◆ 高江刑特法弾圧は、不起訴 (『月刊救援』から)
高江刑特法事件は八月二八日付で不起訴となった。仲間の皆さん、全国の支援者の皆さん、弁護団の皆さんありがとうございました。
逮捕後、留置場での扱いはひどく、毎日遠くから届く皆さんの激励コールにはとても励まされた。感謝しかありません。
二〇〇七年七月から始まった高江ヘリパッド建設反対の座り込みは満一三年を超えて今も続けられている。
高江区民総会での二度の反対決議、村長の反対公約撤回の裏切り、国による高江住民に対するSLAPP訴訟などを経て、二〇一六年一二月に六か所のヘリパッドは一応完成した。
一応と言うのは、二〇一六年の完成及び北部訓練場の半分四〇〇〇ヘクタールの返還式典までには本当には完成してはいなかったのだ。
市民の抵抗によってなかなか進まなかったヘリパッド建設工事は、二〇一六年の七月二二日に全国六都府県から派遣された五〇〇人の機勤隊及び沖縄県機動隊によって、ここはどこの国なのか本当に日本国なのかと思うほどの暴力的弾圧によって開始された。
しかし、N-1表ゲートでは排除されても排除されても戻っては座り込み、N-1裏ゲートからは直接基地内の工事現場に数十人が入り込んで阻止行動が繰り返された。
そのような状況での工事が杜撰で無いわけはなく、二〇二〇年の七月まで手直し工事が続いて来たのである。
沖縄防衛局は七月三一日で工事は完了し、今後の工事予定は無いと発表した。当初予算六億円は約一〇〇億円にまで増えた。
現在、N-1裏ゲートはフェンスで閉め切られ、N-1表ゲートには米軍だけが鍵を持っている車止めが立ち並んでいて、今のところ車両の出入りは確認されていない。
六基のヘリパッドが完成して高江住民が感じる騒音被害は以前の一〇倍になったと言う人もいるほどだ。森林内での訓練の音や爆発音も増えた。
「ヘリパッドいらない」住民の会は工事が終わっても抗議の意思を示すためN-1表ゲート前のテントで毎日座り込みを続けている。
この座り込みは相当米軍の気に障るらしく、去年は二度直接米軍によってテントや備品が夜間ごっそりと持ち去られた。
住民の会は北部訓練場全面返還まで続ける決意である。
去年一二月と今年二月に「正当な理由なく北訓練場に侵入した」として刑特法二条違反容疑でのべ一一名が逮捕され、別に二名が取り調べを受けた。二度ともヘリパッドG・H・N-1地区を通ったからである。
私たちには「正当な理由」があった。
国家権力による弾圧によって強行され、大切な自然が破壊された森の実態を知り、発信する必要があったのだ。
一例を挙げると、当初○・八メートル幅での伐採予定だったモノレールルートは車両かすれ違えるほどの道路になっており、幅一〇メートルを超える場所もあった。
一九五七年に北部訓練場は使用開始されたが他の米軍基地と同様に沖縄人の意思はまったく無視された。明治時代にヤンバルの住民をだまして国有地にした土地を勝手に米軍に提供したのだ。
日本本土にあった訓練場を移転した結果、本土の基地負担は軽くなり沖縄の負担は増えた。今、目の前に基地がない本土の人たちはこれを知っているだろうか。
この森は王朝時代、王府の周到な体制のもとで管理され、自然を守りつつ林産物を産出していた杣山なのだ。
私たちには、日本政府や米軍のものでは無い私たちの山を歩く当然の権利がある。北部訓練場の存在そのものに「正当な理由」が無いのである。
今回の逮捕は、一一名だけの問題ではなく、平和のために活動している人々皆に対する弾圧である。
一一名を含む私たちはしばしば北部訓練場のメインゲートを封鎖し、米軍車両を止めて米軍に直接抗議するという活動もしていた。これには海外からの参加者もいた。
沖縄防衛局がやめさせたかったのは実はこの活動ではないかと言う人もいるくらい米軍には嫌がられ、非力で武器も持たない私たちはテロリストと呼ばれていた。
不起訴と決まるまでは被疑者同士の接触は禁止となっていて活動の現場では多大な不自由を強いられていた。
この間「あつまれ辺野古」では様々な資料や学者の論文を集め起訴されても闘う準備をしてきた。そして学習するほどに有罪にはできないだろうという手応えが感じられて来た矢先の不起訴決定である。
私たちは更に学習を重ね、この事件でいささかほころびかけた団結を修復し、国の弾圧に負けない平和運動をつくっていこうと思う。
(「あつまれ辺野古」儀保 昇)
『月刊救援 618号』(2020年10月10日)
