◆ 都教委の処分恐れ起立し、同調圧力に抗する生徒を立たせた苦悩 (マスコミ市民)
卒業式等の“君が代”不起立で東京都教育委員会から懲戒処分を受けた都立学校(高校・特別支援学校)の現・元教職員15人の不当処分取消し第5次訴訟で、東京地裁(野口宣大(のぶひろ)裁判長。傍聴者約100人)が7月4日に行った岡田正則(まさのり)早大大学院教授に対する証人尋問と、田中聡史さんら3人の現・元教諭への本人尋問の内容は、本誌8月号で詳報した。
本稿では7月18日の6人の本人尋問のうち、3人に絞り報じるが、その前に被処分者の会が8月28日に都内豊島区で開催した総会での、澤藤(さわふじ)統一郎弁護士の発言を要約し紹介する。
(1)対都教委“君が代”裁判をやって21年。「人間の尊厳とは何か、それを蹂躙(じゅうりん)する国家権力とは何か」をずっと問うてきた。原告教員一人一人が自分の人生・人格をかけて裁判に取り組んでいる、その思いを裁判官に伝え、「あなたのリーガルマインド・人権意識からいって、都教委はおかしいでしょう」と認識してもらえるよう、説得する努力をしていきたい。
(2)都教委の“君が代”強制強化で原告教員がどう苦悩しているか、真面目さや悩みを法廷で訴え、裁判官の共感を得るようにしたい。
◆ 心と体、分裂させ“君が代”起立、魂が抜け殻のように
ここから、7月18日の本人尋問について。
都教委が「教職員は式場の舞台壇上正面に掲揚した国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。国歌はピアノ伴奏で。不起立・不伴奏の教職員は懲戒処分にする」等、“君が代”強制を強化する第2次の“10・23通達”を発出した2003年10月当時、定時制高校の4年生担任で、生徒から「幸子(さちこ)」とファーストネームで呼ばれていた佐藤教諭(仮名。家庭科)は、原告側・白井劍(けん)弁護士の質問に、以下のように証言した(22年7月14日の第5回口頭弁論での意見陳述からも一部補足する)。
定時制の生徒の多くは、中学校時代まで不登校だったり問題行動を起こしたりと、教員や社会に対して良い印象を持っていない。真剣に向き合わないと欺瞞(ぎまん)や嘘はすぐ見抜かれてしまう。一日一日が真剣勝負だ。私は生徒と同じ目線で対話を繰り返すことで信頼関係ができること、信頼関係ができれば生徒も変化していくことを学んできた。
99年10月の第1次通達下の卒業式(テープやCDでの“君が代”実施や舞台壇上での国旗三脚掲揚を強制するが、校長や司会者の教員から開式前、生徒や保護者に「憲法の保障する内心(思想・良心・信教)の自由に基づく、各自の判断による不起立・一時退席の自由」を説明できた)から、がらっと変わってしまう。生徒にどう話そうか悩んでいたら、“10・23通達”はマスコミがかなり大きく報じていたので、生徒の方から「式はどうなるの?」と質問や不安の声が出てきた。そこで4年生の合同HRを行った。
1回目のHRは、不登校や引きこもりだった、大人しく真面目な生徒だけが参加。「色々変わって、教員の私には内心の自由は保障されなくなったけど、生徒の皆には内心の自由がある」と説明した。生徒からは「幸子も一緒に座ってよ」と、声が上がった。式場で司会者(の副校長や主幹教諭)が「一同起立!」の号令をかける中、立たないのは勇気が要る。私が座れば(起立強制する)都教委や校長からの同調圧力の防波堤になると思った。
翌週2回目のHRは、前の週に欠席していたヤンキーやギャルの一団が加わった。彼らは“君が代”や国旗の強制強化は「式っぽい」「かっこいい」と大賛成。その途端、前回のHRで「幸子も一緒に座って」と声を上げていた生徒たちは一斉に口をつぐんだ。彼らが恐くて自分の意見が言えないのだ(生徒間の同調圧力)。気まずい抑圧された雰囲気のままHRは終了した。だが、口をつぐんでいた生徒の一人が寄ってきて「歌いたくない人は座ってもいいでしょ」と念押ししにきた。意見を言えなくても行動できる生徒がいると、救われた気持ちだった。
