◇ もの言える自由裁判・結審
1月31日(木) 13:10~ 東京地裁620号法廷
(1)「もの言える自由裁判」とは
前任校の卒業式に来賓として出席した教員のはなむけの言が「不適切」だとして、2005年5月に東京都教育委員会が「指導」処分を決定しました。はなむけの言葉は「おめでとうございます。色々な強制のもとであっても、自分で判断し、行動できる力を磨いていって下さい」と、10秒もかからない短い祝辞でした。この言葉が「不規則発言だ」と校長が報告し、都教委が「不適切な指導等を行った」として、校長による『指導』という処分を決定しました。
しかし、何か不適切だったのか、の説明は一切ありません。来賓として出席したのは休日でした。不当にも「指導」となった教員が、何が「不適切」であるのかを問い、この「指導」による精神的苦痛に対する損害賠償を東京都に請求する裁判を、2006年2月に提訴しました。
(2)裁判の中で明らかになったこと
都教委は裁判において「都立学校職員服務規律2条2項:職員は自らの行動が公務の信用に影響を与えることを認識するとともに、日常の行動について常に公私の別を明らかにし、職務や地位を私的な利益のために用いてはならない」という、本来汚職やセクハラ防止のために設けられた項目を指導処分の根拠として持ち出しています。
しかし原告の言動のどこがこの2条2項に当てはまるのかはまった<答えず「裁量の範囲だ」と言っています。
10月31日の第11団口頭弁論で一日かけて4人の証人尋問が行われ、校長2人、金子元指導主事(現副参事)、原告が証言に立ちました。
木部元豊多摩高校校長は「当初から池田教諭は国旗国歌は強制で反対だいうことで、来賓紹介の中でも強制という言葉を使ったりしている」「個人の考えを出した」「生徒も動揺したと思う」などと証言しました。
都教委の金子副参事は「指導」を必要とする理由を次のように述べました。①元担任の来賓という立場で一般の参列者と異なる。②発言内容が「様々な強制が強まる中」というような祝意ともとれない何を意味しているかわからない内容だった。③卒業生の一部からざわめきが起こり、来賓から不適切ではないかという声が上がった。
証拠として提出した卒業式ビデオで来賓挨拶を確認し、原告が「おめでとうございます」とは言わなかった等の都側のそれまでの主張が誤りであることははっきりしましたが、金子副参事は「発言が原告側主張の通りであっても、不適切であることに変わりはない」「卒業生がざわついたかどうかに関わらず、不適切な言動であったことに変わりはない」と言い切りました。
これに対して原告証言では「発言は、卒業生が豊多摩高校で育ってきたことに自信を持って巣立っていってほしいという励ましの気持ちから述べた。豊多摩高校の際だった『自主・自律』の校風を意識していた」「祝辞を述べたあとにざわめきはなかった」「都教委が本件祝辞を意味不明で祝辞ではないと判断したことについては、教育全体が視野に入っていないし、豊多摩高校の教育についての視野が全くないところで判断されたと、思う」などを証言しました。
(3)「もの言えば唇寒し」の恐ろしさ
生徒に対する言葉で「指導」されるという萎縮効果の広がり、「もの言えば唇寒し」となる恐ろしさは、教育を根底から蝕んでゆきかねません。上意下達の教育観との齟齬も裁判を通じて浮かび上がっています。
元保護者が中心となる「もの言える自由裁判交流会」がこの裁判を支えています。2008年1月31日の第12回口頭弁論で最終弁論が行われ、地裁結審となる見込みです。
◇ 都高教『人事委員会審理・各種裁判の現状と論点』から
1月31日(木) 13:10~ 東京地裁620号法廷
(1)「もの言える自由裁判」とは
前任校の卒業式に来賓として出席した教員のはなむけの言が「不適切」だとして、2005年5月に東京都教育委員会が「指導」処分を決定しました。はなむけの言葉は「おめでとうございます。色々な強制のもとであっても、自分で判断し、行動できる力を磨いていって下さい」と、10秒もかからない短い祝辞でした。この言葉が「不規則発言だ」と校長が報告し、都教委が「不適切な指導等を行った」として、校長による『指導』という処分を決定しました。
しかし、何か不適切だったのか、の説明は一切ありません。来賓として出席したのは休日でした。不当にも「指導」となった教員が、何が「不適切」であるのかを問い、この「指導」による精神的苦痛に対する損害賠償を東京都に請求する裁判を、2006年2月に提訴しました。
(2)裁判の中で明らかになったこと
都教委は裁判において「都立学校職員服務規律2条2項:職員は自らの行動が公務の信用に影響を与えることを認識するとともに、日常の行動について常に公私の別を明らかにし、職務や地位を私的な利益のために用いてはならない」という、本来汚職やセクハラ防止のために設けられた項目を指導処分の根拠として持ち出しています。
しかし原告の言動のどこがこの2条2項に当てはまるのかはまった<答えず「裁量の範囲だ」と言っています。
10月31日の第11団口頭弁論で一日かけて4人の証人尋問が行われ、校長2人、金子元指導主事(現副参事)、原告が証言に立ちました。
木部元豊多摩高校校長は「当初から池田教諭は国旗国歌は強制で反対だいうことで、来賓紹介の中でも強制という言葉を使ったりしている」「個人の考えを出した」「生徒も動揺したと思う」などと証言しました。
都教委の金子副参事は「指導」を必要とする理由を次のように述べました。①元担任の来賓という立場で一般の参列者と異なる。②発言内容が「様々な強制が強まる中」というような祝意ともとれない何を意味しているかわからない内容だった。③卒業生の一部からざわめきが起こり、来賓から不適切ではないかという声が上がった。
証拠として提出した卒業式ビデオで来賓挨拶を確認し、原告が「おめでとうございます」とは言わなかった等の都側のそれまでの主張が誤りであることははっきりしましたが、金子副参事は「発言が原告側主張の通りであっても、不適切であることに変わりはない」「卒業生がざわついたかどうかに関わらず、不適切な言動であったことに変わりはない」と言い切りました。
これに対して原告証言では「発言は、卒業生が豊多摩高校で育ってきたことに自信を持って巣立っていってほしいという励ましの気持ちから述べた。豊多摩高校の際だった『自主・自律』の校風を意識していた」「祝辞を述べたあとにざわめきはなかった」「都教委が本件祝辞を意味不明で祝辞ではないと判断したことについては、教育全体が視野に入っていないし、豊多摩高校の教育についての視野が全くないところで判断されたと、思う」などを証言しました。
(3)「もの言えば唇寒し」の恐ろしさ
生徒に対する言葉で「指導」されるという萎縮効果の広がり、「もの言えば唇寒し」となる恐ろしさは、教育を根底から蝕んでゆきかねません。上意下達の教育観との齟齬も裁判を通じて浮かび上がっています。
元保護者が中心となる「もの言える自由裁判交流会」がこの裁判を支えています。2008年1月31日の第12回口頭弁論で最終弁論が行われ、地裁結審となる見込みです。
◇ 都高教『人事委員会審理・各種裁判の現状と論点』から
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