モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会より 1月21日

2025-01-21 06:12:16 | 総大会
「わたしたちは違いに焦点を当てるのではなく、共通点を見いだしました」

不平不満や怒りの声を聞くとき、そのほとんど(すべて?)は違いに焦点を当てたものです。
愛を語るとき、それは共通点に目を向けたものではないでしょうか。
わたしにはそう感じられるのですが、どうなのでしょう。

もしもそうであるなら、「違い…ではなく、共通点」に目を向けるのは主の方法かもしれませんね。
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総大会より 1月20日

2025-01-20 06:06:28 | 総大会
「『あなたがたはわたしの友である』 その思いは明白です。救い主はわたしたち一人ひとりを…見守っておられます。」
( あなたがたはわたしの友である バックナー長老)

“友”とはどういう意味でしょうか。
「志を同じくする人」
福音のもとでは、これが一番しっくりきそうです。

「主の御心は何ですか?」
いつも祈ります。
主と志と同じにしたいからです。
御心を知りたいのですが、時々よく分かりません。
難しいものです。

「主の御心に添うことができた」と感じることのできるときがたまにあります。
心は喜びます。
いつもそんな思いでいられたら幸せですね。
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総大会より 1月19日

2025-01-19 06:47:40 | 総大会
「対立と分裂に満ちた世界で、対話が批判や軽蔑に取って代わられ…る中、一致と愛…を求めて目を向けることのできる明確でシンプル、かつ神聖な模範がある」

昨日、神殿に向かう車の中でそのことについて語り合いました。

「どうして人は他人と異なる点に目を向けるのでしょうか。
異なる点を際立たせて、違いを強調し、差別し、分裂し、そして相手を負かそうとするのです。」
そんな感じの内容でした。

対立や分裂は簡単です。
批判し、軽蔑し、怒りを示し、争えばいいのです。
そのための材料は、探せばすぐに見つけられそうです。
でも、そのことにどれほどの価値があるというのでしょうか。

一致と愛を求めることは簡単ではないかもしれませんね。
でも、その価値はあると思いませんか。
そのためには、対立や分裂の材料になるもの、また怒り、争うための武器も埋めて、目に見えるところから隠してしまう必要があります。
わたしの場合は、深くて大きな穴が必要になりそうです。

アンモンの民が行ったように。(アルマ24章)
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総大会より 1月18日

2025-01-18 06:05:19 | 総大会
「平日のささやかな瞬間に、主の幼い羊を絶えず世話しながら、救い主に対する、また救い主から感じる、愛と感謝と喜びを、模範によって教えることができます。」

愛する家族、子供たちから貰った大きな祝福のひとつは、神の人に対する愛を理解できた瞬間です。

彼らのことを思い、導き、喜び合うとき、突然理解が開けるのです。
「そうか、天のお父様は人のことをこのように見ているんだ!」
多くの人が経験しているのではないでしょうか。
だからといって、問題が解決するわけではありませんが。

「そのような努力は決して無駄になりません。神は皆さんをご存じです。」

もう一度、子育てをしたいです。
たくさんの後悔があるからです。
それと同時に、人生の中でもっとも楽しいひと時でした。

この世ではもう無理みたいなので、来世を楽しみにします。
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総大会より 1月17日

2025-01-17 06:01:26 | 総大会
「幼い子供や特別な必要を抱えた子供の親御さんにとっては、聖餐会中に静かに深く考える時間を散るのは難しいかもしれません」
(喜びの教会へようこそ キアロン長老)

多くの人がその時期を経験していると思います。
わたしも経験しました。

経験のある人は、優しく、笑って、受け入れられると思います。
「わたしもそうだったんですよ。
だから心配しなくても大丈夫!」
たぶん、そう伝えたいですよね。

「天の御父は皆さんの奮闘を御覧になり,皆さんの祈りを聞いておられます。
また,皆さんの努力を理解しておられます。
人生がつむじ風のように目まぐるしく感じられるとき,あるいは教会に来るのが難しいときであっても,皆さんが教会に来て聖餐を取るときに,御父は祝福してくださいます。」

わたしもそう思います。
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