世にある日々

現世(うつしよ)は 愛おしくもあり 疎ましくもあり・・・・

くものいと

2015-09-08 | ふぉと
































例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。
見ると、それは菫(すみれ)の花だと解る。
何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。
諸君は心の中でお喋りをしたのです。
菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。
それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。
菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまうことです。
言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、
花は諸君に、かって見た事もなかった様な美しさ、それこそ限りなく明かすでしょう。


                                                     「美を求める心」  小林秀雄  より