*飛行機会社にクレームのメールを出してみたモノの・・・の巻!
正直言ってスーツケースを壊されてかなり凹んだ。自分たちの落ち度(例えば受け取ってから空港で目を離したとか)があったのならまだしも、空港の係員にヤラレたんじゃどうしようもない。防ぐ手立てとしては「来ない」しか思いつかない。もう、腹が立って腹が立って日本に帰りたくなった、海外に来てこんな気持ちになったのは初めて。でも、まだダラットにも行ってないし、ハノイ先輩に密輸品の文房具も届けてないのよね。しかし、この怒りのやり場をどこへ持って行ったらよいのでしょう・・・
そうだ、○○航空(日本支店)にメールを出してみよう、やっぱパソコン持ってきてよかったのねん。もしタブレットしか持ってなかったら、長文のメールを打つのを諦めてましたよ。で、翌日、○○航空から返信が来ました。「受付は○○航空のホーチミン支店となりますので、電話をするか、直接支店にお越し下さい」とな。そのホーチミン支店とやらは日本語が使えるんでしょうか?、試しに電話してみましたけど自動対応メッセージ(英語)が流れるばかりで誰も出ないんじゃん。もう悲しくなって余計に日本に帰りたくなりました・・・(一応、クレームは到着空港の支店で対応するのが基本なんだそうです)
【あっという間に一夜が明け、落ち込んでばかりもいられないのでテレビでも見ましょう。って、砂の嵐(懐かしい)でどのチャンネルも見られないじゃ~ん!。観葉植物も受け皿くらい敷こうよ・・・(後にインターネットテレビだということがわかりました)】
【まぁ、アパートは1泊75USDだけあって快適な2LDK(かなり広い)でございます。ぴらにあの若旦那は別々の部屋で寝ておりまして、バルコニーには洗濯機が置いてあります。このバルコニーはエアコンの室外機が3つ並んでいてムッチャ暑い・・・】
【6時を過ぎて夜が明けてきました。ハノイは毎朝どんよりで雨がシトシト降ったりしますけど、ホーチミンは空がスッキリしてますね。気温もハノイよりかなり高め(最高気温は35℃以上)ですけど、湿度が低いので思ったより暑く感じません・・・】
【アパートの下は9月23日公園のバスターミナル、ここからローカルなバス(空港行きも出てます)が様々な方面へ・・・】
【まだチェックインもしてませんのでフロントへ行ってみましたがやっぱり誰もいません。事前にはやたら電話で確認を取りたかったりする割には、実際に行ってみるとユルユルだったりするのがいかにもベトナムっぽい・・・】
【ファングーラオ通りにあったフォーの店でモーニングを。1杯69Kドン(約350円)だったのでボッタクラレたのかと思いましたけど、ちゃんとメニュー通りの値段だったようです。この店だけじゃなくて、ハノイに比べると全般的に食事代が高いんだよな・・・(1.5~2倍くらいの感じ)】
【デタム通りからブイヴィエン通りに出た所にある、ホーチミンで2つめに予約したホテル(ちゃんと無料期間中にキャンセルしました)を見に行く。どうしてキャンセルしたのかというと、洗濯機が無かったのと、目の前の通りが騒々しそうだったモンで・・・】
【日帰りツアーの集合時間までデタム通り(バックパッカーの聖地)をふらつく。レンタルバイク(1日5USDくらいらしい)が至る所にありますけど、たとえ日本の国際免許(ジュネーブ条約加盟)を持っていても、ベトナム(ウィーン条約加盟)では運転出来ませんのでご注意を・・・】
【本日のツアーはクチトンネルとメコン川を目指しますが、一緒に参加する予定の方が全然現れず、1時間近く待って(結局来なかった)貸し切りでスタート致しました。で、ベトナムの人はバイクで何でも運んじゃいますので、だんだん驚かなくなってきました・・・】
【クチはホーチミンから北西に70Kmくらい、朝の渋滞を含めて2時間のドライブで到着しました。ベトナム戦争の激戦地でそこいら中にベトコン(※下注)が掘ったトンネルがあるそうです。入り口はフタを閉めて枯れ葉を掛けると全くわかりません・・・】
【欧米の人が入りやすいように広げてある場所もあります。トンネルはカンボジア国境まで伸びていて、総延長はなんと250Kmもあるそうです・・・】
【落とし穴の中には鉄とか竹で作ったヤリが立ててあって、落っこちた米兵を探しに来た兵隊がまた落ちるという。他にも恐ろしすぎる手作りのブービートラップが多数展示されておりました・・・】
【ツアコンの貴闘力さんはどんどん森の奥へ入っていきます。この方はお金を貯めて日本へガイドの勉強をしに行くのが夢で、ツアコンの元締めで一旗揚げたら次はドライマンゴーのブローカーになるんだという・・・】
【地雷で破壊された戦車にはご自由にお乗り下さい・・・】
