<板橋高校卒業式> 杜撰きわまりない高裁判決!
☆☆ 偽証を見抜けない高裁判事は辞職せよ! ☆☆
★ 1月26日最高裁に『上告趣意書』を提出。 ★
■ 「最高裁に公正な判決を求める署名用紙」ダウンロード ↓ (PDFファイル)
http://www.sirobara.jp/090303fujita-syomei.pdf
『藤田の日記』(「名刺交換」「魚の目は」)

「支笏湖の落日」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
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2009/03/29(日) 名刺交換
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隣町に津田道夫氏がいることを知り訪ねた。昨日、会合で出会って来いと言われたからである。
79歳、自転車に乗っていた。伴侶、和子氏81歳、「昨日は酔っぱらって帰ってきた」「酔っぱらうと誰にでも家に来いという癖がある」と言う。
家に入れてもらえて、わーわーと歓談。お互いおしゃべりだからわーわーとなる。暫時して、和子氏より名刺もらう。道夫氏、私に名刺を渡すが和子氏にも差し出す。
「あなた、浅見浩と言うの、あら、そうなの」連れ添って約60年の夫婦が名刺交換してるとは、何とも傑作であった。
和子氏は吉良和子という名の俳人であった。津田道夫とは津田塾の女学生に惚れてつけた名だと言っていたがこれは冗談である。
俳句の話から、「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」の話となった。道夫氏、「目に泪」と言う。「違う、目は泪だ」と言うと、「なんだとー」となった。流石、終生の学徒、直ちに書斎に行き芭蕉全集を持参、検文に及ぶ。私、「魚の目とは、足の裏の魚の目だー」と言い募る。わーわーとなる。
郷里の話となる。「松山です」と言うと、道夫氏、「松山とは何県だー」と言う。昔、学校で能登半島の能登を読めと教師に言われて、「ののぼり」と答えて地図を指し示す棒でひっぱたたかれたそうだ。それ以来、日本地図に関しては全く不明だとのこと。たたかれてからは、頭が受け付けなくなったようだ。ソ連の地理については詳細に理解しているのに、人の頭も様々である。
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2008/05/27(火) 魚の目は
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10、20、記
・・・魚の目に泪、と記憶していた。その意味が分かったのは、この二、三年である。
強力な魚の目が出来た。ある人には説明しなくてもその痛さが十分分かるが、ない人にはいくら説明しても分からない痛みである。小石に芯が当たったりしたらそれこそ飛び上がるほど痛い。
芭蕉は、足に魚の目があったのだ。旅立ちにあたって前途の遼遠とそのことによる魚の目の痛さの限りなさを思い涙しているのだ。それこそ悲痛な旅立ちである。
調べたら、魚の目は泪、とあった。に、ではなく、は、であった。まさしく、魚の目は、泪なのであった。
安吾が書いていたのを今日、見つけた。
「芭蕉の奴、乾物屋の店先で、シッポを荒縄でくくってブラ下げた塩鮭を見やがったのかも知れないな」
間違っても隅田川の魚を見たわけでもなく、魚屋の店先を通ったのでもない。安吾も、目に泪と間違って覚えていた。
彼は言う。 ・・・足にできる魚の目のことだろう。
しかし、どうも、そう分ってみると面白くない。・・・芭蕉、隠密説があるという。魚の目のある隠密の道行きは哀しい。
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『藤田の日記』(「名刺交換」「魚の目は」)

「支笏湖の落日」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
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2009/03/29(日) 名刺交換
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隣町に津田道夫氏がいることを知り訪ねた。昨日、会合で出会って来いと言われたからである。
79歳、自転車に乗っていた。伴侶、和子氏81歳、「昨日は酔っぱらって帰ってきた」「酔っぱらうと誰にでも家に来いという癖がある」と言う。
家に入れてもらえて、わーわーと歓談。お互いおしゃべりだからわーわーとなる。暫時して、和子氏より名刺もらう。道夫氏、私に名刺を渡すが和子氏にも差し出す。
「あなた、浅見浩と言うの、あら、そうなの」連れ添って約60年の夫婦が名刺交換してるとは、何とも傑作であった。
和子氏は吉良和子という名の俳人であった。津田道夫とは津田塾の女学生に惚れてつけた名だと言っていたがこれは冗談である。
俳句の話から、「行く春や 鳥啼き魚の 目は泪」の話となった。道夫氏、「目に泪」と言う。「違う、目は泪だ」と言うと、「なんだとー」となった。流石、終生の学徒、直ちに書斎に行き芭蕉全集を持参、検文に及ぶ。私、「魚の目とは、足の裏の魚の目だー」と言い募る。わーわーとなる。
郷里の話となる。「松山です」と言うと、道夫氏、「松山とは何県だー」と言う。昔、学校で能登半島の能登を読めと教師に言われて、「ののぼり」と答えて地図を指し示す棒でひっぱたたかれたそうだ。それ以来、日本地図に関しては全く不明だとのこと。たたかれてからは、頭が受け付けなくなったようだ。ソ連の地理については詳細に理解しているのに、人の頭も様々である。
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2008/05/27(火) 魚の目は
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10、20、記
・・・魚の目に泪、と記憶していた。その意味が分かったのは、この二、三年である。
強力な魚の目が出来た。ある人には説明しなくてもその痛さが十分分かるが、ない人にはいくら説明しても分からない痛みである。小石に芯が当たったりしたらそれこそ飛び上がるほど痛い。
芭蕉は、足に魚の目があったのだ。旅立ちにあたって前途の遼遠とそのことによる魚の目の痛さの限りなさを思い涙しているのだ。それこそ悲痛な旅立ちである。
調べたら、魚の目は泪、とあった。に、ではなく、は、であった。まさしく、魚の目は、泪なのであった。
安吾が書いていたのを今日、見つけた。
「芭蕉の奴、乾物屋の店先で、シッポを荒縄でくくってブラ下げた塩鮭を見やがったのかも知れないな」
間違っても隅田川の魚を見たわけでもなく、魚屋の店先を通ったのでもない。安吾も、目に泪と間違って覚えていた。
彼は言う。 ・・・足にできる魚の目のことだろう。
しかし、どうも、そう分ってみると面白くない。・・・芭蕉、隠密説があるという。魚の目のある隠密の道行きは哀しい。
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