◆ 職務命令合憲の揺り戻しか?
処分に基準「日の丸・君が代」
2012年1月16日の最高裁判所。この日、「日の丸・君が代」に関する3件の最高裁判決があった(全て第一小法廷)。3件ともに都教委の発出した「10・23通達」に関連した処分事件で、処分撤回を争う事件である。
「日の丸・君が代」関連訴訟の最高裁判決は、昨年5月末より7月までの間に9件の判決が出され、憲法問題として「通達」と、それに基づく「職務命令」が合憲であり、「憲法19条を侵害しない」判決が出されていた。その内容はきわめて不当であり、憲法を形骸化するものであった。このために、弁護士会や学会など多方面から批判が続出していた。そして、一連の不当な判決が、大阪の橋下市長(前知事)のファッショ的政策に影響を与えることとなった。
今回の、最高裁判決は、本質的な憲法問題ではなく裁量権の問題で判示したのであるが、大きく右に傾いた振り子を少し揺り戻して、帳尻を合わせたかのような見せかけを作り出す役割を果たす判決であった。
判決は、減給・停職等の懲戒処分を「取消す」とするもので、「戒告」を軽微な処分として裁量権の範囲内とするものの、それ以上の処分を違法とした。
本件では、停職1ヵ月のKさんと減給のWさんについて処分を取消すよう判示した。しかし、停職3ヵ月のNさんについては処分相当を判示した。これは、Nさんが「日の丸を引き下ろした」り、再発防止研修で混乱させた処分歴があるからだとするものだ。つまり、卒入学式の会場の「秩序の維持」が優先され、これに抵触しないことを前提に加重処分を「違法」としたのがこの判決であるといってよい。
裁量権についての判例は、1977年の神戸税関事件があった。この判例は、処分権者の裁量を大幅に認めた内容で、その詳細を定めた判例はなかった。今回の最高裁判決は、この裁量権に一定の基準を設定した点に特徴がある。処分による不利益の度合いと秩序維持や処分前後の状況等との権衡によって判断すべき、とするものだ。
本判決では一つの反対意見と二つの補足意見が出された。そのうちの桜井補足意見は、多数意見の趣旨を代弁するものとなっているが、そこでは不起立と処分が繰り返される教育現場の混乱に対して「一日も早く解消し」と判示され、暗に都教委の側にその改善を迫る内容となっている。つまり、都教委へ職務命令と処分の連鎖の改善を提案する内容となっている点に、注目する必要がある。
宮川反対意見は、「戒告」処分も取り消すべきであることを示し、現場教員には教育の自由が認められるべきであることを強調しており、1976年の旭川学テ最高裁大法廷判決に基づいた意見を示している。司法の良心を示した点で正しい判断の意見であるといえる。
この最高裁判決に対して、都教委の担当者は毎日新聞に「これまでと変わりがない」と述べている。また大阪では3回で分限免職の「教育基本条例」の一部を修正する旨マスコミに述べているが、減給や停職を残す旨を示している。
このように見ると、最高裁判決はすでに絶対的な存在ではなくなっている。この判決を履行させることが新たな闘いにさえなりかねない情勢となっている。これは、司法が権力に迎合した判決を出してきた帰結であり、司法の危機をも迎えているのである。
『労働情報』(832号 2012/2/1)
http://www.rodojoho.org/tatakai.html#2
処分に基準「日の丸・君が代」
「日の丸・君が代」強制反対予防訴訟をすすめる会共同代表 永井栄俊
2012年1月16日の最高裁判所。この日、「日の丸・君が代」に関する3件の最高裁判決があった(全て第一小法廷)。3件ともに都教委の発出した「10・23通達」に関連した処分事件で、処分撤回を争う事件である。
「日の丸・君が代」関連訴訟の最高裁判決は、昨年5月末より7月までの間に9件の判決が出され、憲法問題として「通達」と、それに基づく「職務命令」が合憲であり、「憲法19条を侵害しない」判決が出されていた。その内容はきわめて不当であり、憲法を形骸化するものであった。このために、弁護士会や学会など多方面から批判が続出していた。そして、一連の不当な判決が、大阪の橋下市長(前知事)のファッショ的政策に影響を与えることとなった。
今回の、最高裁判決は、本質的な憲法問題ではなく裁量権の問題で判示したのであるが、大きく右に傾いた振り子を少し揺り戻して、帳尻を合わせたかのような見せかけを作り出す役割を果たす判決であった。
判決は、減給・停職等の懲戒処分を「取消す」とするもので、「戒告」を軽微な処分として裁量権の範囲内とするものの、それ以上の処分を違法とした。
本件では、停職1ヵ月のKさんと減給のWさんについて処分を取消すよう判示した。しかし、停職3ヵ月のNさんについては処分相当を判示した。これは、Nさんが「日の丸を引き下ろした」り、再発防止研修で混乱させた処分歴があるからだとするものだ。つまり、卒入学式の会場の「秩序の維持」が優先され、これに抵触しないことを前提に加重処分を「違法」としたのがこの判決であるといってよい。
裁量権についての判例は、1977年の神戸税関事件があった。この判例は、処分権者の裁量を大幅に認めた内容で、その詳細を定めた判例はなかった。今回の最高裁判決は、この裁量権に一定の基準を設定した点に特徴がある。処分による不利益の度合いと秩序維持や処分前後の状況等との権衡によって判断すべき、とするものだ。
本判決では一つの反対意見と二つの補足意見が出された。そのうちの桜井補足意見は、多数意見の趣旨を代弁するものとなっているが、そこでは不起立と処分が繰り返される教育現場の混乱に対して「一日も早く解消し」と判示され、暗に都教委の側にその改善を迫る内容となっている。つまり、都教委へ職務命令と処分の連鎖の改善を提案する内容となっている点に、注目する必要がある。
宮川反対意見は、「戒告」処分も取り消すべきであることを示し、現場教員には教育の自由が認められるべきであることを強調しており、1976年の旭川学テ最高裁大法廷判決に基づいた意見を示している。司法の良心を示した点で正しい判断の意見であるといえる。
この最高裁判決に対して、都教委の担当者は毎日新聞に「これまでと変わりがない」と述べている。また大阪では3回で分限免職の「教育基本条例」の一部を修正する旨マスコミに述べているが、減給や停職を残す旨を示している。
このように見ると、最高裁判決はすでに絶対的な存在ではなくなっている。この判決を履行させることが新たな闘いにさえなりかねない情勢となっている。これは、司法が権力に迎合した判決を出してきた帰結であり、司法の危機をも迎えているのである。
『労働情報』(832号 2012/2/1)
http://www.rodojoho.org/tatakai.html#2
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