なにか考える力とかについて言うだろうと思ったらやっぱり
きましたね。
私が想像するに、ある程度の年代まで新入社員が「何を勉強
するのか」と自分から動こうとしていたのに、ある地点から
それがなくなった、高学歴でもなくなった、ときたら、
ゆとり世代にはいったのではないですか?
と思うんですけどね。
前にも書いたけど、私は外大行って、そのときついでに交流のある
国立大学に行っている人とかとも知り合いになったことがあるけど、
面白い人が多かったし、そういう高学歴の人にまるで出会わない
企業の人事ってどんな会社に勤めてたんだろうと思う。
正直、私が社会人で外大に入った時点では、有名国公立に行ってても、
ああ、私のときの子どもが多い時代だったら、この子は中堅私大
ぐらいにしか行けてなかったんじゃないだろうか、という勉強量の
子もまじっていたから、「勉強しない」って嘆く相手ってそんな人
採用しちゃったんじゃない?みたいな。
私が腹をたてているのは、一生懸命に勉強している親子をけなす
あの塾の方針なのですが、私自身、あの塾に近いような育てられ方を
して、あとで親からいろいろ教えてもらったひとにはかなわないと
知り、大きく時間を失っていた感というのを持っているからでも
あります。
私の父は、学校の勉強を家でするのを禁止していました。
できる子は、そんなことをしなくても、出題されたらすぐに
即答できる瞬発力をつけろ、1回聞いたものは1回で覚えろ、
という方針だったのですが、
まあ、ある程度の学年まではそれでついていけましたけどね。
父とは小6のときに別に住むようになりましたが、そういう、
考える力とか覚える力とかをつけるべきだという洗脳は高校に
入っても続いていたと思います。
(そのあとすごく過酷な状況をひとりで切り抜けないといけない
状況になったので、サバイバルのような状況をなんとかする
能力はついたと思いますが、そんなの履歴書に書けませんしね。
まあ、扶養された子どもが安全な家で身につける「じぶんで
考える力」がどれほどのものかと思うところはあります。
基本、私は人に頼ることはしないで大抵のことは自分で
なんとかする力を持っていると思いますが、子どもは守ら
れるべきだと思うし、教えられるべきだと思っています。)
テレビも制限されていました。とくにドリフですかね。あれは
教育によくないと、
で、実際学校に行って、いたずらっ子が先生に叱られたとき、
「カラスの勝手でしょ!」
といって、クラスを爆笑にしたのに、自分だけが意味が分からず、
なぜみんなが笑うのか呆然とすることになったのです。
自分の知らないことを、周囲の人は当然のように知っている、
それは私に恐怖感を与えましたし、私はあの時代の人々と
同世代の知識を欠いていると、今も抱えているトラウマです。
大きくなってできる子に会って、わたしのように全部自力で考えろ
とか、覚えろ、みたいな過酷な放置状態にされた子はいませんでしたし、
本当にできる子はテレビとかゲームとかを制限されている子は
少なかったです。何も言われなくても話のタネ程度には知っておく
ぐらいの状態でしたか、
本当に賢い子は自分で何でも考えられる子だと言い張っていた
うちの父がどれだけ教養のない、無知な男であったかと思われます。
それに、先に考え方を教えて、あとで似た問題をやるほうが
伸びるということは最近になって確認されていることですし、
それがそういうものだと子どものときに知って育っていたら
大きくなって入社したとしても、自分が出会いそうな状況を
前もって調べようとする社員になるんじゃないかと思いますけどね。
うちの子が英検準2級の質問に答えられなかった話をしたから
考える力がないとくるとは思っていましたけど、本当にその通りに
なりましたね。
スーパー24時間あいているべきかどうか?は現在の小学生が
不意を突かれた状態になるような問いですよ?
むしろ、それが問われることで普通じゃないんだと気づいて
なぜ問われるのかに意識が行って、「開いててあたりまえ
じゃない」と即答するよりは考えることができているんだと
思うんですけど。
準2級の面接の問題は高校生でも気を留めずに通り過ぎるような
日常の問題に視点をあてる問題が取り扱われます。
まあ、読解能力などはあるほうだと言われていますから、小6
として問題のある思考力ではないと思っていますが。実際
ニュースなどに関してNoneが自分の意見を言うのを聞いて
いると、年齢の割には社会に関心があるほうだと思いますが。
普段、通り過ぎていることを問われることで意識するように
なることは、見えていなかったものが見えるようになるような
ことだと思います。英語学習をするということは、普段気に
止めなかった日常や、遠い世界のことを知って考える機会を
手に入れることだと思っているので、これからも続けていきたい
と思っています。
勉強以外のことで努力するべきことがあって、勉強はしない子は
それでいいと思っているし、勉強を頑張っているのにできない子
というのは、もっと自分に合う方法をみつけられるといいと
思う、
けど、勉強で頑張ってないのに、将来は賢くなるんだ、と
わけのわからないことを言っている人はちょっと冷たい目で
見てしまうことがあるかもしれない。
だいたいこんな感じです。
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きましたね。
私が想像するに、ある程度の年代まで新入社員が「何を勉強
するのか」と自分から動こうとしていたのに、ある地点から
それがなくなった、高学歴でもなくなった、ときたら、
ゆとり世代にはいったのではないですか?
