「やまぐちフラワーランド」の中で、「イベントホール」からの眺めはこうしたものになります。
「花」が見えない空間にあると、とても穏やかですが、どこか人の持つ「精神性」を感じてしまいます。
それとよく似た作品に、中村さんの「青海島遠望」という作品がありました。
水平線に浮かぶ島々と作者の間にどこか会話のようなものが見られますが、その会話は現在の問題点を浮き彫りにしているかのように見えました。
今、日本ではものが溢れ、いろいろな虚飾に囲まれて生きていますが、そうしたものをいっさいのけると、そこには「自然との正面からの対話」が見えてきます。
単純に「自然の存在」だけに目をうつすと、そこには「人」の「原点」さえ見えてきます。
そうした静かな空間の中で「思索にふける」喜びのようなものが伝わって来ます。
そうした「静」の時間を共有できる花は、これではないかと写真にとりましたが、どこか心休まる色彩になっています。
一変して、「菜の花」というこの作品に、目をうつすと「春の訪れ」という場面を中村さんは歓喜を持って描いていることがよくわかります。
「黄」という色調を使って、心の躍動感を表したこの作品から、「心の動き」を感じ取ってしまいます。
「ゴッホ」が「アルル」にうつってから描いた作品の中に、「ひまわり」や「麦畑」「夜の照明」という場面でさかんに「黄」を使い、「喜び」と言うものを「黄」で表現しています。
そうした関連からもこの「黄」の持つ色調は、「気分の高揚」を感じ取ってしまいます。
前の作品が「青」を色調にしているのに対し、この作品は「黄」を色調にしています。中村さんに「どうしてこういう変化がでたのか」聞きましたが、「自然とこうなった」という答えが返りました。
それは、裏を返せば、人の「心の起伏」がいつも同じでないことの説明にもなります。
いつも心の中が変化していることは、ある意味ではとても大事なことのように思えます。
「黄」からのイメージで、園内を回るとこういうものに出会いました。会場に来た人々を祝福するかのようなこの形態と色はまさに「心の喜び」を私たちに教えてくれます。
また、こうした「すえひろがりの黄」は、それらを讃えているかのように見えて仕方ありません。
「静と動」の二つの相反するものが、どういう場面でも働いて要ることが良くわかり、どこか「哲学の世界」を浮遊している感覚に陥りました。