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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

復活した道徳教育に今どう立ち向かうか(大森直樹)

2018年11月26日 | こども危機
  =週刊「本の発見」第83回(2018/11/15)【レイバーネット日本】=
 ◆ 『道徳教育と愛国心-「道徳」の教科化にどう向き合うか』(大森直樹、岩波書店、2018年9月刊、2600円)
   評者:志真 秀弘


 道徳と聞くと顔をしかめる人もいるかもしれないが、道徳あるいはモラルは大事なものだ。著者の大森直樹は、本書冒頭で自分は道徳不要論ではない、「人々が生活と仕事の中で育んできた道徳」、つまり「生活のなかの道徳」は大切だと書いている。同感だ。
 ところが明治政府以後、第二次大戦に至るまで、日本は、国家が道徳を「修身」の名で強制した。敗戦後も教育の場で「道徳」復活を狙ってきた。道徳と聞いて顔をしかめるのはこの歴史があるからだろう。
 そして、今年度からは小学校で、来年度からは中学校で「道徳」の検定教科書が登場し、ついに評価も行われることになった。
 本書は道徳教育を、戦前の「修身」にまで遡って捉え、続いて戦後の権力による復活工作とこれと対決する教育労働運動のせめぎ合いの歴史を描き、今どうするかを問う。たいへんな労作であり、問題提起に富む本である。
 戦前篇で、土屋芳雄(1911年生、『聞き書き ある憲兵の記録』の語り手)、内藤譽三郎(1912年生、元文部大臣)、内田宜人(1926年生、元都教組墨田支部長、勤評反対闘争から主任制反対闘争まで30年を超えてたたかい抜いた、著書に『ある勤評反対闘争史』など)、吉岡数子(1932年生、『「在満少国民」の二〇世紀』解放出版社刊の著者)が紹介されている。
 「修身」教育はこの四人にどのように内面化されたか、あるいはされなかったかが時代背景とともに描かれる。
 高等教育では、小学校と違い天皇崇拝の愛国心教育は遠ざけられていた事実なども明らかにされ、今日のエリートを分けて育てようとする政策と思い合わせて興味深い。戦前の高等教育が、天皇崇拝を客観視できるだけの教養を与え、今の選良教育も闇雲な愛国心ではなく国際的視野の中にそれを捉えるように求めている。支配の教育観はけして平等ではない。
 その上で現在の復活に至るまでの70年を超える戦後史から何を学ぶべきか。
 著者はここで吉田茂、天野貞祐はじめ多くの支配側の言説の分析と合わせて政策の背景を歴史的に読み解いていく。
 現代の道徳教育は、著者のいうとおり単線的な「戦前回帰」ではなく断絶と連続性をあわせ持つ以上、それは不可欠な検証になる。
 そのうえで、著者の研究から感じるのは、狡知に長けた教育政策の背後に支配側の本能があるということだ。
 学校教育、特に初中等教育は支配のための管制高地との認識が彼らに備わっているからに他ならない。言論機関と並んで、あるいはそれ以上の思想闘争の拠点と心得ている。今もって執拗な日教組攻撃の背景には、それがある。
 それだけ戦後史に果たした日教組の役割は大きい。戦後篇にも内田宜人が繰り返し登場する所以でもあろう。
 といっても今の教育現場では日教組の組織率は22・9%、全教は3・8%(2017年厚労省調査)。勤評闘争時(1958年)の組織率は86・3%(同調査)だった。
 この現実を踏まえて、著者は今どのような抵抗が可能かを結びに提起している。執筆中に進行性大腸がんを手術し、なお書き続けた著者の渾身の著作である。
『レイバーネット日本』(2018-11-15)
http://www.labornetjp.org/news/2018/1115hon
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