高江刑特法事件は八月二八日付で不起訴となった。仲間の皆さん、全国の支援者の皆さん、弁護団の皆さんありがとうございました。
逮捕後、留置場での扱いはひどく、毎日遠くから届く皆さんの激励コールにはとても励まされた。感謝しかありません。
二〇〇七年七月から始まった高江ヘリパッド建設反対の座り込みは満一三年を超えて今も続けられている。
高江区民総会での二度の反対決議、村長の反対公約撤回の裏切り、国による高江住民に対するSLAPP訴訟などを経て、二〇一六年一二月に六か所のヘリパッドは一応完成した。
一応と言うのは、二〇一六年の完成及び北部訓練場の半分四〇〇〇ヘクタールの返還式典までには本当には完成してはいなかったのだ。
市民の抵抗によってなかなか進まなかったヘリパッド建設工事は、二〇一六年の七月二二日に全国六都府県から派遣された五〇〇人の機勤隊及び沖縄県機動隊によって、ここはどこの国なのか本当に日本国なのかと思うほどの暴力的弾圧によって開始された。
しかし、N-1表ゲートでは排除されても排除されても戻っては座り込み、N-1裏ゲートからは直接基地内の工事現場に数十人が入り込んで阻止行動が繰り返された。
そのような状況での工事が杜撰で無いわけはなく、二〇二〇年の七月まで手直し工事が続いて来たのである。
沖縄防衛局は七月三一日で工事は完了し、今後の工事予定は無いと発表した。当初予算六億円は約一〇〇億円にまで増えた。
現在、N-1裏ゲートはフェンスで閉め切られ、N-1表ゲートには米軍だけが鍵を持っている車止めが立ち並んでいて、今のところ車両の出入りは確認されていない。
六基のヘリパッドが完成して高江住民が感じる騒音被害は以前の一〇倍になったと言う人もいるほどだ。森林内での訓練の音や爆発音も増えた。
「ヘリパッドいらない」住民の会は工事が終わっても抗議の意思を示すためN-1表ゲート前のテントで毎日座り込みを続けている。
この座り込みは相当米軍の気に障るらしく、去年は二度直接米軍によってテントや備品が夜間ごっそりと持ち去られた。
住民の会は北部訓練場全面返還まで続ける決意である。
去年一二月と今年二月に「正当な理由なく北訓練場に侵入した」として刑特法二条違反容疑でのべ一一名が逮捕され、別に二名が取り調べを受けた。二度ともヘリパッドG・H・N-1地区を通ったからである。
私たちには「正当な理由」があった。
国家権力による弾圧によって強行され、大切な自然が破壊された森の実態を知り、発信する必要があったのだ。
一例を挙げると、当初○・八メートル幅での伐採予定だったモノレールルートは車両かすれ違えるほどの道路になっており、幅一〇メートルを超える場所もあった。
一九五七年に北部訓練場は使用開始されたが他の米軍基地と同様に沖縄人の意思はまったく無視された。明治時代にヤンバルの住民をだまして国有地にした土地を勝手に米軍に提供したのだ。
日本本土にあった訓練場を移転した結果、本土の基地負担は軽くなり沖縄の負担は増えた。今、目の前に基地がない本土の人たちはこれを知っているだろうか。
この森は王朝時代、王府の周到な体制のもとで管理され、自然を守りつつ林産物を産出していた杣山なのだ。
私たちには、日本政府や米軍のものでは無い私たちの山を歩く当然の権利がある。北部訓練場の存在そのものに「正当な理由」が無いのである。
今回の逮捕は、一一名だけの問題ではなく、平和のために活動している人々皆に対する弾圧である。
一一名を含む私たちはしばしば北部訓練場のメインゲートを封鎖し、米軍車両を止めて米軍に直接抗議するという活動もしていた。これには海外からの参加者もいた。
沖縄防衛局がやめさせたかったのは実はこの活動ではないかと言う人もいるくらい米軍には嫌がられ、非力で武器も持たない私たちはテロリストと呼ばれていた。
不起訴と決まるまでは被疑者同士の接触は禁止となっていて活動の現場では多大な不自由を強いられていた。
この間「あつまれ辺野古」では様々な資料や学者の論文を集め起訴されても闘う準備をしてきた。そして学習するほどに有罪にはできないだろうという手応えが感じられて来た矢先の不起訴決定である。
私たちは更に学習を重ね、この事件でいささかほころびかけた団結を修復し、国の弾圧に負けない平和運動をつくっていこうと思う。
(「あつまれ辺野古」儀保 昇)
『月刊救援 618号』(2020年10月10日)
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