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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

大学の教職課程の授業で「学び舎教科書」を使うわけ

2021年12月26日 | こども危機
  =(学ぶ会だより~つどいの樹【大学のキャンパスから】)=
 ◆ なぜ学び舎教科書を大学の授業で使うのか
   ~教科書から他者を実感する

齋藤一晴(日本福祉大学教員)


教科書272ページ

 ◆ 教科書の「体温」

 私は大学で社会科教育法を担当している。テキストは学び舎教科書を指定して学期末のレポートは、その特徴を活かした授業を構想し、指導案を作成する課題にしている。
 とある学生が、「絶えない戦火ー冷戦の終結と新たな戦争ー」のページを題材に指導案を作成した。その内容は、教科書に掲載されたアメリカの子どもが描いた同時多発テロの絵と、イラクの子どもがアメリカ軍の攻撃を描いた絵の2枚を比較するというものだ。
 指導案には、「教科書の『体温』を感じる」とあった。

 「体温」とは、自分と同じ時代を生き、相対する他者がいることを実感したときに感じるものだという。
 彼は、教科書から初めて他者を実感したのである。それは、他者に向き合う自分を立ち上げた瞬間だったともいえるだろう。
 ◆ 共感と教員の役割

 指導案に記された授業展開は、2枚の絵を比較しつつ、それぞれの立場を調べ、最終的にどちらの立場により共感するか、というものだった。
 また、イラクの子どもの絵を説明する際には、学習経験の乏しいイラクの子どもたちが置かれた状況を知ってもらいたいという思いが熱く記されていた。
 仮にこの指導案の通り実際に授業を行った場合、少なくない子どもたちは、2枚の絵を比較する意味よりも、イラクの子どもたちへのかわいそうという共感を生み出すだけで終わってしまうのではないだろうか。
 それは、教員が子どもたちに答えを与えてしまう授業だと思う。この2枚の絵を授業で使う際、共感をどのように教員が位置づけるのか問われるだろう。
 ◆ 学生からの問いかけ

 学期末のレポート提出後しばらくして、上記の指導案を作成した学生からその内容について話がしたいと連絡があった。
 話を聞いてみると、指導案の授業は、教員の思いが先行した授業になっていたと思うが、どうしたら改善できるか、というものだった。
 私は自分自身が同じような課題、いうなれば独りよがりな授業に悩み試行錯誤してきたことを伝えた。そして、教科書から初めて他者を実感したことや、授業で生徒同士が交わすであろう2枚の絵への共感を大切にすることが欠かせないと伝えた。
 そのうえで、なぜ学び舎教科書に立場の異なる2枚の絵が載っているのかを考える必要性を話した。
 私は、学生自身の指導案への分析力の高さに驚くとともに、これまで歴史教育で議論されてきた共感のあり方や教員が授業でどこまで生徒を導くのか、といった点に意識が及んでいることを感じることができた。
 ◆ なぜ学び舎教科書を大学の授業で使うのか

 教員をめざす学生にとって、学び舎教科書は、免許を取得するための授業の単なるテキストなのではなく、どのような教員になりたいのかを考え、深める存在になっている。
 そうしたいとなみは、過去の実践に学び、その積み重ねを教科書から感じることから始まるはずだ。
 教科書から感じた「体温」を、学生が大学を卒業後、日々の授業でどう表現していくのかは、なにも彼らだけの課題ではない。私自身の課題でもある。
 こうした思いを授業を通じて学生たちと共有していくことも、大学の授業で学び舎教科書を使う理由のひとつといえないだろうか。
『学ぶ会だより~つどいの樹 第6号』(2021年12月1日)

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