
※ 先にUPした各社インタビュ~と重複する部分は割愛させて頂きます




Q : この作品を選ぶまで、選択の葛藤を経験したそうだが。
JJ : 普通、俳優は直接電話をしないでしょ。
もし断られたら私も先輩も後味が悪くなるじゃないですか。
また、直接連絡が来たら直接答えを出さなくてはいけないので困る時があります。
しかし、ミンシク先輩の電話は気持ち良かったんです。
大韓民国で最高に認められた俳優から一緒にやろうと言われたから良い気分です。
また、チェ・ミンシク、ファン・ジョンミンという俳優と一緒に演技できる機会は
絶対に簡単には来ないです。
逃したくなかったんです。
シナリオより、二人と一緒に撮りたいと言う気持ちが最も大きかったです。
特にミンシク先輩が出演した映画は一つも欠かさず全部見ました。
何度も見直す映画もあります。常に共演したい気持ちがありました。
チャンスが来たら絶対捕まえなければいけないと思いました。
Q : 息もよく合ったようだが。
JJ : 今まで出演した作品で、こんなに良く合うことがあっただろうかと思いました。
何の打合せもなく どんどん進行されました。
リハーサルがなかったのに相手がどうするかを観察し、行動しました。
無言の約束があったようです。
相手が気にならなかったので、ジャソンのキャラクターと感情だけに集中出来ました。
皆さん役者生活が長いので考える時間は必要ありませんでした。
Q : 興行欲はどうなのか。
JJ : 大勢の人たちに良い映画として記憶されたら良いです。
この映画は男優として迷いがなくなった後 初めて撮った映画です。
今後、新たに仕事を受け入れられる気がします。
この映画自体が私には“新世界”のような映画でした。
本当にずっと演技をしたいと思います。
長く仕事が出来るのは健康だと言う意味と同時に、世間と遠くないと言うことです。
大衆が嫌がれば続けては出来ません。
歳をとって自分の職業があると言うことは“存在の価値”があるという意味です。
現代人は年をとるにつれ自分の価値を失ってしまうことが多い。
特別にどんなキャラクターをすると言うより、長く続けたいです。
イ・スンジェ先生がロールモデルです。
謹厳な方がシットコンで“ヤドン スンジェ”(AV動画)キャラクターを面白く表現して
注目を受けたじゃないですか。本当に羨ましいです。
なのに史劇ではカリスマ溢れる姿を見せている。
そんなことが出来る理由は体力と情熱があるからだと思います。
自分の仕事を愛する姿はとても素敵なことです。



Q : 『泥棒たち』が1,000万を突破したが、ポパイ(イ・ジョンジェ)の存在感が少なく残念だった。
JJ : 『泥棒たち』はシナリオ通りでしたが、残念だとは思いませんでした。
ポパイのキャラクター自体が面白かったので。
ポパイは私が何かをめちゃくちゃに言うことが出来るキャラクターで良かったです。
色々出来ることが多いので、ひげを生やしたり葉巻をくわえたりしました。
ビジュアル的にやることが多く、変身出来て満足してます。
Q : 『泥棒たち』と相対的に『新世界』での存在感は凄い。
相手俳優とのアンサンブルに神経を使い演技しなければならない『泥棒たち』と、
2人の先輩と演技した『新世界』はどうでしたか?
実際、『新世界』はイ・ジョンジェのための映画でしたが。
JJ : むしろ『新世界』撮る時はアンサンブルにとても気を配りました。
ミンシク先輩と撮る時は“ミンシク先輩がどうするか”と息を合わせ、
ジョンミン先輩とも“ジョンミン先輩がもっと怖く見えたら良いな、
その為、私がどうやって先輩の演技を受けなければならないか“と考えました。
相手の俳優との呼吸、アンサンブルに対する悩みは『新世界』も多かったです。
Q : 友達チョン・ウソンさんが『新世界』VIP試写会に出席しましたが、反応は?
JJ : ウソンさんはミンシク、ジョンミン先輩と出演するので心配したようです。
イ・ジョンジェが2人の先輩の間で一人前に出来るのだろうかという心配です。
そんなウソンさんが『新世界』を見て安堵のため息をついたんです。
“ジョンジェ、お前は役割を成し遂げた”と。
Q : レストランとスーツ事業は全て整理したが、イ・ジョンジェの道はやはり俳優ですか?
JJ : 5~6年、停滞期がありました。
副業が可能だと思っていた5~6年は俳優より事業により多くのエネルギーを
注ぎこみました。
好奇心が強いので事業をしました。
停滞期の5~6年は出演オファーのあった良い作品をほとんどしませんでした。
主にドラマでしたが、全部大ヒットでした。
私はその時、本当にどうかしてました。
Q : 今年でデビューして20年になりました。20周年パーティーを準備しているそうですが。
JJ : 20周年記念で仲間や知人を集めてパーティーをするか、
ファンミーティング形式にするか悩んでいるところです。
Q : 20歳にデビューするやいなやトップスターになりましたが。
JJ : カフェでアルバイトしている時スカウトされ、ファッショングラビアでデビューし、
チョコレートのCFで突然人気を得て「砂時計」、『若い男』に次々と出演して
人気を得ましたが、その全てが1年の間に起きました。
戸惑いました。急に仕事がたくさん入ってきたので。
演技が分からないのに仕事をしなくてはいけないのでNGをたくさん出すし…。
恥ずかしくてストレスをたくさん感じました。
演技が面白くなかったんです。
それで「砂時計」が終わり、『若い男』の公開直後に軍へ志願入隊しました。
防衛兵でしたが、その時は自分の演技がとても嫌でした。
当時、「砂時計」で新人賞を2つ、『若い男』では新人賞を3つ頂きました。
演技に対する準備もなかった私がどうしてそんなに多くの新人賞を受賞したのか…。
演技が上手くて頂いた賞ではなく、二重瞼でない私が爽やかに見えたようです。
Q : 観客にとってどんな俳優として記憶されたいですか。
JJ : いつも新鮮な俳優として記憶されたいです。