【M41という極めてフツーの米軍の軽戦車でございます。よくみると装甲に穴がいっぱいあります。ぴらにあの子供の頃はここは地獄でした・・・】
【不発弾から火薬を取り出して、手製の爆弾やら地雷やらを作る工場でございます。米軍の物量作戦にベトコンは手作業で立ち向かっていました・・・】
【体験射撃場(400K~600Kドンでライフルが20発くらい撃てる)の近くにはなぜかライスペーパーの工場が、作ったペーパーは売ってたりもします・・・】
【榴弾砲で乾かしてたりして。欧米の人がたくさん観光に来てましたが、なぜかとても楽しそうなのが切なかった・・・】
【トラックのタイヤからサンダルを作る様子を熱く語る貴闘力さん、このサンダルは前後ろ逆にも履けるようになっていて、足跡の向きをわかりにくくしているという。ホーチミン氏も愛用していたんだとか・・・】
【B52の爆弾の大穴があっちにもこっちにも。数十年前まではここは木が1本も生えてない焼け野原だったという・・・】
【実際のトンネルを40mばかり通ってみましたが、想像以上に狭くて(ぴらにあはしゃがんでも通れずに這って進んだ)気分が悪くなりました。貴闘力さんは「高血圧、高脂血症の人は入らないでね!」と笑って言ってましたけど・・・】
【ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の正規軍?の服は緑の迷彩服、お姉さんの黒い方は非正規軍(昼間は農民で夜だけ戦闘に加わる)だそうです。まぁ、とにかく米軍にとって周り中敵だらけです・・・】
【トンネルは通路でもあり、基地でもあり、居住空間でもあるので、当然キッチンも作ってあります。煙が出るとバレやすいということで、キッチンとはかなり離れた所に煙突の出口があります・・・】
※文中に「ベトコン」という言葉を使っておりますが、これはベトナム戦争時のゲリラの蔑称ではなく、「南ベトナム解放民族戦線(ベトナムコンサン)」の省略形なんだそうです。ぴらにあが今まで理解していた近代史では、ベトナム戦争は南ベトナム(アメリカ)対北ベトナム(ソ連)の代理戦争だと思っていましたが、実はアメリカ主体の連合軍は北ベトナムとも南ベトナムとも戦っていたということが今回よくわかりました。想像していた以上にクチトンネルの見学は重たいものでしたが、熱心に説明してくれた貴闘力さんに感謝します・・・
正直言ってスーツケースを壊されてかなり凹んだ。自分たちの落ち度(例えば受け取ってから空港で目を離したとか)があったのならまだしも、空港の係員にヤラレたんじゃどうしようもない。防ぐ手立てとしては「来ない」しか思いつかない。もう、腹が立って腹が立って日本に帰りたくなった、海外に来てこんな気持ちになったのは初めて。でも、まだダラットにも行ってないし、ハノイ先輩に密輸品の文房具も届けてないのよね。しかし、この怒りのやり場をどこへ持って行ったらよいのでしょう・・・
そうだ、○○航空(日本支店)にメールを出してみよう、やっぱパソコン持ってきてよかったのねん。もしタブレットしか持ってなかったら、長文のメールを打つのを諦めてましたよ。で、翌日、○○航空から返信が来ました。「受付は○○航空のホーチミン支店となりますので、電話をするか、直接支店にお越し下さい」とな。そのホーチミン支店とやらは日本語が使えるんでしょうか?、試しに電話してみましたけど自動対応メッセージ(英語)が流れるばかりで誰も出ないんじゃん。もう悲しくなって余計に日本に帰りたくなりました・・・(一応、クレームは到着空港の支店で対応するのが基本なんだそうです)
【あっという間に一夜が明け、落ち込んでばかりもいられないのでテレビでも見ましょう。って、砂の嵐(懐かしい)でどのチャンネルも見られないじゃ~ん!。観葉植物も受け皿くらい敷こうよ・・・(後にインターネットテレビだということがわかりました)】
【まぁ、アパートは1泊75USDだけあって快適な2LDK(かなり広い)でございます。ぴらにあの若旦那は別々の部屋で寝ておりまして、バルコニーには洗濯機が置いてあります。このバルコニーはエアコンの室外機が3つ並んでいてムッチャ暑い・・・】
【6時を過ぎて夜が明けてきました。ハノイは毎朝どんよりで雨がシトシト降ったりしますけど、ホーチミンは空がスッキリしてますね。気温もハノイよりかなり高め(最高気温は35℃以上)ですけど、湿度が低いので思ったより暑く感じません・・・】
【アパートの下は9月23日公園のバスターミナル、ここからローカルなバス(空港行きも出てます)が様々な方面へ・・・】
