語学に本当に奔走中(旧子供の夢をかなえたい 旧英語に本当に奔走中)

娘Noneは現在某国公立大学生、今年院を受験予定。現在自分はジオシティーズ時代からのネット界の知り合いを捜索中。

一応念のため書いておきます。

2014-02-22 18:18:34 | 英語学習でもなんでもないもの
私の子ども時代のときのことは以前ここにある程度書いた
ことがあるのですが、サバイバル、と形容していて、
中身を書いてないのは読者の想像が膨らみすぎる可能性が
あるので短くまとめておこうと思います。(短い、言うて
ちっとも短くないやん、みたいになるのは今から確実だなと
思います。現実に起こっていることを誤解の無いように
最低限にまとめようとして、この長さ、ということになります。)

けっこう話すの勇気いるんですよね。中学の時は暗い過去話す奴
うっとうしいから相手にしたくない、とか言われましたし、
(といって、当時本当に明るい話題とかなかったんですね)
じゃあ、オチつけて面白く言えば許されるのかと思いましたが
そうしたら今度はネタ(関西人がウケるための作り話)だと思われて。

サバイバルというと、芸人さんなんかがダンボール食べたとか
本にしましたから、そういうことを想像される方もいるかも
しれませんが、食は細かったです。学校があれば、昼は給食が
全部食べれなくて、残したパンを晩御飯にできるぐらいで。

夏休みが心配だったから、夜鳴いているカエル、あれが食用だと
聞いたので、カエルになってから捕まえるのはできないけど、
オタマジャクシなら近所の池ですくうことができる。と、
ショックン(食用ガエル)のオタマを桶一杯ベランダで飼おう
としたことがありました。

えと、オタマジャクシ、脚生えると桶から出て、しかも私が
学校行ってたり人が留守だったりすると、もうそのまま死んで
しまうんですね。で、異臭がするようになって、近所から
クレームが来て、飼えなくなったり、ということもありました。
(今だったらワイドショーのネタにでもなって、うちであった
問題なんかも発覚して、私はどこかの施設に引き取ってもらえた
かもしれません。)

はっきり言って、暴力をうける形での虐待を受けていました。
きっかけは行儀が悪かったなどの、私が悪い場合もありましたが、
父が機嫌の悪いときにはふだん何とも言わないことで、父の
うっぷん晴らしが始まることもありました。

母がいたころは、そのうっぷん晴らしの相手は主に母で、夜中
父が母にくだをまいたり、暴れたりしていて、それを夜中じゅう
続けて、また、商店街や町中の人前でも父はよく暴れて母に暴力を
ふるっていたのに誰も警察とか呼んだり止めたりしないので、
人は助けてくれないものだということを私はよく知っています。

母が倒れるとその相手は私になりました。

暴力を受けるときは殴られるのもあるけど、母の親戚に似てきた
とか、そういうつながりで母方の親戚の悪口を延々聞かされる
ことになります。

一度、数時間聞いた時点で、我慢していたトイレがどうしても
限界が来て、トイレに行きたいと言ったら、トイレには行かせて
もらえたのですが、
「俺の話から逃げようとした。」
と因縁をつけられ、おまえはそこにいろ、と、ドアの前に鏡台など
を置いて、出られなくして、夜中から朝まで閉じ込められた
こともあります。

このときぐらいからですかね、夜中父が暴れだしたら外に逃げる
ことを考え始めたのは。

殴ったりいろいろ吐露しているうちに、父が「出ていけ」と
怒鳴ったときに、「はい」と答えて、外に出たのです。

1回目は、遠足で歩いて行ったことのある六甲山を目指しました。
子ども心にキャンプのようなノリで家出できると思ったのです。
かなりの時間をかけて歩いて行き、遠足でお弁当を食べたときと
同じ河原に。(後注・私の記憶違いで、六甲山ではなく甲山ですね)

寝転んで数分もたたないうちに、河原の向こうに野犬が群れを
なしてこちらにむかって懸命に吠えている。

怖い。

疲れていたけど、そのまま急いで山を下りて、近所の公園の
ベンチで疲れて寝てたら、早朝の体操に来たお年寄りに
見つけられて怒られて。

学校の終わる時間まで人気のないところに隠れていて、それでも
お腹とかはすいてなかったんだけど、とりあえず学校の時間帯
ずっと物音しないように隠れてただけだったので、退屈が限界に
きていて、友達の家に行って、「朝風邪ぎみだったんだけど、
治った」ってウソついて、

いつもは出ないおやつがたくさん出たんだけど、食べてるうちに
学校の担任が来て、先生も喫茶店でオムライスを食べさせてくれて
父親に引き渡されたんだけど、父は私をみるなり殴りかかろうと
して、先生がそれを止めて、みたいな。

川沿いを歩けるところまで歩いて戻る、とか、線路沿いを
歩けるところまで歩いて、歩く限界みたいなのが来る前に
戻れるように往復する家出(のようなもの)を数回して、

で、何回目かに父の兄(つまり伯父)が住んでいる近くに
自分がいる、ということを知り、(私自身は大きな道路沿い
に歩いて同じことをするつもりでいたので、行く意図は
なかったのですが)

