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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

4・25県民大会(2)

2010年04月29日 | 平和憲法
 『後から決める。』(2010/4/24)
http://blogs.yahoo.co.jp/cabiunirainejp/13017291.html
 沖縄県宜野湾市在住、那覇市の高校に通う、高校二年生です。趣味はブログ、ニュースを見る事。100均で買った辞書で、韓国語を勉強していますが、なかなか覚えられません。
 ☆ 4・25県民大会 (2)


 先日、学校行事「遠足」で西原町のビーチに行ってきた。
 まさか高校二年生になってまで「遠足」なる行事があるとは思ってもいなかったし、さらに旅行先が宜野湾市の近隣自治体である西原町とあって、さすがに遠足独特の「ワクワク感」というのは感じられなかった。西原と宜野湾では全く町の雰囲気も違うし、写真のように、東シナ海沿いの宜野湾ほど開発の進んでいない美しいビーチもあるのだけれど、やはり、どうせ行くなら遠出の方が良かった。しかし那覇の高校生にしてみれば、西原でも十分に遠出なのだろう。
 太平洋沿いの西原町と東シナ海沿いの宜野湾市では、近隣にあっても全く町の雰囲気が違うと言ったが、それはある場面においては例外でもある。それは、米軍基地のヘリコプターを一日に何度も目にするという事だ。
 クラスメイトがビーチバレーやらお菓子やらに気を取られている間、普天間基地から飛んできたあの米軍機は、何回頭上を通り越して行ったのだろう。それに気を取られることなく、スポーツやらお菓子やらに熱中する事が出来るということ自体、皮肉な境遇だと言えるかもしれない。我々は、随分と米軍基地に慣れさせられてしまっているようだ。
 そこで、普天間基地の方面から飛んでくる米軍機を「故郷の風物詩」と呼ぶ、少しブラックなジョークで那覇在住の先生の笑いを取ろうとしたところ、那覇にも気がつかないだけで米軍機は飛んでいると言われた。一瞬「えっ」と思ったが、なるほど、よく思い出してみれば那覇のど真ん中にいても、たまにパタパタという音が聞こえてくる事があった。宜野湾在住の僕にとっては、さすが那覇!報道ヘリコプターがよく飛んでるな、程度の感覚で見ていたのだが、あれは米軍ヘリだったのか。宜野湾で普段から米軍機を、見慣れ、そして聞き慣れすぎているのかもしれない。那覇の町で聞く様な基地の騒音を、僕は騒音だとさえ思わなくなっている。
 そうだ。僕らは基地に随分と密着して生きている。経済的にもそうだし、精神的にもそうなのだ。基地の問題については、本土沖縄ともに様々な言説があるが、我々が基地と密着して暮らしているという事実についてのみいえば、誰しも否定する事が出来ない。そして、これはあまりにも理不尽で、あまりにも危険な事であるということについても。それを積極的に言明する、言明しないの差はあるものの、現状をしっかりと確認する目と耳があれば、それは否定のしようがない。
 以前、或る大臣が、基地を移転させるのではなく、普天間基地の周辺から住民を移動させるという方法をとる事は出来ないか、等と発言したが、これが沖縄ではなく、東京辺りにある、迷惑物件の周辺住民に対しての政治家の発言だったとしたならば、内地の世論はこんなにも冷静でいられたのだろうか。大臣の発言は、現状を認識していない、明らかに異常なものだった。そして、その異常さがまかり通るのが、沖縄の米軍基地問題だ。通常の観点からいえば、明らかに異常であるとわかる様な言説が、沖縄の基地問題についてなら許されているのだろうか。僕は、そんな憤りを禁じ得ない。だいぶ前には、沖縄であった米兵の少女暴行事件に対して、保守系の産経新聞が被害者を中傷する様なビラをまいた事があった。そして、その概要は以下の様なものだった。
 「2008年3月22日、沖縄県で宅配された産経新聞と世界日報に、被害少女を批判し実名と誤解される名前が記されたチラシが折り込まれていたことがわかり、『琉球新報』に批判された。チラシは沖縄県の国旗国歌推進県民会議の惠忠久会長が依頼したもので、被害女性への批判に加え、自民党と公明党支持者は翌23日に予定されていた抗議の県民大会に参加すべきでないという内容であった。産経新聞は琉球新報の取材に対し「チラシの扱いは販売店が判断するが、公序良俗に反する内容は扱わないように注意している」と返答した[17]。」(wikipedia より。)
 僕は当時、この事件に相当な衝撃を受けたし、産経新聞という新聞の論調について知ったのもこの頃だ。話が随分とそれてしまっているが、この時感じた感情は、恐らくかなり僕の考え方にも影響を与えただろうから、あえてここで取り上げる。このやりきれない話を、あえて一つの事件としてではなく事故として扱った時、この「事故」の起きた要因は、明らかに米軍基地にあった。米軍基地のか持ち出す異常さが、あらゆる異常な言説を許容していた。米軍基地問題を取り巻く政治思想の対決が、人道上許されない考え方すら肯定してしまっていた。被害者や県民は嘆くしかない。嘆く以上の事は出来ない。
 遠足の日の帰り道、道沿いに、多くの同じ色のポスターを目にした。明日25日に、読谷村で開催される、普天間基地の即時撤去を求める集会についてのポスターである。テーマカラーはイエローだと言うから、沖縄名物のジャスミン茶でも持って行こうか。県民の世論を日米両国に伝えるチャンスがやってきた。県民にとっては、いつも嘆く事しかできない基地問題だ。今回ばかりは、嘆く以上の事をしないと。

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