卒業式当日。HRで自分の意見も言えない、弱い生徒たちの内心の自由を守るには、私が座るしかないと思っていた。しかし初めて校長から受け取った(“君が代”起立・斉唱せよ、命令違反は懲戒処分というA4判1枚の)職務命令書に従わなければどうなるのか、想像も尽きない。私は当時30歳台前半で若く、定年までの人生を考えると、「君が代不起立が重なると懲戒免職(クビ)もあり」等の噂も広がる(【注1】参照)中、どうなるか分からない恐ろしさは、半端ではなかった。
悩み抜いた結果、式場では苦渋の選択で“君が代”時に立った。すると「幸子も座って」と言っていた生徒たちが恨めしそうに、「裏切って立った私」を見ている。「座ってもいいでしょ」と念押ししにきた生徒だけが座った。が、彼は落ち着きなさそうに周囲をきょろきょろ見渡し、居たたまれなくなって歌の途中からゆっくりと腰をあげ、歌の最後には立った(都教委や校長らが作り上げた、会場全体の同調圧力)。
この光景は忘れられない。立ったことを後悔した。私が立ったことは、大きな強制力を持って生徒を立たせてしまい、生徒の内心の自由を奪うことだった。私を頼ってきた生徒の信頼を完全に裏切ってしまった。しかし私は生きていくために働かなくてはいけない。
こういう心の葛藤を証言した佐藤さんに、白井弁護士が卒業生を出した後、校長からの「新しい学年の担任を」という依頼を断った、その後の心境等を問うた。佐藤さんは次のように証言した。
――クビにならないで働き続けるには、校長の命令に従ってやり過ごすしかない。そう自分に言い聞かせて、その後は“君が代”斉唱の40秒間は心と体を分裂させ、この辛いことをやり過ごす努力をしてきた。「私はここに立っているけど私の魂はここにはない」と40秒間、式場・体育館の上空に魂を飛ばしていた。しかしいくら自分をごまかしても、息苦しさは増すばかりだつた。/魂が抜け殻のようになり、ただ耐え忍ぶことだけを考えてきたが、少しずつ自信を回復し、9年後の13年4月「もう一度生徒と向き合いたい」と、担任を持つことになった。入学者名簿を見ると、外国籍の生徒や障害を持つ生徒がいる等、様々。「今度は後悔したくない、生徒と真摯(しんし)に向き合いたい。今度こそ生徒に信用される教員になりたい」。こう思うと、もう入学式でも卒業式でも、“君が代”時に立つことはできず、複数回の懲戒処分を受けた。/“10・23通達”による起立・斉唱の強制は、教職員だけではなく、生徒たちも苦しめ、生徒の人権を抑圧している。裁判所には“10・23通達”を違憲・違法とする判断をお願いしたい。――
この後の反対尋問で、被告・都教委側の弁護士は「教員が不起立することは、逆に『立とう』という生徒への圧力にならないか」と愚問を発したが、佐藤さんは「“10・23通達”により全体として『立て』という圧力がかかっているので、立ちたい生徒には圧力にならない」と切り返した。
なお、「同調圧力に弱い生徒は少なくない」という事実は、国語科の元女性教諭も証言した。
◆ あと1年働ける不起立教員を、都教委が再任用打ち切り
国語科の大能清子(おおのきよこ)元再任用教諭は、山本紘太郎(こうたろう)弁護士の質問に、
――82年の大学卒業後すぐ、国家神道を建学の理念にする私立女子高校に就職。戦前・戦中の“旗日(はたび)”に当たる“天長節(てんちょうせつ)”や“紀元節(きげんせつ)”に、その歌を歌ったり柏手(かしわで)を打ったり祝詞(のりと)を唱えたりといった行事に、生徒は強制でいやいや参加させられ、だんだんと捻(ねじ)れていく。担任の自分も上司の命令でやらされ、内科・婦人科の医師から「職場を変えないといけない」と言われ、都立高校の採用試験を受け、転職した。皆が参加する職員会議で民主的に学校運営を決めていく環境になり、体調はすっかり良くなった。――
という、若手教員当時の経歴から証言を始めた。
大能さんは「しかし、」と述べ、次のように証言を続けた。
