goo blog サービス終了のお知らせ 

徒然なるまゝによしなしごとを書きつくる

旧タイトル めざせ、ブータン

Gospel Truth イエス・キリスト

2014年05月26日 | 歴史

Gospel Truth 真説”聖書”、イエスの正体;ラッセル・シュート という本を読んだ。なんだか週刊誌のタイトルのようですが、なかなか考えさせる内容だったので紹介します。

まず、イエス・キリストと言う人物は実在したのか?という基本的な疑問がある。ユダヤの歴史家ヨセフスとローマの歴史家タキトゥスの歴史書がAC.93及びBC.100に書かれているがそこにはキリストの記述は一切無い。ただ、これ(非実在説)は少数意見である。

イエスが実在したとして、その人はどのような人で、なにを主張したのか?と言う事はキリスト教徒ではない私にとっても大いに興味がある。

イエスはナザレに住むユダヤ教徒の大工のヨセフの息子で、当人も恐らく大工だったと思われる。母親はマリアで、聖書では処女懐胎により身ごもったことになっているが、イエスが実在の人物であれば処女懐胎というのは合理的には受け入れがたい。通常の性行為の結果として生まれたと考えるのが自然だ。

その大工のイエスに一大転機が訪れたのは、バプテスマのヨハネのもとを訪れ洗礼を受けた時である。当事、ヨハネは有名な預言者として知られておりイエスも、のこのこナザレから砂漠地帯を越えてヨルダン河岸のヨハネを訪れたのだ。そして、おそらくイエスはそこでヨハネの弟子になって教えを得たのであろう。このときイエスは32歳であった。

驚くべきは32歳のイエスがヨハネの洗礼を受け伝道を開始し、その後ゴルゴダの丘で処刑されるまでたったの2年間しか無いということ。彼は34歳で死んだ。このたったの2年間の結果が世界史を書き換える事になる。

この間に彼は数々の奇跡を起こしたことになっている。水の上を歩いたり、水をぶどう酒に変えたり、魚とパンを5000人に配ったり、病人を治したり... これ等の話は事実もあれば後世の創作もあるだろう。心身症と言う症状がある。例えば戦場ヒステリーというのがあり、足が全く動かないケースや目が全く見えない兵士が終戦のニュースを聞いたとたんスタスタ歩き始めたり、新聞を読み始める。心因性の要因で身体に異常を起こすことは良くある。これを直すひとつの方法は心から信ずることだ。イエスを心から信じた心身症患者はイエスが立って歩け、と命ずることによりヒステリー状態が解消され治った。これが奇跡として伝承された、と言う事は合理的に納得できる。

これを裏付ける事実として、イエスはナザレでは奇跡を起こさなかった。なぜなら、ナザレの住民は覚醒前のただのイエス青年を良く知っていたので、彼の言葉をそれほど信じられなかったからだろうと...

イエスが伝道で行ったのは、神の国に言及したことと共食(共食いではなくきょうしょく)だ。一緒に食事をする事は当事のユダヤ社会では一般的なことではなかった。それをイエスは老若男女、主に貧しい人々と共にした。そのクライマックスが最後の晩餐だ。

神の国に関してはイエスの主張は実は良く解らない。イエスは神の国を語るときたとえ話をするのだが、その内容が支離滅裂で意味を成してない。

たとえば、マタイ伝13・33”天の国はパン種に似ている。女がこれを取って3サトンの粉に混ぜると、やがて全体が膨れる”

 ここには何の寓意も無い。これは私見だが、このような脈絡の無い支離滅裂な文章は統合失調症の症例でよく見られる。

イエスは信者を増やしていく。そして、過ぎ越しの祭り(Pass Over)の最中、エルサレムの”神殿”で伝道騒ぎを起こし、ローマ兵に追われ逮捕され、裁判を経て翌日にゴルゴダで磔になり死ぬ。

実は私は仕事でイスラエルを二度ほど訪問したことがあり、エルサレムのヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を辿ったことがある。イエスが十字架を担いで喘ぎながら登った道だ。その道の果ての巨大な自然石の上に聖ゴルゴダ教会が立っている。伝道者イエスは32歳から34歳の間の2年間、共食と心身症の治療とよく解らない神の国の言葉で信者を増やし、最後にローマ兵により処刑された。それだけの事だ。しかしその言葉と行為には貧しきもの、悩めるものを等しく救済する救いが含まれていたが故に、大衆の心の中に深く浸み込んでいったのだろう。

問題はその後だ。イエスの真の教えは”神の愛や恩恵を得るのに仲介者は必要ない”と言うものだった。しかし、教会はイエスを仲介者そのものにする、という最大の矛盾を犯した。新約聖書にはマタイ、ルカ、マルコ伝があり、それとは独立に原始キリスト教に近い死海文書が発見されている。先のマタイ、ルカ、マルコ伝は教会の正当性を維持するための創作が相当部分を占めており、真のイエスの教義を伝えるものとは思えない。真のイエスの思想は死海文書や教会から異端とされたグノーシス派の教義に残っているのではないかと言う説がある。

だらだらと書いてきたがイエスの思想が新約聖書に書かれていると考えるのは間違いだ。宗教弾圧を行い、十字軍でイスラム世界に暴力的に侵入し、宗教裁判でガリレオを弾圧し、魔女狩りを行い、ユダヤ人を差別しホロコーストを引き起こしたのはキリスト教会だ。処女懐胎や奇跡の多くや復活の話は、教会が正当性を維持するための創作に過ぎない。ならば、イエスの真の思想はなんだったのか、これを真剣に考えるムーブメントが今キリスト教社会の中で起ろうとしている。

この本も、私自身もイエスを貶める気持ちは毛頭無い。しかし、イエスという人物が徒手空拳且つ、たった二年で世界史を書き換えた事実は教会の意図を超えて深く考える必要があると思う。

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