ぴらにあの写真館 in 伊豆大島→都会へ(新・日記帳)

8年間の伊豆大島生活から都会へ移住しました…
旧日記帳(ODNまいぺーじの思い出)は、BOOK MARKよりどうぞ!

写真館を「No.801 ヒスイ拾い大会 越中vs越後」に更新しました!

2017-10-01 21:34:28 | まいぺーじ写真館
 20代の頃のゴールデンウィークは、魚津に蜃気楼を見に行くのにハマってた。もう、数え切れないくらい行きましたけど、未だに蜃気楼は一度も見えたことがありません。定番のコースは午後に東京を出て渋滞の高速で一路松本へ、当時は安房峠(富山は高山方面のが近道)は冬季閉鎖で抜けられないので、安曇野から夜中の白馬路を北に向かう。今と違って道路も細くてクネクネで、夜明け前にやっと糸魚川に抜ける。疲れてぶっ倒れるように道ばたの駐車場で仮眠(山中だと寒すぎて眠れないので)、明るくなってから日本海に出て西へ走る。昔からの難所、親不知子不知を過ぎるとやっと開けて一安心(当時は北陸道はまだ無かった)、富山に入って宮崎海岸で一休み。固形燃料でお湯を沸かして、前の日に買っておいたカップ麺で暖まる。あぁ、なんて青春なんでしょう・・・

 カップ麺が完成するまで海岸に下りてヒスイを拾う、寒くてなかなかお湯が沸かないモンで。30分くらい探すといくつかいい感じのヒスイが見つかる。毎度、無言で付き合ってくれるSNくん(今は某有名チョコレート工場主任)、「よくやるなぁ・・・」と海岸には下りず遠い目で見ているだけのSGくん(どこかの草葉の陰在住)。3人でドライブしながらケンカもして、仲がよかったのか悪かったのか今となってはよくわかりませぬ・・・


【越中宮崎海岸で台風が接近する中、ザッパンを避けながら必死にヒスイを探しますが全然見つかりません。波打ち際に近づけないからか、それとも午前中に拾われてしまったのか・・・】


【ヒスイ拾い目的で海岸近くの旅館(民宿?)に泊まってみましたが、これがもう、なんともコメントのしようも無い・・・(これ以上、この旅館について書くのは止めておいた方がよさそう)】


【もう、絶対にヒスイではありませんが、一応ちぴ子が拾ったキレイな石を持ってきました・・・】


【お料理はまぁまぁ美味しゅうございましたが、決してお安くはございません。しかし、よくあのような旅館が平成のこの世に残っていたとある意味感動致しまして。あくまでもぴらにあの個人的な感想です・・・】


【翌朝、台風はさらに接近してますがな~んでか少し静まった親不知海岸(新潟県)で再挑戦。いや、コレが朝イチだったからかあっという間に手のひら一杯になりました。海が荒れた翌日は狙い目らしい・・・】


【糸魚川駅前の物産館でヒスイの原石を見る。大火事跡はすっかり更地になっていましたが、信用金庫が2軒並んで焼け残ってました。銀行の建物ってスゴイんだな・・・】


【新幹線が開通して見違えるようになった糸魚川駅(昔は小さかった)の南口には、小さな鉄道博物館が併設されてます・・・】


【このプラレールのジオラマは日本一だそうです・・・】


【NゲージもHOゲージもとにかくスゴイっす。メルクリン(ドイツの鉄道模型)が運転出来るのは数少ないんじゃないでしょうか・・・】


【中学生の頃、新宿から夜行の急行アルプス(背もたれ垂直のボックスシート)に乗って、南小谷から糸魚川までキハ52にも乗りましたね。春休みだったけど南小谷駅は雪に埋まってて、夜が明けるまでメッチャ寒かったのを覚えてます・・・】


【お留守番の若旦那には越後の柿の種チョコを、「鱒の寿司は~!」って前日のなら買えたんですけどね。いや、ホントは糸魚川で駅弁でも買おうかと思ったんですけど、残念ながら全く売ってませんでした。新幹線が開通するとどこも駅弁が廃止されちゃうんだよな・・・】
コメント
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