パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

藤田の日記5/3~5/10

2007年06月02日 | 藤田の部屋
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2007/05/03(木)     紙
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 累進課税を緩和したところに不景気の根本原因がある。 金持ちが百万円の車を何台も買うわけが無い。 累進課税を徹底せよ。 大衆の所得を増やさなければ金は回らない。 一人一人が金を持つのだ。 一部の金持ちに金を集中させてしまったら世の中は破綻する。 物が売れなくなるからだ。 負の所得税を直ちに行う必要がある。 低所得者には月額20万円から1万円まで段階的に支給する。 ドルを貯めて何になるというのか。 アメリカの紙ではないのか。 箱物を作ることは自分の首を絞める行為である。 そんな金があるなら貧乏人に配布せよ。 所得の直接再配分となる。 その方がまことに効率的である。 自然を破壊して需要を喚起するという愚策を直ちに止めねばならない。 戦闘機を買う金があったら奨学金に廻せ。 金は一人一人に行き渡らせねばならない。 金の配分についての根本的な発想の転換をすべきである。

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2007/05/04(金)     ばくち資本主義
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 資本主義が今や完全にバクチ資本主義となった。 投資家と称されるヤクザなバク打ちが全世界を席巻する。 これがグローバル化の実態である。
 株価を吊り上げて儲けかつ暴落させて莫大な利益を得る。 一所懸命働いて儲けて皆のために使うなどという発想は消し飛んでしまった。 情報は仲間内で分かち合い様々な謀略を仕掛ける。 会社の株価を上げるために労働者のリストラを行い賃金を切り下げる。 会社を丸ごと買い切り刻んで高く売り逃げる。 労働者が商品であるのは言うまでも無く会社もまた一個の商品と化した。 さらには一国が商品と化したのである。 ある一国に金を注いで商品価値を暴騰させ売り逃げその国を滅茶苦茶にする。 なんでもありである。 戦争が極めて大きな儲けとなる構造の中で紛争は止むことがない。 アメリカの言うグローバル化とはこのことに他ならない。 胴元が儲かるのはインチキ賭場での必定である。 全世界の労働者は新しい経済のあり方を組み立てねばならない。 このままいけばより悲惨な世界の状況にころがり落ちて行くのは必至である。

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2007/05/05(土)     世も末
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 ドストエフスキーのバクチの本を読んで興奮した思い出がある。 人は道を外れるとバクチの世界に入ってしまう厄介な生き物だ。 宝くじから競馬・競輪・パチンコ等ありとあらゆるバクチが口を開けて待っている。 そうなると地道に真っ当に働く気持ちがなくなってしまう。 心が荒み街もまた荒みストリートとなる。 僥倖をのみ期待するのは真っ当な精神ではない。 消費者金融がどれほどの人びとを死に追いやったか検証する必要がある。 誰が儲けたのか。 薬物を売るのと同等の行為である。 人の心身を破壊して莫大な利益を手に入れる。 死の商人が今もって大手を振ってのさばっている。 悪い奴が堂々と闊歩して肩で風切る社会状況を徹底して潰していかねばならない。 自民党政府が公明党を脅しかつ懐柔しつつこの間好き勝手やってきた。 さらに一層の強権を手に入れて戦争でも核保有でも武器輸出でも何でもしたい放題の国家を目指している。 政治家が企業経営者が先楽後楽の腐敗した精神構造に囚われてしまった。 世も末とはこのことか。

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2007/05/10(木)     零余子
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 零余子なる言葉を知らなかった。 むかごご飯はどこかで食べたような気もするが曖昧。 零が何故「む」なのか。 ゼロだから無なのであろう。 余が何故「か」なのか。 余りだから、一寸だから、寡なのか、よう分からない。 零余子とはまことけったいな名である。 こういうのは一体誰が名付け親なのであろうか。 何世紀に付けられていたのか。 言葉というものは一つ一つに歴史があるからすごいものだ。
 零はこぼれるの意がある。 思いがけない幸運を、零れ幸いとも言うらしい。 余りもの、わずかばかりの子、珠芽が零れ落ちてまた繁殖するから零余子なのか。 「絶やそうとしても絶えんわ」とある婆さんが言っていたいたとか。
 ある事件が公安によって零余子事件と名付けられている。 落ちて芽を出す、地中から芽を出すからか。 あるいは鬼百合の葉の付け根に出来る芽だからか。 この場合は鬼百合とは金正日なのであろう。 自然薯ではかの人物と似合わない。
 1990年5月10日付けで、田口八重子拉致の容疑で在日大物商工人、安商宅(東海商事会長)の自宅と総連の家宅捜索令状が取られた。 9月15日付けでは彼の手下の実行犯の逮捕状が取られていた。 直前の9月9日、この捜査は時の自民党副総裁、金丸信によって潰される。 日本政府が零余、すなわち落ちぶれてしまった瞬間であった。 拉致事件そのものが雲散無化されたのである。 田口八重子救出の端緒が零れ落ちてしまったのだ。
 現在平壌には安商宅通りがあるという。 1987年に彼がキムジョイルに30億円献金したからである。 安商宅(アンサンタク)は総連の副議長になり共和国の最高人民会議の代議員にもなった。 金丸信はあの世だが今、安商宅は何処で何をしているのであろうか。

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