通例」など明確な定義や区分けの基準がないまま恣意的な対応で済ませている。
こうして、執筆者たちは前述のように、一律に「政府・官庁」基準を押し付けようとする検定側を押し返し、現在の多用な記述を守ってきた部分が少なくない。
7 そこで文科省側が講じたことの一つが、そうした検定最中の文科省によるごり押しとそれらが跳ね返されている実態隠しをすることだった。そこでは藤岡「つくる会」の要求に応じた形で、検定のさらなる「密室化」が進められた。
8 検定の経過はますます内密にされ、「政府・官庁」表記の適用基準も不明確なまま密室内で恣意的に適用される不明朗・不公正な状況が、今日では広く存在している。
9 そのような漠然とした状況にあるのを放置したまま、萩生田大臣は『答弁書』が閣議決定されているので、その内容は「政府の統一的見解」に当たると断定している。その上で、教科書記述も『答弁書』にある「『慰安婦』という(官庁)用語」に揃えるべきであり、「従軍慰安婦」記述は不適切であるという。
10 だが、政府・官庁の統一的「用語」であっても、教科書記述が別の記述で認められている事例は前述のように少なくない。
11 そこで、萩生田大臣たちは『答弁書』を根拠とした「従軍慰安婦」記述排除の論理の正当性は前出の「政府見解規則」の条項にあるとしている。
しかし、その主張はすでに破綻している。しかも破綻を証明しているのは、萩生田大臣自身の発言によってに他ならない。
12 そのことを次のメール<萩生田大臣批判②>で明らかにする。
それにしても、萩生田大臣らは、かつての政府・官庁の用語・見解等の押し付けが教科書執筆者等の反撃で挫折した歴史に学んでいない。また、状況不利になれば同調者を見捨て別の策動に乗り換えて恥じない藤岡「つくる会」に惑わされていることに、何処で気づくのか。
少しでも早くに気づかせ、教育内容への「不当な支配・介入」による傷が深くなるのを食い止める。そのことを目標に、メール<萩生田大臣批判②>以降に取り組んでいく。
メールが増え続ける点、ご容赦下さい
以上 ご参考までに 高嶋の私見です
関連の情報等の共有を進めていただければ幸いです 転送・拡散は自由です
◆ 浅薄で無責任な藤岡「つくる会」の策動に同調する萩生田氏の判断ミス!
皆さま 高嶋伸欣です
歴史教科書から「従軍慰安婦」記述の排除を求める藤岡「つくる会」や『産経』などの策動に即時同調して、萩生田文科大臣と同省官僚は教科書各社に訂正申請を”指導”するなど、教育内容への「不当な支配・介入」を邁進中です。
ところが、萩生田大臣たちの主張の根拠を精査すると「ザル」同然の欠陥だらけです。彼らはそうした欠陥の大半に気づいていながら、マスコミの多くが、コロナ問題に集中してこの件には関心を示していないことなどに乗じて、横車を押し通そうとしています。
この事態を看過しては、禍根が残ります。
彼らの横暴を食い止めるために、気づいた範囲の「欠陥」の指摘、それに逆手の手法提起に順次取り組んでいきます。
メールが増えることご容赦下さい。最初は彼らの主張の「欠陥」指摘からです。
それらの「欠陥」は、彼らが金科玉条の如く掲げている「検定基準」のいわゆる「政府見解規則」=「閣議決定その他の方法により示された政府の統一的な見解又は最高裁判所の判例が存在する場合には、それらに基づいた記述がされていること」に関わる部分に集中しています。
この後、この規則が度たび話題になります。記憶しておいて下さい。
今回は<欠陥・その1>です。
<欠陥・その1>
『答弁書』は、「政府としては」「単に『慰安婦』という用語を用いることが適切であると考えており」という回答をしたに過ぎない。関連省庁間で協議・調整等をした旨の説明もなく、単に内閣府として便宜的な理由をもって判断した程度のものでしかないと、文面から読める。
1 従って同『答弁書』を政府全体の統一的見解を示したものと大げさに位置づけるのは、為にする誤読に当たる。そうした誤読に萩生田文科大臣などが異を唱えなかったのをいいことに、「日本維新の会」議員らが、「河野官房長官談話と同等のものでありがら、これではダブルスタンダード、二枚舌ではないか。河野談話を取り消すべきだ」という趣旨の声をあげている(5月13日、参議院文教科学委員会。国会ビデオライブラリー参照)。
2 その発言に対し、岡田直樹・内閣官房副長官は、「今回の答弁書の趣旨は、現時点における用語の使用に関する政府の考えを示したもの」にすぎず、河野談話当時の用語については別問題であることを指摘。
「政府はこれまでの経過も踏まえて真摯にこの答弁書を調整した」のであって「二枚舌とかダブルスタンダードというご指摘は必ずしも当たらないと、このように申し上げたい」とも明言している。
3 菅首相は安倍晋三氏ほどには歴史修正主義の活動に関心がなく、首相官邸も内閣府も、この件について忖度を働かせている気配がないので、『答弁書』は通例のままに素っ気ないもので済まされている。
内閣府は、この件で議論に巻き込まれることを嫌っている気配を露骨に示している。
4 歴史教科書の「従軍慰安婦」記述の排除の根拠とされるだけでも、「迷惑な話し」と感じているのに、国際的公約の「河野官房長官談話」の取り消しの根拠にまで『答弁書』を使われるなど、迷惑千万でしかない。
彼らの政治的判断力の欠落を自ら証明しているに他ならない、と官邸や内閣府は不快感を露骨に示し、かれらを積極的に支援しようとしている様子はほとんどない。
5 上記2のように、憤慨させてしまうなど、お粗末な限り。
藤岡「つくる会」の浅薄な策略に群れるのは、やはり「類を以って集まる」だと再認識させられる事柄でもある。
この事態を萩生田大臣が認識できているのか。これまでの様子を見る限りでは危うい。
また、仮に政府(官庁)内の用語として「単に『慰安婦』とする」ことが広く確定したとしても、教科書記述での政府(官庁)用語以外の使用を、検定で認めていないわけではない。実際にそうした事例がいぜんから複数ある。
「政府(官庁)用語=教科書記述」という関係が、全ての「政府(官庁)用語」に当てはまるわけではない!
