ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

写真館を「No.764 忍者ハットリくん列車(キハ40)」に更新しました!

2017-01-15 13:25:06 | まいぺーじ写真館
 ぴらにあが20代の頃、な~んでかゴールデンウィークといえば富山に行っていた。渋滞を避けて夜通し走って松本から糸魚川へ、白馬を過ぎると峠越えの道路がやたら狭くなって怖かったなぁ。夜明けの海岸で翡翠を拾って(1時間で数個拾える)、湧き水を飲んで採れたてのホタルイカとカラフルなカマボコを食って、魚津で蜃気楼を見て(見られたためしがないけど)、氷見に泊まるというのがお決まりのコース。氷見の民宿で食べた白モノのお刺身がやたら美味しくて、ホントに何回も通いました。帰りは野沢でひとっ風呂浴びて、当時はまだ珍しかった野沢菜漬けを買って、クーラーボックスに入れて急いで帰る。今は野沢菜のオミヤゲは買わないけど、30年近く同じ事をやってるんだなぁ、と。その時の相棒は、ひとりは有名なチョコレート工場で元気に働いていてます。もうひとりは成仏できずにその辺に自縛されているのでしょう、きっと・・・


【富山駅に車を置いて、高岡まで『あいの風とやま鉄道(ようするに北陸本線)』とやらに乗る。富山~高岡はSuicaが使えるけど、氷見線(JR西日本区間)に跨がると使えないとゆ~不思議。高岡からはワンマンのキハ40でした・・・】


【時雨が降っていますので、駅前に停まっていた怪物くんバスに飛び乗る。ハテ、このバスはどこへ行くのでしょう?。10分ほど走って海沿いの観光市場に到着しました・・・】


【次の氷見線に乗って高岡に戻る予定なので、氷見牛肉まんを食べながら帰りは歩く。ぴらにあが度々訪れていた時の氷見は超田舎だったけど、なんか町的な、観光的な、だいぶ雰囲気が変わってました・・・】


【ハットリくんと、怪物くんと、喪黒福造が町中に並んでおります。ぴらにあが20年間に泊まった鄙びたビジネスホテルは、未だ健在でした・・・】


【藤子不二雄A氏が生まれて育ったというお寺は、メインストリートから1本入ったところにあります・・・】


【帰りはハットリくんラッピングのキハ40が来ました。車内アナウンス(観光案内を含む)はハットリくんのアニメの声優さんがやってます、ニンニン・・・】


【雨晴駅の周辺は富山湾に沿って走る、晴れていれ海の向こうに立山の絶景が見える。氷見線は日本で5本の指に入る景色のいい路線(ぴらにあの独断)だと思う・・・】


【伏木駅で降りて如意の渡し(小矢部川の河口)へ。勧進帳で弁慶が義経をウソで引っぱたくという名シーンがあるけれど、あれは安宅の関(小松空港の近く)ではなくて、実は如意の渡しのエピソードだったらしい・・・】


【如意の渡しには小さい渡し船が運行していたんだけど、橋が開通して10年ほど前に残念ながら廃止になってしまったそうな。船で渡ると5分くらいなんですけど、道路だと遠いッスねぇ・・・】


【小矢部川を渡ると万葉線(高岡軌道線)が走っている。渡し船を下りるとすぐ中伏木という停留所だったけど、橋がナナメに走っているのでひとつ高岡寄りの佳久という停留所に出る。ぴらにあがよく乗った頃は線路がウネウネしていたけど、だいぶ真っ直ぐになりましたね・・・】


【「全然安全じゃないじゃんっ!」って若旦那、路面電車の安全地帯なんてそんなモンよ。「道路からそのまま乗るのかっ!」って、イチイチ驚きなさんな。ちなみに万葉線のアナウンスは落語家の志の輔さん(新湊出身)でした・・・】


【富山に戻ってブラックラーメンを食う、そんなモンいつから名物でしたっけ?。「カニだっ!」って言ってますけど、1匹9千円ですよ。寒ブリは1尾5万円でしたけど、いったい誰が買うのかな・・・】


【2日目も全く道路に雪が無く、大雨の高速道路を走って野沢温泉に到着。まぁ、民宿のゴハンは美味かったし、温泉も熱かったので満足してるんですけど。夜の温泉街はまるで外国のようで、皆さんアイス食ってました・・・】
コメント
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