「ここが限界だ」

と思ってその周辺にある自販機の釣銭などを探しまくり、
酒屋の自販機で260円のビールを買って忘れられた
のだと思われる40円を見つける。
(ここ、今自信なくなりました。当時1982年ごろ、
は普通のビールだと40円もおつりがあるわけなくて、
たる型の大きなビールを買ったときに40円のお釣りに
なる自販機だったと覚えています。それがいくらだった
かは思い出せません。)

伯父の家の電話番号は、下4ケタは語呂に合わせて聞かされた
ことのある覚えやすい番号だったので覚えていた。当時
3桁だった上の番号は?酒屋のお店の看板にも電話番号が
書いてある、近所だから同じか近いもののはずだ(当時は
それでいけた)ダメなら上3ケタに1足したりすれば
あたりにたどり着けるかもしれない。

1回目でビンゴ、伯父の家でした。夜中でしたが、車で
迎えてくれました。

弟は小さかったから早くに別の伯父のところに預かって
もらえていたのです。私は父がまともに仕事をしてなくて
ライフラインがしょっちゅう途絶えていて、生活が
できない上に暴力などにもあう話をして、自分も
預かってもらえないか打診しました。

答えはNoでした。うちでは小6の女の子を預かるだけの
余裕はないし、それがある親戚はいない、と言われました。

一応、伯父は父に「子どもに暴力をふるわないように」とは
説得して帰りました。

その次ですかね、同じことの繰り返しの、「出ていけ」に
「はい」と言ったとき、

「親戚に俺の恥を言いふらすぐらいなら、おまえの母親の
ところに行け」
と母の実家への片道の電車代を渡しました。終電には間に合います。

悩みましたが、本当に、父が暴れて窓ガラスも割れて、
それが買い換えられなくて夏休みはまだ終わってないけど
秋風が吹きこむようになっていて、暖房は灯油だけど、
今年はそれがちゃんとあるのか、そんな状態でした。

父は、それでも私が行かないと思っていただろうと思います。
父は母方の親戚のことをものすごく人でなしだと言っていたし、
そこを頼るよりは自決をするぐらいの子だと思っていたの
だろうと思います。

私は、それほどは強くありませんでした。けど、そのまま
母のもとで暮らすことになるとも思っていませんでした。
どうせ、母との生活もどこかで破たんするだろうと。

母は病気だったのではありませんでした。父が母に暴力を
いつものようにふるおうとしたら、母が本気で反撃を
しようとしたので、父は母の気がおかしくなったと思って
救急車と母の実家の人間を呼んだのでした。
(その頃には夜中すごい騒音があっても、もう熟睡できる
ぐらいに私も弟もなっていた。)

母は、母の実家でピアノ教師をして生活していて、母は
母の姉に嫌われていたから、(母の姉がおとなしく近所の
女子高に行ったのに対し、母はお金のかかる音楽科の
学校に行ったのに、結局ものにならなかったという
悔しさは理解できなくもない)母に対する温情というのは
なくて、少ない収入から家賃も光熱費も要求されていた
ので、ものすごく貧乏な生活をすることになりました。

母の実家(つまりここ)は当時昼間で20人以上、昼に
道路沿いの商店に出るために来ている親戚が4人帰っても
結構な人数がいたので、もちろん学校の行き帰りとかは
みんなが心配(いい意味でも悪い意味でも)したのですが、
その後は酔っぱらった時の電話が数回きたぐらいでした。

ピアノ教室やってて、お嬢さんウリみたいにしている
家やのに、なんで美容院も行かずに自分カットやねん、
みたいな(当時はそれは普通ないことだった)こととか、
その後は貧乏との戦いだったことが大きいです。

まあ、お爺ちゃんいなくなって、私が大人になったらまた
父がお金とかたかりにくるかもしれへんで、みたいに
言われていたので、近所の人から準犯罪者みたいに
見られていたところは感じていたし、その予想、絶対
裏切ったるから、みたいな意地はありましたけどね。

やっぱり長くなりましたね。今朝は2時間パソコンでの
バーチャル準2級面接模試、と晩御飯食べて7時になったら
自分で作ったワードのノートのチェック、8時から1時間
スカイプ英会話をします。

まあ、こんなん書いてると試験前の不安とかなくなりますね。
できたら1ぺんで通って気を楽にしたいんだけど。
(面接のために使える教材、販売されているもので使えそう
なものはほぼ使ったので、同じ教材を繰り返して次回受ける
なんてのはたぶん楽しくないし、受かって新しい教材が
できたらいいなと思います。ってゆうか、今日昼にもう買った)

昨日の夕べとかちょっと昔のことが走馬灯のように頭に巡って
涙ぐんだりしたのですが、まあ、いままでも強く生きてきたと
思うし、高校からバイト漬けだったり、事務でもサービス業でも
他のことでもけっこう仕事スキルあるつもりだから、あとは体でも
壊さない限りなんしか仕事できる自信あるし、たぶんずっとここ
住むんだろうなって感じですし、少しは貯金もできてるし、癌とか
なったらとか言い出したらみんな一緒やしなと思っています

だいたいこんな感じです。
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