唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

ちはやふる その2

2012年02月14日 | 
ちはやふる(15) (BE LOVE KC)
末次 由紀
講談社


最後まで買ってしまいました。
あっという間に15巻まで行っちゃいました。

それでアニメの方もみてみましたが、たしかにかるたのルールがわかるようにつくられていて、マンガの中でやっていることがこういうことだったのかと、納得させてくれました。

マンガの世界とアニメの世界、どっちも大事です。
マンガは、読んでいて、時間の制約はないし、早くとばしたり、じっくり読んだり、読むスピードもそれぞれ違うし、自分のペースですすめられる気がします。手近にあるその巻だけを何度も読んじゃったり。適当においてあると抜けちゃう巻もでちゃってこの先読みたいと思っても読めなくなっちゃったり。
早く先を知りたくてあまり理解していないまま先に進んじゃうことも多いんだけど。それはそれで、その欲望のままに突っ走るのが好きなんだけど、とばしてしまったことで先のほうのストーリーが難解になって行き詰まってしまったりもします。
何度も読むうちに、気づかなかったいいところが見えてきたり、逆に、ちょっと胡散臭く思えたり。
マンガは最初のインパクトも大事だけど、長く読者の心をとらえ続けるのも大変です。
なんか、マンガそのものの話をしていますが・・・

で、アニメですが、百人一首の世界を映像や色で表現したり、札を取るスピードの早さとか、競技がどのように進んでいくのかがとてもわかりやすくて、こっちも大事ですね。マンガでわからなかったことがアニメでわかるというのはなかなか珍しいことです。

こんな風にマンガとアニメを同時並行で見比べたことってなかったなあ・・・
どっちも面白いです。

ところでちょっと話が変わりますが・・・
インターネットでいろいろみているうちにこの作者さんが、盗作をして問題になった人だと知りました。
それまでちはやふるって全面的に面白い!と思っていた気持ちに余計なものが持ち込まれてしまったような複雑な気持ちになりました。
このカットはこの写真をトレースしたとか、このマンガのシーンと同じだとか、いろいろ検証しているサイトなんかもあったりして。あまりいい気分じゃないですね。

他の作品で結構映画のパクリとか恥ずかしげもなくしちゃってたりするのをみて、それがマンガの世界では当たり前で「あり」だと思ってたんですが、さすがにそのままなぞった絵はダメだったんですね。

そんなこんなグルグル考えながらこのちはやふるのことを考えると、この作品で同じことやってもそう簡単に気づかないよな・・・とか、マンガの表紙が顔のアップが多いのは、そういうことを引きずっているんじゃないかとか、とても不安になったり・・・
知ってしまうと引きずってしまいます。作者もその過去をずっと引きずっていくんでしょうね。人気がでれば出るほど、過去が大きくなっていくのかも知れません。

それでたいちくんが新君のめがねをかえすシーンとか、周りの人がひそひそと悪口を言っているシーンが多かったり、肉まん君が一時期かるたを諦めていたりするのも、作者の気持ちとか体験とかが反映されてるんじゃないかと思ったり、登場人物のまっすぐさとかはそういうごちゃごちゃした世間の中でまっすぐに走りたいという思いなのかな?とか、ほんと、余計なことも考えてしまうようになってしまいました。

これだけ面白くて泣いちゃうシーンもあって、一生懸命なマンガですから、それは作者の今の気持ちであってほしいですね。

で、また話しかわりますが、つきあうならかなちゃん!っていうのなんか納得ですね。