《 前田 朗 さんから》
☆ 今回、下記の論文を掲載してもらいました。
前田朗「差別とヘイトのない社会をめざして(18)変わり始めた憲法学――レイシズム憲法学から非差別憲法学へ」『人権と生活』59号
10数年前、代表的な憲法教科書を調べたところ、ヘイト・スピーチの文字はなく、差別表現は自由であるというのが圧倒的多数でした。
差別表現やヘイト・スピーチには被害がないと断定する論者もいました。
ヘイト・スピーチ規制否定論が定説とされていました。
差別を擁護するレイシズム憲法学が蔓延していたのです(詳しくは、前田『ヘイト・スピーチ法研究序説』参照)。
その後、ヘイト・スピーチ関連の論文数十本を調査してきました。
この10年間に、ヘイト・スピーチの被害を認め、民事規制や行政規制などの規制の必要性を認める見解が徐々に増えてきました。一部には刑事規制も可能とする見解も登場しました。
レイシズム憲法学から非差別憲法学への変化が始まりました(詳しくは、前田『ヘイト・スピーチ法研究原論』『ヘイト・スピーチ法研究要綱』参照)。
論文の状況が大きく変化したので、今回ふたたび憲法教科書を調査しました。
最近の7冊の憲法教科書には、いずれもヘイト・スピーチという項目が設けられています。
とりあげたのは、青井未帆、毛利透、君塚正臣、吉原裕樹、松本和彦、木村草太、清水雅彦の見解です。
いずれも優れた著作で、学ぶべきところが多々ありますが、私の論文では、ヘイト・スピーチについてだけ取り上げました。
ヘイト・スピーチの民事規制や行政規制に前向きの教科書が普通になりました。
刑事規制を積極的に示す教科書はまだですが、刑事規制も不可能ではないという見解が増えていることに言及がなされています。
そこで表題を「変わり始めた憲法学――レイシズム憲法学から非差別憲法学へ」としました。
単純なヘイト・スピーチ規制否定論は少数派になりつつあります。
とはいえ、規制積極説が多数になった訳ではありません。
中間説と称する見解が増えていると言えるかもしれません。
ともあれ、露骨なレイシズム憲法学は遺物と化しつつあります。
さらに「反差別憲法学」への移行が必要ですが、まだ反差別憲法学と言える憲法教科書はないようです。
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