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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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本日(3月20日)の▲ 「産経新聞」に次のような記事が出た。
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大阪市立菫(すみれ)中学校(同市城東区)が11日に開いた卒業式で、卒業生が会場正面の舞台に掲げた国旗に背中を向けたまま式を行っていたことが19日、分かった。
卒業生は国歌斉唱時も国旗のほうを向かず、2時間の式の大半で国旗に背を向けていた。
卒業生と在校生が向かい合って座る「対面式」を採用したためで、外部からの「国旗を軽視していないか」との指摘を受け、学校側は来年度からの見直しを検討する。
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「産経新聞」はこうしてかつて大日本帝国時代のシンボルであり、戦争のシンボルでもあった「日の丸・君が代」の強制を図ろうとしている。
しかし、ここには、大きな問題がある。
まず、「日の丸」の旗の方が生徒・保護者たちよりも大事にさせられているということである。
まるで卒業式の主人公は「日の丸・君が代」と言わんばかりだ。
人間と物でどちらが大切なのか。
「対面式」の卒業式の方がはるかに人間的でよいではないか。
しかし、最近の卒業式は、「産経新聞」などの言うように、人間より、色々な問題を抱えている「日の丸・君が代」が主人公になっている。
例えば、特別支援学校では、「日の丸」のある檀上まで車椅子の生徒たちを無理やり上げている。
子どもの安全より、「日の丸・君が代」が大事なのだ。
校長が壇上から降りてきて「卒業証書」を渡し、心から「おめでとう」と言ってやればいいのだ。
子どもたちはどれほど喜ぶことか。
「対面式」で在校生と卒業生がお互い向き合い、保護者も卒業する自分の子どもの顔が見える方が、はるかに人間的ではないか。
しかし、「産経新聞」は人間的なことが嫌いなようだ。
彼らには、生きた人間より物(「日の丸・君が代」)の方が大事なのである。
だから行き着く先は戦争ということになるのだろう。
また、これは「偶像崇拝」のようなものである。
これではまるで「日の丸・君が代」は神聖不可侵と言わんばかりである。
ここまで来れば「日の丸・君が代」を崇める一種の宗教である。
戦前はそのような社会だった。
しかし、それは歴史上すでに一度破綻し、その正体が暴かれたのである。
にもかかわらず、「産経新聞」は再度そういうことをやろうとしている。
「産経新聞」はこれまでも、「日の丸・君が代」強制に反対した人々を攻撃し、脅し、力づくで「日の丸、君が代」を強いてきた。
「産経新聞」はまた同じような過ちを繰り返そうというのか。
また、同じように日本社会を破綻させようというのか。
しかし、多くの人々は戦前のことを忘れていない。
戦前のようになるのはまっぴらごめんだと思っている。
にもかかわらず、「産経新聞」がこうしたことを続けるなら、その責任は極めて重くなると言わざるをえない。
普通の人間なら、人間より旗や歌が大事にされるような世の中は、まっぴらごめんなのである。
私たちは旗や歌の下僕・奴隷ではないのである。
(旗にお辞儀している大臣らもいるが、それは人間として滑稽で恥ずかしいいことである。)
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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本日(3月20日)の▲ 「産経新聞」に次のような記事が出た。
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大阪市立菫(すみれ)中学校(同市城東区)が11日に開いた卒業式で、卒業生が会場正面の舞台に掲げた国旗に背中を向けたまま式を行っていたことが19日、分かった。
卒業生は国歌斉唱時も国旗のほうを向かず、2時間の式の大半で国旗に背を向けていた。
卒業生と在校生が向かい合って座る「対面式」を採用したためで、外部からの「国旗を軽視していないか」との指摘を受け、学校側は来年度からの見直しを検討する。
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「産経新聞」はこうしてかつて大日本帝国時代のシンボルであり、戦争のシンボルでもあった「日の丸・君が代」の強制を図ろうとしている。
しかし、ここには、大きな問題がある。
まず、「日の丸」の旗の方が生徒・保護者たちよりも大事にさせられているということである。
まるで卒業式の主人公は「日の丸・君が代」と言わんばかりだ。
人間と物でどちらが大切なのか。
「対面式」の卒業式の方がはるかに人間的でよいではないか。
しかし、最近の卒業式は、「産経新聞」などの言うように、人間より、色々な問題を抱えている「日の丸・君が代」が主人公になっている。
例えば、特別支援学校では、「日の丸」のある檀上まで車椅子の生徒たちを無理やり上げている。
子どもの安全より、「日の丸・君が代」が大事なのだ。
校長が壇上から降りてきて「卒業証書」を渡し、心から「おめでとう」と言ってやればいいのだ。
子どもたちはどれほど喜ぶことか。
「対面式」で在校生と卒業生がお互い向き合い、保護者も卒業する自分の子どもの顔が見える方が、はるかに人間的ではないか。
しかし、「産経新聞」は人間的なことが嫌いなようだ。
彼らには、生きた人間より物(「日の丸・君が代」)の方が大事なのである。
だから行き着く先は戦争ということになるのだろう。
また、これは「偶像崇拝」のようなものである。
これではまるで「日の丸・君が代」は神聖不可侵と言わんばかりである。
ここまで来れば「日の丸・君が代」を崇める一種の宗教である。
戦前はそのような社会だった。
しかし、それは歴史上すでに一度破綻し、その正体が暴かれたのである。
にもかかわらず、「産経新聞」は再度そういうことをやろうとしている。
「産経新聞」はこれまでも、「日の丸・君が代」強制に反対した人々を攻撃し、脅し、力づくで「日の丸、君が代」を強いてきた。
「産経新聞」はまた同じような過ちを繰り返そうというのか。
また、同じように日本社会を破綻させようというのか。
しかし、多くの人々は戦前のことを忘れていない。
戦前のようになるのはまっぴらごめんだと思っている。
にもかかわらず、「産経新聞」がこうしたことを続けるなら、その責任は極めて重くなると言わざるをえない。
普通の人間なら、人間より旗や歌が大事にされるような世の中は、まっぴらごめんなのである。
私たちは旗や歌の下僕・奴隷ではないのである。
(旗にお辞儀している大臣らもいるが、それは人間として滑稽で恥ずかしいいことである。)
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