唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

午後の遺言状

2007年07月10日 | 映画 か行
午後の遺言状

角川エンタテインメント

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正直に言うと、よくわかりませんでした。裸の島をみたので、「老後」をかなりリアルに映してくれるのでは?と勝手に想像していた分、ちょっと間抜けな喜劇のような展開に戸惑いました。

・・まだ「老後」をどう生きるか・・・どのように死んでいくのか・・・が自分の中での課題になっていない分、理解できないところもあるのかもしれないですが・・・

絵的にもコントを見ているような・・・演劇を見ているような・・・特に別荘の食堂だけで基本的に話がすすめられていきますが、そこでも「演劇」的と思いました。セリフも結構演劇的。

古い風習の足入れ式(だっけ?)とかなんとか・・・すごい違和感がある。日本にこんな風習が本当にあるのだろうかと、信じられない気持ちでいっぱいです。あれって、やっちゃうの?って感じです。天皇家がなんだかの儀とかいろいろことあるごとに儀式を行うのを見て、男根挿入の儀とか女穴受入の儀とかテレビで生でやるんじゃないかとか勝手に考えて茶化していましたが、本当にそういう儀式があるなんて。天皇家じゃないけど・・・
日本の風習侮りがたし。

あの女の子、男の前で裸で平気でいられる神経に違和感を感じましたが、その違和感のルーツはそこになるのかなんなのか・・・よくわかりませんが、あの子だけ、違う世界の女の子に見えた。おいおい、そんな簡単に話とあまり関係なさそうな場面でおっぱい見せて、ヘアも見せて、どうしたの?って感じでしたもんね。それぐらい普通に素っ裸だったから、こっちも別にドキドキしないけれど・・・不思議な空間です。

音羽さんの「おらOOだ」みたいなセリフもかなり違和感があって・・・リアルさが無いというか、どこの人?って感じでした。「おら悟空!」っていうくらい、どこの地域訛りかわからなそうなかんじで・・・・わざとそういうリアルさを取っ払ったのかもしれませんが・・・。

あの凶悪犯の登場も、警察の登場も、リアルさとは違う不思議な感覚で・・・というか、全然リアルじゃない。意識的にそうしてるとしか思えないんですけど、何でそうしたのかが理解できない。

あの老夫婦。心中しちゃいますけど、少しずつ、そういう影を感じます。最後はもう、それしかないという予感をさせます。でも、あの2人にあたらしい思い出を刷り込んでおいて、その道を行くというのはなんというか、残された方はショックでしょうね。
2人にとっても「死」は他人事ではなくなってきているし・・・音羽さんの言うように、認知症というのも、他人事ではないのでしょうし・・・そういう中での出来事ですからね。自分のことのようにショックだったと思います。海のシーンはきれいでした。

じぶんは、そうはいってもまだ30代ですから、「死」というものは身近な存在という認識にはなっていません。でも、その年齢になれば、どのように死ぬかというのは、人生の大きな悩みなんでしょう。思春期に異性の事が気になってしょうがないのと同じぐらい、死ぬことへの悩みは大きかったりするのかも。なんて、わかりませんけど。
 
自分にとっては全然リアルと思えないあの世界は、観る人が観れば、リアルで身につまされる・・ということになるのかもしれません。

このえいがは、また10年後、20年後に見たら違う印象かもしれません。

人間は、確実に歳をとるんですね。