語学に本当に奔走中(旧子供の夢をかなえたい 旧英語に本当に奔走中)

娘Noneは現在某国公立大学生、今年院を受験予定。現在自分はジオシティーズ時代からのネット界の知り合いを捜索中。

折り鶴のことだけども

2024-05-02 22:32:52 | ことのおこりは

消えてるほうのブログに一度書いたことだけど、

ここにも書いておこうと思う。

 

ストーカーしてる元カレが日本の伝統文化を褒める

ように言ったことで。

 

自分が、いかに、日本の伝統文化から疎外されて

育ったかの話が、折り鶴には象徴されたように

なってて。

 

自分が、なぜか友達ができないように、親や

親戚からされていた証拠のように今は思ってて

 

幼稚園に入る前、自分の住んでた団地は、

単身者用の団地で、近所に同年代の子がいる

部屋や家がなかった。

 

3歳ぐらいのとき、保育サークルみたいなの

には参加できたが、その場で少しお遊戯みたい

なのができるぐらいで、友達というほどの子は

できなかった。

 

母のほうが、そこでママ友を作ったみたいで、

ある日、そのママ友の集まりで同年代の子が

何人か集まる日ができた。

 

すごい、楽しみにいして行った。

 

そこで、みんなは、折り鶴をしていた。

 

自分はそれを見たことがなかった。

 

折り方を、他の子にきいても、ちゃちゃっと

目の前で折られて、自分も折れるように教えて

もらえなかった。その近くにいたおばちゃん

たちも、食事をつくるか何かしてて、「ごめん

今手が離せないの」とか言って教えてくれな

かった。

 

時計なんかないから、どのぐらいかわからない

けど、相当な長い時間、他の子が楽しそうに

折り鶴を折っているのを、眺めているだけの

時間が過ぎた。

 

それだけじゃない。自分が大勢の子が集まる

とき、何か、親から聞いて受け継いでいないと

わからない、伝統的な遊びをやっていて、

参加できないで見ているだけ、みたいな、

そんな場が多かったと思う。

 

子ども会とか、なにか保護者がついて子どもが

集まるときには、「お父さんの仕事何?」って

聞かれて、無職だったことが多かったので

うまく答えられなかったら、その会にもう

参加もさせてもらえない、居ても傍観してる

だけ、みたいになることのほうが多かった。

 

折り紙は、あと、Noneの小学校受験のときにも

暗い記憶を残す。

Noneのときだけ、神戸大学附属住吉小学校が

小中高15年一貫になって、勉強することも、

保護者や生徒で相談してやっていい、という、

夢のような年に、Noneの受験できる年が

あたっている、ということで、ニュースを

見たのが、もう翌年受験、っていう年だったので

そういう子は、もっと早く、なんならそれを

見越した幼稚園選びとかしてるから、お受験塾

とか行って(国立小だから、知育パズル的な

ものをしたり、生活とか季節の知識を問われ

たり、跳び箱とか縄跳びができるかを問われ

たりするんだけど)パズルとか、結構こんな

簡単なのができないんだ、っていうのが、脳の

成育時にはあって、

・・・

・・・

・・・

みたいな9つの点に線が書いてあって、それが

Nのような形に線が引いてあるのを、横の

9つの点に書き写しましょう、なんてのが

思ってのほか、できない。

で、この、できないんが、めっちゃ子どもにとって

ストレスらしいんな。

 

言うて、こっちも、来年受験やねん、みたいに

なってるし。

 

受験まで、算数のプリントとかやってて、それは

小さいときから徐々にやってたから、繰り上がりも

繰り下がりもできるぐらい(2桁のひっ算とか

できてたし。いうか、そろばんの先生が逆に

小6までに特定の段か級取らせて、市長に賞状

もらわせるんだ、とか、離してくれなくなって

たし:英語させたいから、失礼にならないように

断ってNone帰らすの大変やったし)で、そんな

点つなぐ、いうぐらいのパズルで手こずるとか

思ってなくて。

 

None生まれたときから、発達心理学の本とか、

めっちゃ読んでたし、正直、繰り下がりとか

繰り上がりも、どんな説明しても、わからんし、

それを、説明してるアニメ映像つきDVDとか

探すとか、結局そろばん行かすとか、目でみて

覚えてもらうようにしてできたことで、

 

たぶん、年齢とか、月齢的に、きついんやと

わかってたから、まあ、正解はもう、教えて

しまう、ぐらいのことを、量たくさんやったり

したんやったと思う。

 

自分が両利きで右左区別しにくいんだけど、

受験で出るから、Noneには右と左、どっちか

言えるようにしたんだけど、これは便利で、

Noneが自転車乗れるようになったら、None

幼稚園児やのに、

「次の角、右な。」

って言ったら、右に曲がれるぐらい便利だったん

だけど。

 

