唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

母を訪ねて三千里

2019年12月04日 | アニメ
ハイジのあとはこれ!
オープニングの映像の美しさに度肝を抜かれます。マルコかっこいい!
ただのかわいい子ども出ない、マルコのきかんぼうのところが素晴らしい。ボクは一人前に何でもできるんだぞ!と言っちゃうところが子どもなんです。そんなかわいげのないマルコがいろんな人と触れ合う中で成長していく話です。おかあさんとの再会のシーン。泣けます。でも、いいんです。泣きたいときは泣けばいいのです。

フィオリーナとその家族がいいです。
フィオリーナがマルコとふれあう中で自信をつけていくのももう一つの見どころです。お姉さんも本当は、普通に恋をして普通の暮らしがしたいんですねえ…お父さんもいい加減そうで、ほんといい加減で、でも、いい加減で、いい加減でした。

何と言ってもアメデオです。たまらんです。ほしいです。アメデオがいなかったら、もうちょっと旅も楽だったかもしれませんが。

最初の晩餐

2019年12月04日 | 好きな映画・良かった映画
あの日のオルガンで戸田恵梨香さんが気になってしまって、その流れでこの映画を知り、観てきました。

この映画もすごい面白かったです。
子どもが上手で自然でいいです。子どもを大切にできる映画は間違いありません。

戸田恵梨香さんは、はまり役で良い味出してます。気持ちがない人には冷たくできるキャラクターで好きにはなれない人です。冷たくされたら、ほんと暗くなってしまいそう。あの目が…。
ただ、子ども時代が結果的には「以外」といい性格だったので(最初のにらみつけるような目つきには笑いましたが)、家族の問題だけでなく、その後の生き方がどういうふうだったか気になってしまいます。
みんなそうですね。描かれなかった部分、離れていた時間をどう過ごしてきたのか。気になってきます。
父親のこと何もわかってなかった的なセリフがありましたが、人間なんて、ホントに他人をわかってないし、あぶなっかしい細い線でつながってるのかもしれませんね。だけど、その細い線が実は強い線だったりするのでしょうか。
兄と昔の話をしたときに、共通の記憶もあるけれど、父や母の記憶で、自分だけの記憶って結構あるんだなあと思ったことも思い出しました。

めったに会わない親戚も、わずらわしいし、普段なんの関係もない、見えないような細い線だけれど、なんのかんのでつながってる。最後、みんなで集合写真を撮ったときに、(それでいいんだなあ…)と、自分で何がどういいのか分からなかったけど、そう思いました。
あの集合写真はとても大事なシーンでした。中心の家族に彼女が加わった写真にもできたと思うけどそうしないで親戚一同に彼女が加わるようにしたところが良かったです。

しかし、あらためて、家族ってなんでしょう。自分にとっては、故郷の思い出という、過去でしかなくなっているのが、寂しいところです。

ミイラ展行きました。

2019年12月04日 | 博物館・美術館・資料館
子どもとか、30歳ぐらいとか、若い年齢が多くて、よく考えたら30代は今で言う何歳ぐらいなのでしょうか。
子どものミイラを見ていて、大きくなってどんな生活したのかなと思い、ハッと我に返って、そうだ、死んでるんだ…と、妙にさみしくなったり。
死体を見ている感覚がなく、ミイラという、愛されたその人に思いを馳せる感覚でした。生身の形見とでもいいますか。

中には、殺された…のもありますが、それはそれで、殺した方は残らないで、殺されたほうが歴史に残るんだから皮肉なものです。

死体の復活を信じてつくられたものは、形をのこされたことでなんか命を宿している気がしてくるし、自然埋葬の袋の中でずっと形を維持してきたものは、もう、それだけで歴史を生き抜いてきたような気がしてしまいます。死んで生を受ける特別な存在な気がします。
なんとなく、愛情を感じるのです。

でも、日本のミイラは、ちょっと感じ方が違って、執念、情念(?)のような、迫力を感じました。なんでだろう。生きているうちからミイラに自らなろうとしているからなのかもしれません。