(1)“10・23通達”での卒業式等での都教委による”君が代”起立強制以降、前記女子高勤務時の光景が浮かび、自分が生徒を抑圧していたと思い、04年4月の入学式で不起立し、以後2回不起立。計3回戒告処分を受けた。
(2)生徒が“君が代”起立・斉唱を望まない理由は、①「暴走族の歌で恐い」というイメージを持つ、②“君が代”の歴史(天皇制等)を勉強して、③宗教的理由で、④小中で強制されたから、⑤両親や祖父母の経験を聞いたから、⑥(定時制の高齢の生徒で)歴史認識・体験から等、様々だ。しかし「絶対に立たないそ」と言っていても、周りの同調圧力に勝てない生徒は多い。
(3)公的年金支給年齢の段階的引き下げに伴い、「定年前の5年間に懲戒処分を受けた教員は、年金支給年齢に達した年度で再任用を打ち切る」と勝手な線引きをした都教委は、勤務校の校長が「本校の定時制は8人しか教員がいないのに異動者が多く、大能さんは必要です」と具申したにもかかわらず、「校長の意向は聞かない」と拒否。24年3月末で(あと1年働ける)私を雇い止めにした。再任用継続は99%合格していて、24年度の不採用は私だけだと聞いた。
◆ 不起立教員は再任用打ち切りに加え、時間講師からも排除
都教委は、22年3月末時点で63歳だった国語科の川村佐和(さわ)再任用教諭(大能さんより1歳年上。04年~16年に計3回不起立し、計3回戒告処分を受けた)についても、あと2年残し雇い止めにした。都教委は更に、臨時的任用教員(産休・育休等教員の代替で授業や校務分掌等を持つ)についても、受験申込書の「賞罰」欄を22年2月下旬、「刑罰・処分歴」欄に突如変更する奇策を弄(ろう)した上で、川村さんを3月末付で不合格にした。この事案は本誌20年12月号・23年4月号、『週刊新社会』22年9月14日号、月刊『紙の爆弾』23年12月号で詳述した(ネット等でご覧頂きたい)。
川村さんは雇い止め後、22年4月から時間講師(非常勤で授業だけ持ち、担任や校務分掌は持てない=生徒と接する時間が少ない雇用形態)として都立高校等で勤務してきた。だが今回、高見智恵子弁護士の質問に、川村さんは「都教委が24年4月、時間講師の名簿からも排除してきた」と、証言した。この都教委の新たな攻撃は、前記・臨時的任用教員同様、受験申込書の「賞罰」欄を「刑罰・処分歴」欄に変更する手口により、”君が代”被処分教員を完全排除。憲法第19~21条の禁じる、「公権力による個人の思想・良心・信教の自由の侵害」に該当する、ロシア等全体主義国ばりの仕打ちだ。
また川村さんは、校長から“君が代”起立・斉唱せよという職務命令書を初めて受け取った、“10・23通達”発出直後の勤務校の周年行事の“式典”について、①監視のため来校した都教委指導主事らが式場内で教職員一人一人の顔をチェックしていた、②不起立教員を校長・教頭(現副校長)・都教委指導主事らが取り囲み事情聴取していた等、“君が代”を強制する権力の末端の都教委指導主事や学校管理職らの、アドルフ・アイヒマン化(【注2】参照)も証言した。
となると、“10・23通達”発出直後から数年間流れていた「君が代不起立が重なるだけで懲戒免職も」という“噂”の出所はどこか? ”君が代”被処分教職員の多くが加入する都高教組内の、(権力と正面から闘わない)執行部主流派の一部が流したデマであろう。現に同教組役員の中には、不起立等教職員を“自爆テロだ”と揶揄(やゆ)する者もいたという。
なお、根津さん以外で「(本誌8月号で詳述した)都教委の機械的累積加重処分システムにより、停職処分を受けた5人の小中高・特支校の教員(いずれも定年退職)は、12年1月16日の最高裁判決以降の各勝訴判決により、都教委に停職はもとより減給も取消しをさせ、金銭面での不利益分は取り戻している。しかし、変なプライドを持つ都教委の官僚や都教育委員らは、「裁判で違法・不当だと断罪された処分発令への謝罪と、HPへの取消の事実掲載」は、拒否し続けている。
『マスコミ市民』(2024年10月号)
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