<事例1>
例えば、かつては、在日米軍の「基地」表記は、安保条約で「施設及び区域」としているので不可とする検定意見が付いた。だが、家永教科書訴訟の争点の一つともされ、あまりに形式主義的と下級審などで批判されたこともあって、現在では「基地」とする表記を文科省は受け入れ、大半の教科書がこの表記を用いている。
また首相や閣僚も「基地」という言葉を公的な場でもよく用いている。
一方で、政府の公的文書(官庁用語)の表記は「施設及び区域」を維持している。
さらに米軍基地が存在する地方自治体では、「基地対策課」などという公的組織名が用いられたりし、表記については、官公署でも様々である。
<事例2>
私が地理の教科書で「東京の西北に位置する群馬県は~」などと書いたところ、検定では「書き換えろ」という意見が付けられた。
なぜ?
外務省や経産省には「東北アジア課」がなく、あるのは「北東アジア課」。
官庁用語では8方位を表記する際、「北あるいは南」を「東あるいは西」よりも先にすることになっているためだという。
そこで、検定官と「早稲田大学の『都の西北、早稲田の杜に~』や鉄道の『東北線』、地方名の『東北地方』など書き換えたら、生徒が混乱するではないか」と言い合いになった。
検定官は、「慣例等で定着しているものは通例の表記でも良い」という逃げの回答しかできなかった。
*同様の事例を体験されたかたから、新たな事例を紹介していただければ幸いです。
6 今もこの状況は変わっていないと思われる。何かといえば「官庁」基準を持ち出し、その一方で強く反発されそうな場合は「慣例」や「通例」など明確な定義や区分けの基準がないまま恣意的な対応で済ませている。
こうして、執筆者たちは前述のように、一律に「政府・官庁」基準を押し付けようとする検定側を押し返し、現在の多用な記述を守ってきた部分が少なくない。
7 そこで文科省側が講じたことの一つが、そうした検定最中の文科省によるごり押しとそれらが跳ね返されている実態隠しをすることだった。そこでは藤岡「つくる会」の要求に応じた形で、検定のさらなる「密室化」が進められた。
8 検定の経過はますます内密にされ、「政府・官庁」表記の適用基準も不明確なまま密室内で恣意的に適用される不明朗・不公正な状況が、今日では広く存在している。
9 そのような漠然とした状況にあるのを放置したまま、萩生田大臣は『答弁書』が閣議決定されているので、その内容は「政府の統一的見解」に当たると断定している。その上で、教科書記述も『答弁書』にある「『慰安婦』という(官庁)用語」に揃えるべきであり、「従軍慰安婦」記述は不適切であるという。
10 だが、政府・官庁の統一的「用語」であっても、教科書記述が別の記述で認められている事例は前述のように少なくない。
11 そこで、萩生田大臣たちは『答弁書』を根拠とした「従軍慰安婦」記述排除の論理の正当性は前出の「政府見解規則」の条項にあるとしている。
しかし、その主張はすでに破綻している。しかも破綻を証明しているのは、萩生田大臣自身の発言によってに他ならない。
12 そのことを次のメール<萩生田大臣批判②>で明らかにする。
それにしても、萩生田大臣らは、かつての政府・官庁の用語・見解等の押し付けが教科書執筆者等の反撃で挫折した歴史に学んでいない。また、状況不利になれば同調者を見捨て別の策動に乗り換えて恥じない藤岡「つくる会」に惑わされていることに、何処で気づくのか。
少しでも早くに気づかせ、教育内容への「不当な支配・介入」による傷が深くなるのを食い止める。そのことを目標に、メール<萩生田大臣批判②>以降に取り組んでいく。
メールが増え続ける点、ご容赦下さい
以上 ご参考までに 高嶋の私見です
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