パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

ほっととーく 野田証人尋問

2009年03月22日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 東京都は卒業式・入学式での「日の丸・君が代」強制をやめよ!
 ●3月23日(月)北特別支援学校卒業式

  校門前でビラまき 朝7時30分~9時30分
 ●3月28日(土)集会・デモ
  11時~12時 集会:北とぴあ701号室(王子駅北口1分)
  12時~1時 デモ行進:王子駅から十条へ


 【2月18日「日の丸・君が代」05処分裁判】
  ◎ 野田正彰さん証人尋問


 朝8時から東京地裁前でのビラまき(30人余)を終え,沢山の傍聴者と抽選に並び,セキュリティの為の長い列に並ばされようやく10時開廷3分前にすべりこんだ。
 久々の野田先生だ。小学校のピアノ教師Sさんに負けず劣らず,私も野田ファンなのである。裁判長の告げる前にさっさと宣誓してしまおうなんて,いかにも野田先生らしくはじまった。まず澤藤弁護士の13人のききとり調査をしてどう感じたか,という問いから。
 職業倫理を確立された方々で,それを打ち砕かれたという思いを持っておられる。その喪失感から精神的,身体的苦痛が症状としてあらわれている,という強い印象を受けた。
 他の仕事もそうだが教師になるというのは2つの段階がある。第1段階は合格して教師になる時。世間の人は,これでみな教師になった位に思っているが実は違う。一人一人が自分の教師像をつくってはじめて教師になったと言える。これには20年近くの歳月がかかる。
 こうして作ってきた自分の教師像,教師が子どもとの関わりの中でやろうとしたことがむしばまれ解体された。10・23通達とは,いわば職業倫理の喪失であり教育の解体の象徴であった
 命令が下された時,無視したり跳ね返すことができれぱ葛藤はない。しかし強いカによって押さえ込まれた時,最初は,ウソじゃないかと否認の構えがでる。だが現実は迫りくる。
 すると次にこんなことがあっていいはずがないと怒りがわいてくる。無表情に繰り返す校長を前に,次第に全体的に抑うつ的になる
 そして当日,強い葛藤にさらされる。従うわけにはいかない,でももし座ったら教師生命は奪われるのではと強い不安
 この葛藤の中で,攻撃に対してせいぜいやれるのは立たないという位しかなかった。立つことができなかった,つまり防御的に不起立だった,ということなのである。
 しかも,不起立して学校が変われば社会的意義も感じるが変わらない。だから不起立しても決して自分が守られた,という思いは出てこない。焦燥感,意欲感情の低下の中でも,なおかつがんばって生きていかなければならず苦しむ。
 葛藤を抱えながら起立する人もいる。もはやこの人たちも今までの自分ではいられない。自分の教師像とは違う姿でしかし様々なことのためにこれからも働き続けなければならない,いわば生きる屍になる,苦痛はあとあとまでも続いていくのだ。
 一方,葛藤を感じない教師もいる。教師としての職業倫理を作っていない人,あるいは縦の命令は制度だ,と思っている人には葛藤はない。
 職業倫理を確立した教師たちが強い暴力によって教師としてあるべきだと思っていた態度を喪失させられ,あれ以来自分は変わってしまった,本当の意味で前のように生き生きとしている自分はいないといつも抑圧された状態におかれ,心身に症状をあらわす。
 私は、「君が代症候群」と呼びたい。少数者への強い暴力がずっと続き,二重三重に重積する日本特有の社会病理としてある。思考停止→否認→不安→怒り→抑うつと進み,内向して攻撃性を自分に向ける,その極端な場合が自殺だが,うつ状態になる。
 東京都では2003年以降,うつによる休職者が増えている。これは親や杜会が原因ではない。東京都教育委員会が負荷をかけているからだ教育行政は働いている人間を壊している
 子どもたちは教師の変化に気づき,強いものには潰される,うまく立ち回るしかない,考えていい領域と考えてはいけない領域があると思考停止を学んでいくことだろう。
 などなど,個別の事例についても,そして失笑もいいところの都教委の反対尋問など,計2時間半にわたる証言がなされた。自分たちの思いを言い得てあまりある野田先生の言葉に心の中で泣いた者も多かったのではないだろうか。(渡辺)
『ほっととーく 74』より
「良心・表現の自由を!」声をあげる市民の会

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