こんばんは。増田です、ちょっと長いんですけど、この2日間の活動報告です!
23日(土)は、午後6時から「国連大前座り込み強制退去2周年 日本の難民行政を変えよう! 9・23市民集会」という長い名前の集会に参加しました。参加者は50名強でしょうか。ジャマルさんの支援の会を中心に、ジャマルさんのアピール、クルド人2家族を支援する会のアピール、難民申請をしている一人一人の方の自己紹介とアピールがありました。
それぞれの方の重い人生・・・それぞれの国の迫害から逃れて日本に救いを求めて、はるばるとやってきたのに、難民条約を批准している日本という「国」の、あまりにも冷たい非人道的な扱い・・・聞いていると深く考えさせられました。イラン軍戦車隊の指揮官としてアメリカにも留学したことのある(もちろん英語ペラペラ、その上、日本語も!)クルド人の方は、「クルド民主党」員として、逮捕・拷問の危険が迫り、朝、旅行者に電話してチケットを買い、昼にはイランを発って、その頃はビザなしで来られた日本にやってきたのだそうです。それからの何年もの苦労・・・難民申請をしている方たちは、皆、同じような艱難辛苦に耐えてこられたのに・・・報いようとしない日本という「国」。それぞれに有能で真面目な人たちを生かせない、どころか、収容所に入れてさらに迫害を加える日本という「国」。これで「国際貢献」!? だの、「国連安保常任理事国になりたい」!? だなんて言うんですから・・・
東京全労協議長の押田さん(東京清掃労組)の連帯の挨拶もありました。ジャマルさん署名もたくさん集めてくださいましたし、私の解雇撤回署名もたくさん集めていただいています。私は最後に5分間、連帯のアピールをして、私の解雇撤回署名の要請をしました。最後に言ったのは以下です。
「今、安倍新政権が誕生しようとしています。小泉は最低でしたが、安倍は最悪です。小泉は『侵略と植民地支配』を口先だけでも『反省』と言いましたが、安倍はそれすら言いません。あの『歴史偽造』教科書、扶桑社教科書作りを推進したのは安倍なんですから。
彼は『美しい国へ』なんぞと言いますけど、本当に『美しい国』とは、みんなが平等で人権が保障されている国です。安倍が目指すのは歴史を偽造し、戦争する国へと向かって人権の保障されない、より『恥ずかしい国へ』です。
私たちこそ、人権の保障された『美しい国』を作る活動をしているのです。国籍など関係なく、真に人権の保障された『国』にしていくために連帯して闘っていきましょう!」
皆さん、快く署名に応じてくださいました。講演された千葉大教員の渋谷 望さん(30代後半から40代前半かな?)は、留学体験からオーストラリアの難民支援運動について紹介されていましたが、会が終わって私が署名集めをお願いしますと、これも快く応じてくださいました! 家に帰り着いたのは午後11時。
さて、24日(日)、本日は、午前9時半、松戸駅改札口に集合! 実は、『我孫子の文化を守る会』主催の『史跡文学散歩 ―水戸街道、松戸宿を歩く―』というフィールドワークに参加したのでした。今までも、我孫子市の広報に案内が載っていたのですが、いつも日曜日なので、次の週の都教委ミニアイヒマンたちとのデス・マッチを思うと、疲労してはならない、と自主規制したため、一度も参加できなかったのでしたのでした。
もう『24時間、闘えます!』なんですから、なんの後顧の憂いなく、趣味の史跡探訪も思いのまま!? というわけで、爽やかな秋晴れ、金木犀の花の香りの漂う中、松戸を半日、歩いてきました。
先ず最初に、駅から5分の高台にある聖徳大学の門を入って直ぐの経世塚。1538年・64年の北条氏綱・氏康と里見&足利義明軍の国府台合戦の戦死者の塚と、いわれているそうです。どちらも北条の勝利で北条の関東における覇権を決定づけたものですが、死者千人とか・・・いつの世も「兵やあわれ、兵の死ぬるやあわれ」・・・支配者に駆り出され、たった一つの宝である命を捨てさせられる・・・
次に、ここから数分の松戸中央公園。なんと、ここが陸軍工兵学校跡だそうです。入り口の石の門と、そばの歩哨用の石造りの建物のみが、それを示すものだそうで、言われなければ分かりません。そういえば5月3日の松戸の憲法集会で講演された澤地久枝さんが、少女時代「ここの近くにある陸軍工兵学校に学徒動員で、きていました」と言われていたのが、ここだった! のでした。
そこから、戸定(とじょう)邸に向かいます。水戸徳川家の最後の藩主・徳川昭武(慶喜の異父弟で18男だそうです)が、長男に水戸家を譲った跡、ここに死ぬまで住んでいたお屋敷です。昭武については城山三郎の「渋沢栄一伝」にけっこう出ていました。実は、いつか行ってみたいと思っていた所で、これがスケジュールに入っていたので、即、参加を決めたのでした。敷地2千百坪!? 建坪220坪!? 日本最初の和洋折衷庭園だといわれている庭園が本当に素晴らしかったです。降りることはできないので、お屋敷から眺めるだけですけど。富士の見える日もあり、慶喜も、ここが気に入っていて、何回も来たそうです。
ガイドさんが案内してくださるのですが、部屋数が23!? そのうち、お風呂を写真撮影していたら・・・これ、本当に大名のお風呂で・・・つまり、たぶん、お付きのものが、ちょっと上のところで控えているに違いない、というもので、まったく、普通の家庭の風呂と違い、おもしろく、夢中でデジカメで撮っていたら、気がつくと、みんないなくなっていました。慌てて追いつこうと焦ったら、迷子になってしまい、ますます焦ってしまいましたが、ぐるぐる回っているうちに追いついて、ホッ!
