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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

原発撤退、ドーピングに頼らない、理知的な決断を!

2018年12月27日 | フクシマ原発震災
 ◆ ヒロポン中毒 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)

 「ヒロポン」は戦後を彩る覚醒剤である。
 たとえば昼夜兼行、オールナイトの「沖仲仕(おきなかし・港湾労働者)」の荷卸し作業に「ヒロポン」が多用されていたとか、芸能界のだれそれが中毒患者だったとか、その害は一般市民にもよく知られている。
 戦後に流行したのは陸海軍に備蓄されていたのが民間に放出されたからだ。

 戦時中は「『戦力増強剤』として、航空兵や第一線兵士に与えられていた」(吉田裕『日本軍兵士』)。精神的にも肉体的にも疲弊しきった兵士の最後の拠(よ)りどころが、ドーピング。「戦意高揚」の素(もと)がクスリだった、とは悲しい。
 同書によれば敗戦前年一九四四年の「皇軍」兵士の軍服は綿製、軍靴は鮫(さめ)皮、飯盒(はんごう)は竹製、背嚢(はいのう)は背負い袋などの代用品となっていた。
 戦局の悪化にともない、「戦争神経症」といわれた精神疾患患者は増大していた。
 負け戦は明らかだった。戦争終結にむかう道は閉ざされ、戦地では戦死、戦病死、内地では被爆死者が山を築いていたが、決断しなかった。
 敗戦の歴史から想起されるは、原発終結の道筋である。
 原子力船「むつ」の無様(ぷざま)な廃船。東海村核燃料加工工場JCOの事故、もんじゅの敗退、福島原発事故と混乱の現状。六ケ所村核燃料サイクル、電源開発大間原発の暗い未来。
 それでも、ヒロポンのような原発再稼働。撤退こそが理知的な決断だ。
『東京新聞』(2018年12月25日【本音のコラム】)


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