「讃美歌を歌うとき…王である神を…褒めたたえているでしょうか」
(喜びの教会へようこそ キアロン長老)
すてきな声の上手な歌は、聞くのも歌うのも気持ちの良いものです。
心がこもっていればなおさらのことですよね。
感動さえあるかもしれません。
その心はどこへ向かっているでしょうか。
聞く人、歌う人の喜びでしょうか。
それとも、神でしょうか。
「わたしは心の歌を喜ぶ…義人の歌はわたしへの祈りである」教義と聖約25:12
昨日の“礼拝 ”とまったく同じ意味で、その心は日々の生活、言動、生き様に現れます。
少し言葉を換えてみます。
「日々の生活の中に神を礼拝する思いがあれば、その心と讃美歌は一致し、祈りとなります。」
そう思いませんか。
(喜びの教会へようこそ キアロン長老)
すてきな声の上手な歌は、聞くのも歌うのも気持ちの良いものです。
心がこもっていればなおさらのことですよね。
感動さえあるかもしれません。
その心はどこへ向かっているでしょうか。
聞く人、歌う人の喜びでしょうか。
それとも、神でしょうか。
「わたしは心の歌を喜ぶ…義人の歌はわたしへの祈りである」教義と聖約25:12
昨日の“礼拝 ”とまったく同じ意味で、その心は日々の生活、言動、生き様に現れます。
少し言葉を換えてみます。
「日々の生活の中に神を礼拝する思いがあれば、その心と讃美歌は一致し、祈りとなります。」
そう思いませんか。