その他、茶室(入ることはできません)、竹林のそばの東屋(ここで休憩していたら左足を3ヵ所も蚊に食われてしまった!?)など、本当に風情があります! おススメ! 松戸駅から歩いて10分の近さでした。
それから、松戸神社。水戸光圀が奉納した、という弓が神社正面左側の壁に打ち付けてありました。でも、それが本物だったら雨風に打たれる外壁に打ち付けるものかな? という疑問は残りましたけど。ふつー、そういうのって『神社宝物』ってするような気が・・・有栖川宮熾仁が、東北征伐に出かけたときに立ち寄って揮毫した、という額は「一般人には見せない」と、ガイドの方は言ってました。次に松戸宿本陣跡。実は何もありません。
あと宝光院というお寺。千葉周作の父親である浦山寿貞の、本当に小さな小さなお墓がありました。最後は江戸川土手の上を歩き(風が吹き渡り、広々とした河川敷は、とっても気持ちよかったです)河岸跡と、遊郭跡(もちろん、何にも残っていません)を見ました・・・「盛んな時期には旅籠屋13軒」に対して「33軒の遊郭があったと伝えられる。昭和33年の売春禁止法でなくなった」とか・・・ムムム・・・そういう「需要の存在」が、いつも???? です。
というわけで、毎日、充実してます!
23日(土)は、午後6時から「国連大前座り込み強制退去2周年 日本の難民行政を変えよう! 9・23市民集会」という長い名前の集会に参加しました。参加者は50名強でしょうか。ジャマルさんの支援の会を中心に、ジャマルさんのアピール、クルド人2家族を支援する会のアピール、難民申請をしている一人一人の方の自己紹介とアピールがありました。
それぞれの方の重い人生・・・それぞれの国の迫害から逃れて日本に救いを求めて、はるばるとやってきたのに、難民条約を批准している日本という「国」の、あまりにも冷たい非人道的な扱い・・・聞いていると深く考えさせられました。イラン軍戦車隊の指揮官としてアメリカにも留学したことのある(もちろん英語ペラペラ、その上、日本語も!)クルド人の方は、「クルド民主党」員として、逮捕・拷問の危険が迫り、朝、旅行者に電話してチケットを買い、昼にはイランを発って、その頃はビザなしで来られた日本にやってきたのだそうです。それからの何年もの苦労・・・難民申請をしている方たちは、皆、同じような艱難辛苦に耐えてこられたのに・・・報いようとしない日本という「国」。それぞれに有能で真面目な人たちを生かせない、どころか、収容所に入れてさらに迫害を加える日本という「国」。これで「国際貢献」!? だの、「国連安保常任理事国になりたい」!? だなんて言うんですから・・・
東京全労協議長の押田さん(東京清掃労組)の連帯の挨拶もありました。ジャマルさん署名もたくさん集めてくださいましたし、私の解雇撤回署名もたくさん集めていただいています。私は最後に5分間、連帯のアピールをして、私の解雇撤回署名の要請をしました。最後に言ったのは以下です。
「今、安倍新政権が誕生しようとしています。小泉は最低でしたが、安倍は最悪です。小泉は『侵略と植民地支配』を口先だけでも『反省』と言いましたが、安倍はそれすら言いません。あの『歴史偽造』教科書、扶桑社教科書作りを推進したのは安倍なんですから。
彼は『美しい国へ』なんぞと言いますけど、本当に『美しい国』とは、みんなが平等で人権が保障されている国です。安倍が目指すのは歴史を偽造し、戦争する国へと向かって人権の保障されない、より『恥ずかしい国へ』です。
私たちこそ、人権の保障された『美しい国』を作る活動をしているのです。国籍など関係なく、真に人権の保障された『国』にしていくために連帯して闘っていきましょう!」
皆さん、快く署名に応じてくださいました。講演された千葉大教員の渋谷 望さん(30代後半から40代前半かな?)は、留学体験からオーストラリアの難民支援運動について紹介されていましたが、会が終わって私が署名集めをお願いしますと、これも快く応じてくださいました! 家に帰り着いたのは午後11時。
