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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

教科道徳の評価:国家権力による特定の価値観強制への歯止めは?

2016年09月03日 | こども危機
 ◆ 文科省の道徳特別教科化で危惧残る"愛国心"聖域化
   ~数値化直結の観点別評価は排除。だが一部で先行実施
(マスコミ市民)
永野厚男・教育ライター


文科省が通知発出を報告した7月29日の中教審WG(撮影:岡本清弘氏)

 2018年度から小学校で、19年度に中学校で特別の教科にする道徳について、文部科学省は7月29日開催した中教審「考える道徳への転換に向けたワーキンググループ」(一ノ瀬正樹主査。以下、WG)で、"愛国心"など「個々の内容項目ごとには評価しない」など盛った通知を、同日付で都道府県教育委員会等に出したと報告。
 国家権力による特定の価値観強制への歯止めは?研究団体にも取材し、通知発出の背景や文科省の意図を明らかにする。
 藤原誠・初等中等教育局長名の通知は、数値評価に直結する観点別評価(現在、大多数の小中学校が算数・数学等、教科ごとに4つほど観点を設定。A~Cの3段階評価し、5段階評定を出す根拠としている)を、「児童生徒の人格そのものに働きかけ、道徳性を養うことを目標とする道徳科」で行うことは、「妥当ではない」とした上、「個々の内容項目ごとではなく、大くくりなまとまりを踏まえた評価とする。他の児童生徒との比較による評価ではなく、児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止めて認め、励ます個人内評価として記述式で行う」と明記。
 参院選目前の6月10日、長妻昭(ながつま あきら)衆院議員(民進)が自身のHPで「全国の小中学生に道徳心・愛国心の成績を付けるのはおかしい。批判を忘れた子どもたちが増えるのはマイナス」と語ったのに対し、馳浩(はせ ひろし)文科相(当時)が17日、記者会見で「愛国心を個別評価することはない」と反論。これが通知発出の背景にある。
 ◆ 観点別評価否定するも、三つの柱に縛られ指導すると・・・

 通知の基になる『報告』を決定した7月22日の「道徳教育専門家会議」(天笠(あまがさ)茂座長)では、高木展郎(のぶお)横浜国大教授が「道徳の評価は、他者と差を付けるevaluationでなく、支援する意のassessmentであるべき」、吉田武男筑波大教授が「道徳で内心に介入する評価はもっての外」などと発言(【注1】参照)。
 だが『報告』は、「道徳科の学習活動」について、「分節することはできない」としつつ、①知識・技能、②思考力・判断力・表現力等、③学びに向かう力、人間性等、の「育成すべき資質・能力の三つの柱」を明記。
 このため、主に東京の公立小中教職員らで作る「道徳の教科化を考える会」が7月23日、国分寺市で開いた学習会では、「文科省は00年代に入り、PDCAサイクルで『指導と評価の一体化』を要求。三つの柱で指導すれば3つの観点別評価につながり、数値評価の側面が出てくる」と懸念する意見が出た。
 そして7月29日のWGでも、白木みどり金沢工業大教授が「三つの柱が評価の観点になってはいけない」と強調。
 貞盛倫子広島県大竹市教委指導主事も「『到達度を示されれば評価し易い』という声があるが、そうでなく個人内評価でないといけない」と発言した。
 しかし現場では観点別評価が先行。今年2月19日、文科省研究開発学校の東京・武蔵村山市立八小(4年間で約600万円も出る)が開いた中間発表会では、「新教科・徳育科」で3観点別評価をやっているという冊子を、参加者に配布。
 14年度の文科省・国立教育政策研究所の道徳研究指定校・京都市立七条第三小も、15年度も継続で児童一人一人に対し、ア、価値の理解、イ、価値と自分との関わり、ウ、価値を発展的に捉える、の3観点評価を実施している(2月15日付『日本教育新聞』)。
 ◆ 政権側の狙う"愛国心"を聖域化させてはいけない

