boutie ☆-ブティ-

気が向いた時、気儘に更新。ハンドメイド(パッチワーク・タティングレース・いろいろ)と日々の雑感、備忘録。

プリンシブル♪白洲次郎

2006-08-14 | インポート

1ヶ月程前、さんまさんがナビゲーターとなり白洲次郎の

軌跡をたどる番組が放送された。深夜であったので

録画しておいた。その時は白洲次郎という人物の

存在は全く知らなかった。ただ、さんまさんが深夜枠で

真剣にナビゲーター勤められているようなので、おもしろいに

違いないと思ったのが、きっかけ。

プラス「日本で最初にジーパン、Tシャツをきた男」の

番宣にそそられた。

夫が旅行で3日留守になった、時間はたっぷり、…

ゆっくりと、ビデオを見ることに…。

そして白州次郎の存在を知る番組に出会えたのである。

番組見た後、本検索してみると何冊かヒット。

ちょっと読んでみようかなと思える本もある。

「白州次郎、占領を背負った男」北 康利著

内容(「BOOK」データベースより)
白洲次郎=明治三五年(一九〇二年)兵庫県生まれ。神戸一中卒業後、英国ケンブリッジ大学に留学。戦前、近衛文麿、吉田茂の知遇を得る。戦後は吉田茂の側近として終戦連絡事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官を歴任、日本国憲法制定の現場に立ち会った。また、いち早く貿易立国を標榜し、通商産業省を創設。GHQと激しく対峙しながら、日本の早期独立と経済復興に、“歴史の黒子”として多大な功績を挙げた。昭和六〇年没(享年八三)。紳士の哲学“プリンシプル”を尊ぶイギリス仕込みのダンディズムは終生変わらなかった。妻はエッセイストの白洲正子。

番組は「プリンシブル」を強調、イギリス貴族の哲学 「 いかなる事にも筋を通す。」

が白州次郎の哲学。戦後日本国憲法の制定に関わり、GHQマッカーサーと

わたりあった男と語る。そして、有名な軽井沢にある会員制ゴルフクラブの

オーナー時代に、時の首相田中角栄がゴルフがしたいと訪ねた際も

「会員ではない。」と言って追い返したというエピソードがあるという。

気骨に溢れた、相手が誰であろうと筋を通す姿は、この現代に

ほしい人材と思ったりした。

きっと、1週間後には、白洲次郎のタイトルの本読んでいるかも…♪

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朝顔2輪

2006-08-14 | インポート

朝顔2輪

昨日に続き涼しげな朝顔♪子供の頃食べた、かき氷の器を連想する。

あの頃の、夏は輝いていた☆

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