さて、24日(日)、本日は、午前9時半、松戸駅改札口に集合! 実は、『我孫子の文化を守る会』主催の『史跡文学散歩 ―水戸街道、松戸宿を歩く―』というフィールドワークに参加したのでした。今までも、我孫子市の広報に案内が載っていたのですが、いつも日曜日なので、次の週の都教委ミニアイヒマンたちとのデス・マッチを思うと、疲労してはならない、と自主規制したため、一度も参加できなかったのでしたのでした。
もう『24時間、闘えます!』なんですから、なんの後顧の憂いなく、趣味の史跡探訪も思いのまま!? というわけで、爽やかな秋晴れ、金木犀の花の香りの漂う中、松戸を半日、歩いてきました。
先ず最初に、駅から5分の高台にある聖徳大学の門を入って直ぐの経世塚。1538年・64年の北条氏綱・氏康と里見&足利義明軍の国府台合戦の戦死者の塚と、いわれているそうです。どちらも北条の勝利で北条の関東における覇権を決定づけたものですが、死者千人とか・・・いつの世も「兵やあわれ、兵の死ぬるやあわれ」・・・支配者に駆り出され、たった一つの宝である命を捨てさせられる・・・
次に、ここから数分の松戸中央公園。なんと、ここが陸軍工兵学校跡だそうです。入り口の石の門と、そばの歩哨用の石造りの建物のみが、それを示すものだそうで、言われなければ分かりません。そういえば5月3日の松戸の憲法集会で講演された澤地久枝さんが、少女時代「ここの近くにある陸軍工兵学校に学徒動員で、きていました」と言われていたのが、ここだった! のでした。
そこから、戸定(とじょう)邸に向かいます。水戸徳川家の最後の藩主・徳川昭武(慶喜の異父弟で18男だそうです)が、長男に水戸家を譲った跡、ここに死ぬまで住んでいたお屋敷です。昭武については城山三郎の「渋沢栄一伝」にけっこう出ていました。実は、いつか行ってみたいと思っていた所で、これがスケジュールに入っていたので、即、参加を決めたのでした。敷地2千百坪!? 建坪220坪!? 日本最初の和洋折衷庭園だといわれている庭園が本当に素晴らしかったです。降りることはできないので、お屋敷から眺めるだけですけど。富士の見える日もあり、慶喜も、ここが気に入っていて、何回も来たそうです。
ガイドさんが案内してくださるのですが、部屋数が23!? そのうち、お風呂を写真撮影していたら・・・これ、本当に大名のお風呂で・・・つまり、たぶん、お付きのものが、ちょっと上のところで控えているに違いない、というもので、まったく、普通の家庭の風呂と違い、おもしろく、夢中でデジカメで撮っていたら、気がつくと、みんないなくなっていました。慌てて追いつこうと焦ったら、迷子になってしまい、ますます焦ってしまいましたが、ぐるぐる回っているうちに追いついて、ホッ!
その他、茶室(入ることはできません)、竹林のそばの東屋(ここで休憩していたら左足を3ヵ所も蚊に食われてしまった!?)など、本当に風情があります! おススメ! 松戸駅から歩いて10分の近さでした。
それから、松戸神社。水戸光圀が奉納した、という弓が神社正面左側の壁に打ち付けてありました。でも、それが本物だったら雨風に打たれる外壁に打ち付けるものかな? という疑問は残りましたけど。ふつー、そういうのって『神社宝物』ってするような気が・・・有栖川宮熾仁が、東北征伐に出かけたときに立ち寄って揮毫した、という額は「一般人には見せない」と、ガイドの方は言ってました。次に松戸宿本陣跡。実は何もありません。
あと宝光院というお寺。千葉周作の父親である浦山寿貞の、本当に小さな小さなお墓がありました。最後は江戸川土手の上を歩き(風が吹き渡り、広々とした河川敷は、とっても気持ちよかったです)河岸跡と、遊郭跡(もちろん、何にも残っていません)を見ました・・・「盛んな時期には旅籠屋13軒」に対して「33軒の遊郭があったと伝えられる。昭和33年の売春禁止法でなくなった」とか・・・ムムム・・・そういう「需要の存在」が、いつも???? です。
というわけで、毎日、充実してます!
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