 通知は、道徳科では「『物事を(広い視野から)多面的・多角的に考え・・・る学習活動』における児童生徒の具体的な取組状況を、・・・見取ることが求められる」とも言う。これはもっともなことだ。
 しかし、肝心の道徳の小中学校学習指導要領は、(1)多様な見方や考え方のできる事柄について、特定の見方や考え方に偏った指導を行うことのないようにすること、(2)多様な見方や考え方のできる事柄を取り扱う場合には、特定の見方や考え方に偏った取扱いがなされていないものであること、と明記してしまっている。
 (1)は指導上の配慮事項、(2)は教材選定の観点を示している箇所だが、指導要領の教育現場を委縮させるこういう言い方は、15年10月29日の主権者教育に関する通知の書き振りと酷似している(【注2】参照)。
 憲法と改定前教育基本法に基づき実践・研究活動を進めている教育科学研究会が8月7日・8日、大東文化大で開いた全国大会の道徳教育の部会で、この(1)(2)を巡る問題点が取り上げられた。
 藤田昌士(しょうじ)元立教大教授は、吉田内閣の意向を受け、1951年に当時の天野貞祐(ていゆう)文相が出した"国民実践要領"草案(【注3】参照)を走りとする、政府や財界の"愛国心教育"強調の経過の具体例(【注4】参照)を挙げた後、
 「文科省は政府の言う"愛国心"をいわば"政府見解"として『多様な見方や考え方』の埒(らち)外(聖域)に置き、それと異なる授業を『特定の見方や考え方に偏った指導』と称し排除してくるのでないか」と指摘。
 そして、藤田さんは「17年3月に検定結果が公表となる小学校道徳教科書を含め、『多様な価値観の尊重』の実態を仔細に検討する必要がある」と述べた。
 また藤田さんは、「多様な価値観の、時に対立がある場合を含めて、誠実にそれらの価値に向き合い、道徳としての問題を考え続ける姿勢こそ道徳教育で養うべき基本的資質である」との14年10月の中教審答申の文言を引き、「それならば”愛国心”や”伝統”についても児童生徒が多様な、あるいは対立する捉え方に接し、自主的に探究する出発点を保障することと、それを可能にする教員の創造的な教育実践の自由が不可欠だ」と述べた。
 文科省は道徳の授業公開を提唱。ならば、こういう機会に保護者・研究者はもとより、一般市民も授業参観し、授業後の研究協議会・講演会等で意見を述べる等し、ナショナリズムの強制から児童生徒を守る取り組みも必要ではないか。
 【注1】 『報告』・通知とも、道徳の評価を入試では「調査書(注、いわゆる内申書)に記載せず、合否判定に活用することのないようにする」と明記したのは一定、評価できる。だが『報告』は、道徳の評価を公簿である指導要録(通知表や調査書の原本に当たる)に記述する旨、謳(うた)っているので、通知が別の箇所で「児童生徒自身が・・・気にすることなく」と言う、その評価を児童生徒が「気にする」恐れは払拭できない。
 【注2】 小松親次郎初中局長名・主権者教育に関する通知「第2の4」の後段は、授業で「多様な見解」を取り扱うことにより、「指導が全体として特定の政治上の主義若しくは施策又は特定の政党や政治的団体等を支持し、又は反対することとならないよう留意すること」とわざわざ主張。
 【注3】 51年11月17日付『読売新聞』が暴いた天野氏の"国民実践要領"草案は、「天皇の地位は国家の象徴として道徳的中心たる性格をもっている」と明記。国会内外で批判が湧き起こり、天野氏は11月27日に白紙撤回した。
 【注4】政府や財界の"愛国心教育"強調の具体例を、教育科学研究会の資料から以下、時系列でピックアップする。
 ①「道徳の時間」特設の前年、松永東(とう)文相がその目的を「民族意識、愛国心高揚のため」と記者会見で言明(57年8月)、
 ②66年10月の中教審答申"期待される人間像"が「天皇への敬愛の念をつきつめていけば、それは日本国への敬愛の念に通ずる」と主張、
 ③76年版『防衛白書』が「国を守る気概としての愛国心」を明記、
 ④日本経団連が07年1月、"愛国心"強制の『希望の国、日本』を発表、
 ⑤12年4月の自民党改憲草案が「日本国は・・・天皇を戴(いただ)く国家であって」と明記。
『マスコミ市民』2016年9月号

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