boutie ☆-ブティ-

気が向いた時、気儘に更新。ハンドメイド(パッチワーク・タティングレース・いろいろ)と日々の雑感、備忘録。

もう、少し。

2007-09-29 | その他いろいろ

わがブログ、二つのカクンターがありまして…。(見ればわかるカッ~)

ダンス

どちらが、正しいのか解らないまま二つとも生きています。

どちらも、私にとっては大事な子。♪

その内の

大ッきな数字の子が、あと数時間で20000を踏みます。♪

踏むと思います。♪

イベントはありませんが、20000を喜び、皆様に感謝したいと思います。

最近では めっきり更新の機会が減ってしまいましたが、なるべく時間を

上手に使い、長~く続くよう頑張ろうと思っています。

おじぎ(アリス)

これからも よろしく~~♪

投げキッス(マリー)

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石田 徹也、ご存知?

2007-09-29 | お気に入り

石田徹也遺作集

石田徹也遺作集
価格:¥ 3,150(税込)
発売日:2006-05

突然ですが、石田 徹也という若くして夭逝した画家をご存知ですか。

パッチワークの先生から、”AERAアエラ”に載っていた記事を勧められ読む。

偶然にも、この方のお母様が、数年前パッチワーク教室の生徒として

通っていらした事、お聞きする。

このお話だけで、ぐっと身近に感じられる。

しかし、ページをめくり、作品を見た瞬間、引いてしまう。衝撃の作品。!

(石田 徹也↑を クリックすると、HPにとび絵画掲載されてます。)

第一印象は良いと、言えない印象の作品でしたが、記事を読むうち印象が変わる。

一度見たら絶対に忘れられない作品であり、もっと、見たいと思える作品でもある。

何より、絵に込められたメッセージが心に食い込んできます。

残念ながら、静岡県立美術館でこの夏の間展示があったようなのですが、

すでに終わってしまったようです。

県民ギャラリーのコーナーでの展示だったようで、タイミングが悪く悔やまれます。

~AERAアエラ・2007/9/24記事の内容~

☆2005年5月、踏み切り事故により31歳で亡くなる。

☆代表作「飛べなくなった人」が表紙をかざる「石田徹也遺作集」が

  去年の5月発売から書店で売り切れが続出。

  きっかけは、昨年9月放映のNHK教育テレビ「新日曜美術館」。

  45分にわたって石田の作品と生涯を紹介。

  放映後、問い合わせが殺到し、オンラインショップ、”アマゾン”

  の国内サイトで遺作集が売り上げ総合第1位となり、番組の

  感想を綴るブログ件数も、数日間で数万件まで膨れあがった。

  (私も、その内の一人になったと 言うこと…?)

☆この「石田徹也現象」と呼ぶべき熱は、未だ冷めやらない。

☆故郷の静岡県で遺作展が開かれた際にも、遠方から来場者が

  駆けつけ、作品の前で立ち尽くし、涙する人もいた。

☆実物の作品は、想像以上に巨大で、遺作集より色彩が明るく

作品の表情も、ユーモアを帯びてみえた。

☆両親が会場に置いた「寄せ書き」には、「涙がこみ上げてきました。

 本当にすみにくい世の中です。見て見ぬふりしていた自分と直面

 した気になりました。」「同じ年代の年頃の息子がいます。彼らの

 世代の奥底にある悲しみが伝わり、胸が苦しくなりました。」

☆石田作品の「語り部」となりつつある、明治学院大学文学部の

 山下裕二教授は「誰もが社会に抱く違和感を、石田君は黙々と

 描き続けました。この違和感は若者だけが共有するものではなく

 とうの昔に封印した年代にも、静かに響いてくるもです。何より

 石田君は情けない自分をひたすら愚直に描いている。その分、

 作品と鑑賞者の距離が近づいたのではないでしょうか。」と…。

☆石田の作品にはほぼすべてに「自画像」が登場する。

☆1973年、静岡県焼津市にうまれた。4人兄弟の末っ子。

  幼い頃から絵が好き。92年武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン

  学科へ入学。広告デザイン、イラストを学ぶが、関心は絵画へと

  移り、就職活動はせず、96年「画家として創作していく。」と

  覚悟を決めていた。

☆実家に、数十冊におよぶ石田の「創作ノート」が保管されている。

  どんな夢をみたか、どんな映画を観たかなど、アイデアに繋がる

  ものを細かく書き記している。「ベルトコンベヤー上の人の

  シリーズで 工場労働者(幸福さのかけらもなく)」などと…

☆いくつかは作品も売れたが、生活は苦しく、時給の高い深夜の

  肉体労働・過酷な労働環境が鋭敏で繊細な石田の心を傷めて

  いるように みえた。

☆どんなに、生活が苦しくても、両親からの送金を「自分が駄目になる

  から」と断り続けた。

☆交際していた女性とも、「幸せすぎて絵が描けないから」と別れて

  しまう。

☆宮沢賢治ののようなストイックさで、石田が目指したものは…

  「「禁欲生活を始める。これ以上堕落してはいけない。持続的な

  努力をしなければいけない。」と…。

☆わが身を削りながら、疾走するように描き続けた作品は200点。

☆母・サチ子さんは、

  「私たちは、恥ずかしながら、画家としての徹也のことをほとんど

  何もしりませんでした。徹也の絵を見てくれた方々に、教えて

  いただく事ばかり。何か、宝物をいただいているような思いです。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ざっと、こんな↑内容でした。

ただ、抜粋しただけなので 伝わらないかな??

グサッと、心に食い込んだこの感覚、伝わると良いのですが…。

まず、HPにいって絵観てほしいな。

うまく語れませんが、誰もが持っている閉塞感とか違和感(社会)を

”これでいいの~”、と代弁してくれている。いや、そんなに強く

主張していませんよね。

ジーンと心に伝わり、考えさせられる、と言ったほうがいいかも…。

何時の日か、実物の作品と対面できるといいのに……。

もし、お付き合いして下さった方がいらしたら、お礼申し上げます。

拙い文章にお付き合いくださりありがとうございます。

コメント (4)
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