Q : 映画ではチェ・ミンシクがわざわざ自分を下げ、後輩達を引きたてたようだが。
JJ : そうです。
すでに撮ったシーンから自分の出番を編集しなければならない状況になると
気軽に“そうしよう”とおっしゃいました。
“私ならあんな風に出来ない”と思いました。
俳優として欲が出るシーンなのに、映画全体を考えながら自らを犠牲にされました。
演技をする時も わざと力を抜いて楽なスタイルになりました。
Q : 暫く作品活動から遠のき、『ハウスメイド』以降、着実に新作発表が続いている。
JJ : 『ハウスメイド』以前は紆余曲折が多かったんです。
一応デビュー当時、「砂時計」や映画『若い男』などが大ヒットしたことで
かなりの人気を一気に得ました。
あまりにも良い位置を得てこの仕事を始めたので安易な考えを持つようになりました。
熱心にはせず、手を抜いてきたようです。
すると、ある瞬間から認知度が少しずつ落ちていきました。
“私はどうやってここまで来たんだろう”と思い、立ち直りたいと言う欲が出、
あれこれ考え、簡単に出演を決めないことにしました。
それが『ハスウメイド』前までの私の状況です。
Q : それなら『ハウスメイド』が俳優イ・ジョンジェの情熱を取り戻してくれた作品なのか?
JJ : 結論的にはそうなったわけです。
実は『ハウスメイド』も簡単に決めた作品ではありません。
キャラクターが金持ちで利己的な人物でした。
私は常に地位の上下を問わず、人は平等だと考えてきましたが、
そんな私の考えとは全く相反するキャラクターでした。
今まで私が持っていたダンディーなイメージを利用し、逆発想的なキャラクターを
作ろうとするイム・サンス監督が憎らしい時もありました。
出番もとても少なかったので周りも止めました。
ところが、止めろと言われると変な意地を感じました。
これを成し遂げれば どんなキャラクターでも臆することなく上手く出来るようでした。
Q : 『ハウスメイド』や『泥棒たち』に対する親友チョン・ウソンの反応はどうでしたか。
JJ : 演技は良かったと言ってました。
もともと私たちはハッキリ言い、励まし合います。
実際、私達2人共、演技自体これと言って褒められる俳優ではないじゃないですか(笑)
もちろん、ウソンさんも「パダムパダム」で見せた演技は本当に素敵でした。
Q : 家族から結婚しなさいと言われませんか。
JJ : 親も諦めた状態です。
以前、名節の時にストレスを感じました。
彼女がいる時は“この人と適当な時が来たら結婚しなければならない”
と言う決心はしていました。
でも、思い通り上手くいかないので“縁は他にあるのか”と思うようになりました。
今は結婚に対する切実さもなくなったようです。
40を過ぎるととても慎重になり、人と出会うのがより厳しくなります。
若い時は何気なく合コンもしましたが、今は合コンさせてくれる人もいません。
“私は望みが高いから、どんな人が好きなのか”と思われてるようです。
そんなことを言わず、合コンさせて欲しいです(笑)