ただ、本当に親子して泣きそうになってたのは

跳び箱と縄跳びができなかったこと。これは、

ちょっと、お受験塾で跳び箱やらされてるNoneも

辛そうだったし、自分も見てて、「体格的に

その段とかたぶん無理やねんけど、アカンかったら

受験受かれへんやろうし、どうしよう。」やって

 

ただ、なんとか、受験前までは、言われてる段を

飛べるようにもなってて。

 

で、受験の日

 

待合室で、受験番号隣の人が、受験生である

お子さんに折り紙を渡して、で、こちらにも

「いっしょにどうですか?」って折り紙

手渡されて、Noneも、待ち時間ヒマだから

折り紙始めて。

隣の子が、折り紙めっちゃうまい。特に折り鶴

めっちゃうまい。

で、受験で出るようなことばっかりやったことも

あるけど、どっちかっていうとレゴとか、何やったら

ボーネルントとかで遊ばせてたよ、旦那金あると

思ってたから。教育DVDとかディズニー英語の中古

とかも見せてたけど、折り紙ってあんまやって

なかってん。

 

で、本当に、隣の子が、折り鶴をきれいに折って

るのを、Noneが横で見て、自分がそんな風に

折れないんで、イライラき始めて、でも、待ち

時間長くて、隣の子のように、上手に折り紙

折れない、っていう凹む状態にずっといる

ことになって、

 

で、受験の順番が来た時、もう、面接官に

名前聞かれて、最初の質問かなにかされた

ときには、

 

「わたし、できないもん!わたし、できないもん!」

って、ブチ切れて叫んでしまった。

 

もう、どうしようもないので、なんにもわかってない

Noneに、「がんばったね。」って言って、そのまま

帰ったけど。

 

絶対合格なんかありえへん状態やったのに、一応

合格発表の掲示板は見に行って、で、その隣の番号の

子が受かってて、Noneに、

「隣の子が受かってたよ。」

って言ったら、

「惜しかったね。」

って、当てモンか何か外れたようなことを言ったので

まあ、不合格のトラウマ持つよりいいかな、と、思って。

ただ、正直テストに対する精神的アレルギーみたいなのは

できたのか、小2のときに、無料模試みたいなのが

受けられたので受けさせたら、そのときちょっと軽い

蕁麻疹が出た。なので、しばらくはそういう受験関係の

場所にはいかなかった。小4のときに、公立高校受験

準備の塾に行くときには、それはもうなくなってたけど。

 

自分が、小学校行く前から、日本の伝統文化について

家のなかでも教えてもらえなかったし、だから、外で

そういう場所で参加できなかったし、教えてももらえ

なかった。だけじゃなく、Noneもそれで、大きく

人生を変えられたと思っている。

 

折り鶴のことだけじゃなく、学校で人気のある

テレビ番組を見せてもらえてなかったり、流行りの

おもちゃなどを買ってもらえなかったり、学校や

他の場所で親しい人を作りにくかったことが、

元カレのストーカーのことで、一緒にストーカー

している人の話すことが、

「それ、元カレと付き合うもっと前のことやん、

っていうか、ソレ、昔過ぎて、今もう80近く

なって、少しボケ始めてる自分のオカンはもう

覚えてないようなことやし、オヤジもう死んでるし

他だれも自分ち関わってないし、誰がその話記録

残してるんか、めっちゃ怖いんやけど。」

みたいな話をいっぱい聞かされて。

 

とくに、その、自分が幼稚園入る前の、本当に

誰もお客さんとか来ることないし、両親は母ボケで

父死亡やし、自分が昔切手集めてた、とか、王冠

集めてた(時代でるけどな、どっちの話も)とかの

話、自分も、それ聞くまで、そんな趣味、昔、親に

勧められてしてたこととか、すっかり忘れてたし

武庫川や団地の後ろがススキでいっぱいやったこと

とか、つつじの花のがくとったとこから甘い汁

出るの、その時期保育サークルかなにかで習った

とか、タイル模様の色のついたタイルだけ踏んで

家帰ろうとしたとか、母と近所の買い物行った

ときに、看板や電柱に書いてある数字で計算とか

記憶に関係するゲーム親にさせられてたとか、

 

そんなもん、自分でも40年ぐらい忘れとったわ

 

いや、ワシ、今、機械学習とか使って、語学教材

作る仕事とか、助けてくれる人とか依頼されてる

みたいやねんけど、自分にとってはそういう

分野のほうが得意よ、どっちかっていうと。

 

っていうか、自分がこの人生で吸った甘い汁って

そのつつじの花の汁ぐらいしかないで?マジで、

実際、その人らが自分に「いい思い出でしょ?」

みたいに言うのが、そのつつじの花の汁レベルで

終わってるんだけど。

 

自分が消えてるほうのブログには、日本語学校で

折り紙の折り方を留学生に教えた話(折り鶴では

なくて、ハロウィンの時期だったので、パンプキン

の折り方を動画付きで教えた。文系で「あげます、

くれます、もらいます」だったかな、折り紙や

そのパンプキンを譲渡するのをそれで表現した)

