12/25に能勢電 畦野駅で国鉄前線廃線40年記念ヘッドマークを掲出した旧阪急の1700系を撮りました。
1枚目は、畦野駅に向かう国鉄前線廃線40年記念ヘッドマークを掲出した1705(旧阪急2013)の普通 川西能勢口行きです。
2枚目は、1705に掲出された国鉄前線廃線40年記念ヘッドマークです。
ヘッドマークには、国鉄前線で運用されていた50形51がデザインされています。
3枚目は後追いで、畦野駅に到着した1755(旧阪急2062)です。
4枚目は、1755に掲出された国鉄前線廃線40年記念ヘッドマークです。
ヘッドマークには、国鉄前線で運用されていた60形61がデザインされています。
川西能勢口~川西国鉄前駅間の通称 国鉄前線は、川西能勢口駅付近の再開発のため1981年12月10日に廃止となっています。
廃線後40年が経過したことを記念して、12/20~より記念オリジナルヘッドマークを掲出した運行が開始されています。
公式発表では、12/20~来年1月末までは1755F、2~3月末までは5124Fに記念ヘッドマークが掲出されることとなっています。
この日は当てずっぽうで能勢電に行ってみましたが、運良く1755Fを撮ることができました。
ヘッドマークにデザインされた能勢電50形は、1921(大正10)年に伊丹線用に登場した阪急37形37~39が1948~49年に能勢電に譲渡され、70形71~73に改番された後、1953~55年に70形の走行装置に新製した半鋼製車体を載せた車体更新により登場しています。
60形は、1923(大正12)年に今津線用に登場した阪急40形40~45が能勢電に貸与され、1955年に40、41の走行装置に新製した50形と同形状の半鋼製車体を載せた車体更新により登場しています。
張上屋根で前照灯が埋め込まれてブルーとクリームに塗り分けら車体は、他の在籍車両より大型で収容力も多いので、能勢電の主力として活躍しました。
1962年には50形50、51号の機器を、60形に更新しなかった40形43、45の機器と換装したために、50、51は60形は実質同形車となっています。
1966年に阪急から貸与された320形による2両編成での運行開始に伴って車両が大型化されると、50、52、60が引退し、51、61は川西能勢口~川西国鉄前間の折り返し運転用として運用されました。
同区間は1959年から妙見線への直通運転が行われず、川西能勢口~川西国鉄前間の折り返し運転のみとなっており、1975年以降は平日朝3往復、夕方2往復まで減便され、さらに日祝日は朝1往復が減便されていました。
運用車両も51が使用され、61は予備車的な扱いとなっていました。
自分も小学生の頃に家のカメラを持ち出して、川西能勢口駅に留置中の多分51を撮った記憶が有ります。
その後、同区間は1981年に廃止となり、51、61も同時に引退しました。
1枚目は、畦野駅に向かう国鉄前線廃線40年記念ヘッドマークを掲出した1705(旧阪急2013)の普通 川西能勢口行きです。
2枚目は、1705に掲出された国鉄前線廃線40年記念ヘッドマークです。
ヘッドマークには、国鉄前線で運用されていた50形51がデザインされています。
3枚目は後追いで、畦野駅に到着した1755(旧阪急2062)です。
4枚目は、1755に掲出された国鉄前線廃線40年記念ヘッドマークです。
ヘッドマークには、国鉄前線で運用されていた60形61がデザインされています。
川西能勢口~川西国鉄前駅間の通称 国鉄前線は、川西能勢口駅付近の再開発のため1981年12月10日に廃止となっています。
廃線後40年が経過したことを記念して、12/20~より記念オリジナルヘッドマークを掲出した運行が開始されています。
公式発表では、12/20~来年1月末までは1755F、2~3月末までは5124Fに記念ヘッドマークが掲出されることとなっています。
この日は当てずっぽうで能勢電に行ってみましたが、運良く1755Fを撮ることができました。
ヘッドマークにデザインされた能勢電50形は、1921(大正10)年に伊丹線用に登場した阪急37形37~39が1948~49年に能勢電に譲渡され、70形71~73に改番された後、1953~55年に70形の走行装置に新製した半鋼製車体を載せた車体更新により登場しています。
60形は、1923(大正12)年に今津線用に登場した阪急40形40~45が能勢電に貸与され、1955年に40、41の走行装置に新製した50形と同形状の半鋼製車体を載せた車体更新により登場しています。
張上屋根で前照灯が埋め込まれてブルーとクリームに塗り分けら車体は、他の在籍車両より大型で収容力も多いので、能勢電の主力として活躍しました。
1962年には50形50、51号の機器を、60形に更新しなかった40形43、45の機器と換装したために、50、51は60形は実質同形車となっています。
1966年に阪急から貸与された320形による2両編成での運行開始に伴って車両が大型化されると、50、52、60が引退し、51、61は川西能勢口~川西国鉄前間の折り返し運転用として運用されました。
同区間は1959年から妙見線への直通運転が行われず、川西能勢口~川西国鉄前間の折り返し運転のみとなっており、1975年以降は平日朝3往復、夕方2往復まで減便され、さらに日祝日は朝1往復が減便されていました。
運用車両も51が使用され、61は予備車的な扱いとなっていました。
自分も小学生の頃に家のカメラを持ち出して、川西能勢口駅に留置中の多分51を撮った記憶が有ります。
その後、同区間は1981年に廃止となり、51、61も同時に引退しました。