と思うんですけどね。
前にも書いたけど、私は外大行って、そのときついでに交流のある
国立大学に行っている人とかとも知り合いになったことがあるけど、
面白い人が多かったし、そういう高学歴の人にまるで出会わない
企業の人事ってどんな会社に勤めてたんだろうと思う。
正直、私が社会人で外大に入った時点では、有名国公立に行ってても、
ああ、私のときの子どもが多い時代だったら、この子は中堅私大
ぐらいにしか行けてなかったんじゃないだろうか、という勉強量の
子もまじっていたから、「勉強しない」って嘆く相手ってそんな人
採用しちゃったんじゃない?みたいな。
私が腹をたてているのは、一生懸命に勉強している親子をけなす
あの塾の方針なのですが、私自身、あの塾に近いような育てられ方を
して、あとで親からいろいろ教えてもらったひとにはかなわないと
知り、大きく時間を失っていた感というのを持っているからでも
あります。
私の父は、学校の勉強を家でするのを禁止していました。
できる子は、そんなことをしなくても、出題されたらすぐに
即答できる瞬発力をつけろ、1回聞いたものは1回で覚えろ、
という方針だったのですが、
まあ、ある程度の学年まではそれでついていけましたけどね。
父とは小6のときに別に住むようになりましたが、そういう、
考える力とか覚える力とかをつけるべきだという洗脳は高校に
入っても続いていたと思います。
(そのあとすごく過酷な状況をひとりで切り抜けないといけない
状況になったので、サバイバルのような状況をなんとかする
能力はついたと思いますが、そんなの履歴書に書けませんしね。
まあ、扶養された子どもが安全な家で身につける「じぶんで
考える力」がどれほどのものかと思うところはあります。
基本、私は人に頼ることはしないで大抵のことは自分で
なんとかする力を持っていると思いますが、子どもは守ら
れるべきだと思うし、教えられるべきだと思っています。)
テレビも制限されていました。とくにドリフですかね。あれは
教育によくないと、
で、実際学校に行って、いたずらっ子が先生に叱られたとき、
「カラスの勝手でしょ!」
といって、クラスを爆笑にしたのに、自分だけが意味が分からず、
なぜみんなが笑うのか呆然とすることになったのです。
自分の知らないことを、周囲の人は当然のように知っている、
それは私に恐怖感を与えましたし、私はあの時代の人々と
同世代の知識を欠いていると、今も抱えているトラウマです。
大きくなってできる子に会って、わたしのように全部自力で考えろ
とか、覚えろ、みたいな過酷な放置状態にされた子はいませんでしたし、
本当にできる子はテレビとかゲームとかを制限されている子は
少なかったです。何も言われなくても話のタネ程度には知っておく
ぐらいの状態でしたか、
本当に賢い子は自分で何でも考えられる子だと言い張っていた
うちの父がどれだけ教養のない、無知な男であったかと思われます。
それに、先に考え方を教えて、あとで似た問題をやるほうが
伸びるということは最近になって確認されていることですし、
それがそういうものだと子どものときに知って育っていたら
大きくなって入社したとしても、自分が出会いそうな状況を
前もって調べようとする社員になるんじゃないかと思いますけどね。
うちの子が英検準2級の質問に答えられなかった話をしたから
考える力がないとくるとは思っていましたけど、本当にその通りに
なりましたね。
スーパー24時間あいているべきかどうか?は現在の小学生が
不意を突かれた状態になるような問いですよ?
むしろ、それが問われることで普通じゃないんだと気づいて
なぜ問われるのかに意識が行って、「開いててあたりまえ
じゃない」と即答するよりは考えることができているんだと
思うんですけど。
準2級の面接の問題は高校生でも気を留めずに通り過ぎるような
日常の問題に視点をあてる問題が取り扱われます。
まあ、読解能力などはあるほうだと言われていますから、小6
として問題のある思考力ではないと思っていますが。実際
ニュースなどに関してNoneが自分の意見を言うのを聞いて
いると、年齢の割には社会に関心があるほうだと思いますが。
普段、通り過ぎていることを問われることで意識するように
なることは、見えていなかったものが見えるようになるような
ことだと思います。英語学習をするということは、普段気に
止めなかった日常や、遠い世界のことを知って考える機会を
手に入れることだと思っているので、これからも続けていきたい
と思っています。
勉強以外のことで努力するべきことがあって、勉強はしない子は
それでいいと思っているし、勉強を頑張っているのにできない子
というのは、もっと自分に合う方法をみつけられるといいと
思う、
けど、勉強で頑張ってないのに、将来は賢くなるんだ、と
わけのわからないことを言っている人はちょっと冷たい目で
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