 

まあ、伝統とか文化とか、日本の文化とか、海外

から来る人とか、(そのときは、また、外国人は

不器用だから、とかいって、折り紙を授業で使うか

ですごく揉めたはず。実際はすごく盛り上げたけど。

ただ、元カレとか、日本の文化とか言う人からしたら

「パンプキンヘッド」の折り紙やねんけどな。)

 

養成学校のときも、模擬授業で使った折り紙、それは

そのとき、「」でクリスマスシーズンだったから

サンタの折り方を、「右に折っください」とかで

やった。(当時の自分の授業、こんなんが多かったから

実際自分の受け持ちクラスのまじめな生徒から「あの

先生の授業、遊んでばっかり」言われてた)

 

自分が受けた教育、育った環境、娘にしようとした教育

うけた嫌がらせ、その中でできたこと、日本語教師とか

他の教育機関での自分の立場、できたこと、されたこと

 

外大にいたとき、哲学をしようと決心することになった、

そのとき世話になっていたほうの彼の家で録画した映画

「ヴィトゲンシュタイン」のこの部分

自分の人生で似たようなことが多すぎて、本当に自分の

人生のドキュメンタリーみたいに思って何度も見た映画

 

前も書いたかもしれないけど、実は、この映画で、他の人が

なんとも思わないだろうところで、泣いた覚えがある

 

この女性は、英国貴族で、まあ、友達なんか当たり前に

いるんです。友達を作る努力とか、心配とかしたことない、

みたいな人で、他人に理解されようとしている

ヴィトゲンシュタインがわからなくて、この発言をするん

だけど、本当の友達が欲しくないか?みたいに聞く

ヴィトゲンシュタインに対して、お気楽に

「気にしないわ」と、笑って流すそのシーンが、

 

そうやって生きれる人がいるんだ、ということが

ショックで、愕然となって泣いた覚えがあります。

 

前にこの話書いたの、ここのブログだったかなやっぱり

 

一生懸命話しても、ちんぷんかんぷんだと言われ、

相手にされなかったり、誤解されたりする孤独

 

実際、教育を受けられない田舎の町で学校の先生を

して、(映画や伝記的な本から、教育環境がよければ

数学や論理学はどんな人でも理解できるはず、という

考えだったんだと思う)

でも、教えるのもうまくいかなかったし、周囲からも

理解されてなかったことでキレちゃうんだけど

まあ、キレちゃったんで、映画に出てくる生徒役の少女は

ガクブルで半泣き状態になるんだけど、

同じ質問を、肉体労働者の父を持つ、でも、その両親が

一生懸命教育して、大学で哲学を学ぶことになった

青年と、まあ、BL状態なるんだけど、

上の、字幕で書いてある、「私の言うことがわかるか?」

に対して、やさしくうなずく、というシーンで、

 

何度泣いたかわからないよ。

 

こないだ、いろいろ力技使って、英字幕、音声

書き出しアプリで作って、それSRT(字幕ファイル)

にして、英語字幕ついた動画にしてみたけど

 

DVDに焼こうとしたら、外付けDVD使えなく

されてんのな、ネットストーカーに。しかも、

USB外したのに、エクスプローラーに外付け

DVDドライブついたままになってるみたいに

表示されてるし。

 

あ、今、ネットストーカーとか、それを見ている

らしい人に、「あの人ホンマに女か?」って

言われてるらしいけど、まあ、先日から、自分

昔ネラーのメスだったんで、とか言ってて。

 

とうわけで、折り紙とか、自分がこの国の

伝統文化とかを教えてもらわなかったし、

そのせいで、「友達」と呼べる人がほとんど

いないこと、呼んでいた人ですら、なにか、

親かなにかが、自分たちのしている虐待が

表ざたにならないように連れてきた人で

あるらしい、ということが、この歳になって

わかった。

 

実際、映画の「ヴィトゲンシュタイン」は、

あんまり自分の人生に似ているから、何度も何度も

見てしまったのだけど。(そのおかげで、英語が

理解できるきっかけにはなったのだけど。ドイツ語

はイギリス英語と発音が近いし、この映画に慣れて

いたおかげで、BBCが聞きやすかったのはあると

思う)

 

自分が学習した言語、英語、ドイツ語、中国語など、

カタカナ語で言うのもなんだけど、それらの言語で

なにかを聞いているときのほうが、気持ちが

アットホーム(これ、純粋な日本語でどう表現する

のかわからないし、現代の日本人はそういう人が

多いとおもう。)

 

今日は、ちょっと、本当に音楽のストーカーとかから

逃げ切って、助けてくれる人に本当に会いたいと思って

(前からだけど)かなり体調とか崩しながら過ごした

一日でした。

 

だいたいこんな感じです。
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