9/15に阪急今津線 仁川駅の南側にある仁川南岸踏切で下りの5000系を撮りました。
1枚目は、仁川南岸踏切に向かう5053の普通 宝塚行きです。
2枚目は、引いて撮った5053です。
3枚目は後追いですが、仁川駅に向かう5001です。
以下の記事は過去に書いたブログの再掲になります。
5000系は1968~69年に1967年の神戸線の1500V昇圧後に初の1500V専用車として47両が登場しました。
冷房化、表示幕設置などの改造を経て、2001~07年にリニューアル工事を受けて大きく表情が変わりました。
5100系の付随車の編入も有り、8両編成×8編成に組み替えられて神戸線で活躍していました。
2016~19年に7編成が中間車2両が脱車されて6両編成となって今津線に転属し、2020年に残った5000Fは8両編成のまま引退しました。
さらに、2023年に6両編成の5012Fも引退し、現役で活躍しているのは6両編成×6編成になっています。
1968年に登場した3両編成の5001Fは、同時期に登場した3両編成の5000Fとペアになった6両編成で神戸線を中心に活躍しました。
1969年に先頭車のMc×2両が新製されて5000F+5001Fに組み込まれて、2両編成の5000Fと3両編成の5030F、5001Fの3編成が組み合わさった8両編成に組み替えられました。
神戸線での連結解放運用に対応するために神戸線内は5000F+5030F+5001Fで運用され、三宮駅で5000Fの2両編成を切り離して5030F+5001Fの6両編成は山陽電鉄に乗り入れる運用となりました。
1977年に連結解放運用が6000系に置き換えられることになり、3両編成の5001Fは同じく3両編成の5003Fとともに2021系を電装解除した中間車2071系を組み込んだ4両編成のペアとなり、5001F+5003Fの8両編成として運用されました。
2006年にリニューアル化の際に、2071系の中間車は脱車されて5100系から改造された中間車に差し替えられ、さらに連結部に入った5001Fと5003Fの先頭車も中間車改造され、8両編成の5001Fとして運用されました。
2019年に5100系から改造された中間車2両が脱車されて6両編成化されて今津線に転属して現在も活躍しています。
5001Fの今津線への転属は、5000系では最後の今津線への転属となっています。
1枚目は、仁川南岸踏切に向かう5053の普通 宝塚行きです。
2枚目は、引いて撮った5053です。
3枚目は後追いですが、仁川駅に向かう5001です。
以下の記事は過去に書いたブログの再掲になります。
5000系は1968~69年に1967年の神戸線の1500V昇圧後に初の1500V専用車として47両が登場しました。
冷房化、表示幕設置などの改造を経て、2001~07年にリニューアル工事を受けて大きく表情が変わりました。
5100系の付随車の編入も有り、8両編成×8編成に組み替えられて神戸線で活躍していました。
2016~19年に7編成が中間車2両が脱車されて6両編成となって今津線に転属し、2020年に残った5000Fは8両編成のまま引退しました。
さらに、2023年に6両編成の5012Fも引退し、現役で活躍しているのは6両編成×6編成になっています。
1968年に登場した3両編成の5001Fは、同時期に登場した3両編成の5000Fとペアになった6両編成で神戸線を中心に活躍しました。
1969年に先頭車のMc×2両が新製されて5000F+5001Fに組み込まれて、2両編成の5000Fと3両編成の5030F、5001Fの3編成が組み合わさった8両編成に組み替えられました。
神戸線での連結解放運用に対応するために神戸線内は5000F+5030F+5001Fで運用され、三宮駅で5000Fの2両編成を切り離して5030F+5001Fの6両編成は山陽電鉄に乗り入れる運用となりました。
1977年に連結解放運用が6000系に置き換えられることになり、3両編成の5001Fは同じく3両編成の5003Fとともに2021系を電装解除した中間車2071系を組み込んだ4両編成のペアとなり、5001F+5003Fの8両編成として運用されました。
2006年にリニューアル化の際に、2071系の中間車は脱車されて5100系から改造された中間車に差し替えられ、さらに連結部に入った5001Fと5003Fの先頭車も中間車改造され、8両編成の5001Fとして運用されました。
2019年に5100系から改造された中間車2両が脱車されて6両編成化されて今津線に転属して現在も活躍しています。
5001Fの今津線への転属は、5000系では最後の今津線への転属となっています。