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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

東京シューレの生徒「いじめ」についての発言

2013年01月30日 | こども危機
 ◆ 「死ぬ」よりも「休む」選択を取ってほしい
 ◆ 私がいじめを受け始めたのは・・・
 私がいじめを受け始めたのは中学1年の時でした。私は、アトピーで、そのことに対してクラスの男の子たちから掻くマネをされたり、「気持ちが悪い」などと言われました。それが1回で終わらず毎日続いていました
 他にも上履きを隠されたり、理科室での授業の時に、いじめる人といつも一緒のグループになってしまい、嫌な言葉を言われることもありました。そのときの私の気持ちを一言で言い表すのは難しいけれど、苦しい・嫌だな・消えたいとかいろいうな感情が混ざり合っていました
 理由はわからないけれど、親や先生に話すことができませんでした。親にいじめられていることを話せないまま、学校に行きたくないと思った私は、お腹が痛いとか他の理由を言って学校を休むようになりました。
 ◆ 学校に行かない後ろめたさがある
 なぜ学校に行きたくないことをストレートに言わなかったのかというと、それ以前に「学校に行きたくない」と親に伝えたら、引っ張って連れて行かれた経験があったからです。だから休ませてもらえないと思ったことと、私自身も学校に行くことは当然だと思っていたからです。
 そのときから担任の先生と始めた交換日記をきっかけにして、いじめられていることを先生や親に伝えることはできましたが、学校に行きたくない私の気持ちは変わりませんでした。
 学校を休み続けることに対して、先生や親はそこまで学校に行くことを強制してはきませんでした。だけど、祖母からは「学校には行きなさい」「何で行かないの」と言われました。
 学校へ行かないことへの後ろめたさのようなものは、常にありました。家ではお昼ごろに起きてテレビを見たり、パソコンをして過ごしていましたが、それは苦しい気持をごまかすためでもありました。
 ◆ 不登校の会
 しばらくして、親が地域の不登校の親の会に参加し、そこで夏の全国交流合宿があることを知り、親子で参加しました。
 そのとき、東京シューレの子ども達が創った子どもの権利をテーマにした劇を見て「生き生きしてていいな、ここに行きたい」と思って見学し、入会しました。シューレには、いくつかスペースがあり、私が入ったのは流山シューレ(現在は、柏の葉シューレ)でした。
 最初の頃は、やはり学校でいじめを受けたこともあって、周囲になじむことが難しいものがありました。でもスタッフとの出会いもあり、自分を否定したり傷つけたりしない場であることを知って安心でき、少しずつ自分のありのままを出せるようになったのです。
 その後、中学3年のとき、東京シューレ葛飾中学校にも1年間通いました。卒業後、柏の葉シューレに、今は王子シューレに通っています。シューレでは、バンドをやったり、ゆっくりしたり、スタッフや友人と話したりしています。
 ◆ フリースクール
 2010年には不登校をテーマにした映画をみんなで製作し、私は自分が経験したいじめを脚本にしました。
 私はこの映画を通して「いじめ」という言葉だけでなく、その中身や本人の気持ちについてもちゃんと知ってほしかったのです。そして、ささいなことでも「いじめ」になりうるんだということを伝えたいと思いました。
 今は、フリースクールの活動を土台にして高校の卒業資格が取得できるコースにも参加しています。
 夏には本校がある北海道ヘスクーリングに行ってきました。カヌーに乗ったり、旭山動物園へ行ったりして楽しかったです。
 すぐ後に開かれた夏の全国交流合宿にも参加し、急拠開いて行った「いじめ・いじめ自殺を考える緊急集会」では、自分の経験や思いを発言しました。
 ◆ 話を聞いて
 最後に、私がいじめについて思うことは、まずいじめを受けた時に「死ぬ」という選択肢を取る前に「休む」という選択肢を取ってほしいし、大人にもそれを認めてほしいのです。
 二つ目に、自分の子どもや生徒がいじめられていることを話してくれたら否定せずにちゃんと話を聞いてほしいということです。すぐに「学校に行きなさい」とは言わないでください。
 三つ目に、学習や学びは学校でやることが全てではなく、生きているなかで、学校外でも多くのことを学んでいることを知ってほしいです。
(東京シューレ松本萌)

『週刊新社会』(2013/1/22)

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