【まだチェックインもしてませんのでフロントへ行ってみましたがやっぱり誰もいません。事前にはやたら電話で確認を取りたかったりする割には、実際に行ってみるとユルユルだったりするのがいかにもベトナムっぽい・・・】
【ファングーラオ通りにあったフォーの店でモーニングを。1杯69Kドン(約350円)だったのでボッタクラレたのかと思いましたけど、ちゃんとメニュー通りの値段だったようです。この店だけじゃなくて、ハノイに比べると全般的に食事代が高いんだよな・・・(1.5~2倍くらいの感じ)】
【デタム通りからブイヴィエン通りに出た所にある、ホーチミンで2つめに予約したホテル(ちゃんと無料期間中にキャンセルしました)を見に行く。どうしてキャンセルしたのかというと、洗濯機が無かったのと、目の前の通りが騒々しそうだったモンで・・・】
【日帰りツアーの集合時間までデタム通り(バックパッカーの聖地)をふらつく。レンタルバイク(1日5USDくらいらしい)が至る所にありますけど、たとえ日本の国際免許(ジュネーブ条約加盟)を持っていても、ベトナム(ウィーン条約加盟)では運転出来ませんのでご注意を・・・】
【本日のツアーはクチトンネルとメコン川を目指しますが、一緒に参加する予定の方が全然現れず、1時間近く待って(結局来なかった)貸し切りでスタート致しました。で、ベトナムの人はバイクで何でも運んじゃいますので、だんだん驚かなくなってきました・・・】
【クチはホーチミンから北西に70Kmくらい、朝の渋滞を含めて2時間のドライブで到着しました。ベトナム戦争の激戦地でそこいら中にベトコン(※下注)が掘ったトンネルがあるそうです。入り口はフタを閉めて枯れ葉を掛けると全くわかりません・・・】
【欧米の人が入りやすいように広げてある場所もあります。トンネルはカンボジア国境まで伸びていて、総延長はなんと250Kmもあるそうです・・・】
【落とし穴の中には鉄とか竹で作ったヤリが立ててあって、落っこちた米兵を探しに来た兵隊がまた落ちるという。他にも恐ろしすぎる手作りのブービートラップが多数展示されておりました・・・】
【ツアコンの貴闘力さんはどんどん森の奥へ入っていきます。この方はお金を貯めて日本へガイドの勉強をしに行くのが夢で、ツアコンの元締めで一旗揚げたら次はドライマンゴーのブローカーになるんだという・・・】
【地雷で破壊された戦車にはご自由にお乗り下さい・・・】
【M41という極めてフツーの米軍の軽戦車でございます。よくみると装甲に穴がいっぱいあります。ぴらにあの子供の頃はここは地獄でした・・・】
【不発弾から火薬を取り出して、手製の爆弾やら地雷やらを作る工場でございます。米軍の物量作戦にベトコンは手作業で立ち向かっていました・・・】
【体験射撃場(400K~600Kドンでライフルが20発くらい撃てる)の近くにはなぜかライスペーパーの工場が、作ったペーパーは売ってたりもします・・・】
【榴弾砲で乾かしてたりして。欧米の人がたくさん観光に来てましたが、なぜかとても楽しそうなのが切なかった・・・】
【トラックのタイヤからサンダルを作る様子を熱く語る貴闘力さん、このサンダルは前後ろ逆にも履けるようになっていて、足跡の向きをわかりにくくしているという。ホーチミン氏も愛用していたんだとか・・・】
【B52の爆弾の大穴があっちにもこっちにも。数十年前まではここは木が1本も生えてない焼け野原だったという・・・】
【実際のトンネルを40mばかり通ってみましたが、想像以上に狭くて(ぴらにあはしゃがんでも通れずに這って進んだ)気分が悪くなりました。貴闘力さんは「高血圧、高脂血症の人は入らないでね!」と笑って言ってましたけど・・・】
【ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の正規軍?の服は緑の迷彩服、お姉さんの黒い方は非正規軍(昼間は農民で夜だけ戦闘に加わる)だそうです。まぁ、とにかく米軍にとって周り中敵だらけです・・・】
【トンネルは通路でもあり、基地でもあり、居住空間でもあるので、当然キッチンも作ってあります。煙が出るとバレやすいということで、キッチンとはかなり離れた所に煙突の出口があります・・・】
※文中に「ベトコン」という言葉を使っておりますが、これはベトナム戦争時のゲリラの蔑称ではなく、「南ベトナム解放民族戦線(ベトナムコンサン)」の省略形なんだそうです。ぴらにあが今まで理解していた近代史では、ベトナム戦争は南ベトナム(アメリカ)対北ベトナム(ソ連)の代理戦争だと思っていましたが、実はアメリカ主体の連合軍は北ベトナムとも南ベトナムとも戦っていたということが今回よくわかりました。想像していた以上にクチトンネルの見学は重たいものでしたが、熱心に説明してくれた貴闘力さんに感謝します・・・