緑の空間に「赤」と言うのはとても生えることがわかります。「赤」という色はそれ自体でも強烈な印象を与えますが、「緑」という色の中にあるとさらにその色合いがましてきます。
先日のブログに書いたと思いますが、日本人はこうした強烈な色をあまり好みません。
どちらかと言うと、「桜」に象徴するように、淡い感じの色が好きで、その「もものあわれ」のようなものに自分を投影することが好きなようです。
俵田さんの作品は、そうしたことを打ち消すかのような「赤」を中心にしたものになっており、その題材から受けた印象を大事にしていることがよくわかります。
「マチス」という画家が、好んで「赤」を使っていましたが、そこには同じような気持ちが働いているように思えます。
感じたことを素直に表すことはとても難しいことですが、それがとても大事なことのように思え、そうしたことを我々に教えてくれる作品になっています。
日本で見る服や車の色をみても、原色を使ったものが少なく、「白」や「グレイ」という色が主流になっているのは、意外と気づかないものです。
最近では「車」でも原色の色が少しずつ増えているようですが、それでもまだまだ多いとはいえません。
日本では「周りに合わす」考え方はこうした「色の世界」にもみられ、違和感のある原色を使おうとはしません。
それはある意味では「学校教育」のあり方にも問題があり、「自己主張」を抑える日本の教育制度から生まれてくるものであることがよくわかります。
先日「ニューヨーク」に行って、そうした場面を見た時、子供たちの自由な発言を見ると、小さな頃よりそうしたことが育っているのが良くわかりました。
そうしたことを感じさせるような作品になっているのが、俵田さんの作品で、絵画を通じてそうしたことを主張できることを教えてくれるようで、とても頼もしいものを感じました。
「絵画」という表現は、そうした「個」の持つ特性を生かしてくれるすばらしいものであることがよくわかります。