風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

優しい光と風のうた

2007年07月11日 23時56分04秒 | エッセイ、随筆、小説


 

生き抜いてきて、ありがとう・・・・・


母のようなその人は、私を変えた。

そばにいるだけで、語らうだけで、思いやるだけで、

なにもしなくても、きっと、あなたは私を変えたでしょう。

そして、それを私は誇らしく、恥ずかしく、照れくさく思う。

 

世界を、人生を、ばら色に染めあげる愛情深い人。

ほっとさせてくれる人。

淹れたてのコーヒーの香りが朝を知らせ、

それからまもなく、今日もあなたが生きていることを確認する。

おはよう・・・・・・とどこにでもある朝の挨拶が、

ありがとう・・・・・に変わる。

生きていてくれるだけでいい。

たとえ会えなくても。

同じ空の下で深呼吸をして、月や星を眺めて、

お互いを想う。

素敵ね、魂の情交みたいで。



だからなのかしら、
この世界に、同じ傷を背負った者と出会ったとき、

その傷の大きさも、深さも、刻み方も、血の色も

その流れ具合までが見通せてしまう。



見えない血をどれだけ流してきたのだろう?

なぜ、もっとはやく、お会いできなかったのだろう?

その血はもう止まったのだろうか?

もう二度と、流れることはないのだろうか?

あなたの魂を鎮めることはできるだろうか?



私はあなたを母のように慕いながら、

私の娘のように心配でたまらない。愛しくてたまらない。

今は希求した愛情を手にできているのだろうか?

愛情は足りているのだろうか?

配れるほどの愛情は私もまだ持っていないけど、

あなたのためになら、探すことも、生み出すことも、なんでも・・・



いやね、月のない夜なのに、空には黄金色の光が舞っている。

外は雨が降っているというのに、光に満ちている。

きっとそれはあなたの仕業ね。それとも、私たちのいたずらかしら?


源氏山からなのか、

それとも鎌倉山なのか、

それとも別の山なのか、


私の瞳を閉じるとき、ふとあなたの人生が浮かんでは消える。


私が、あなたとの遠い日に思いを馳せるとき、

たぶん・・・・・・そんな予感がするのよ。


私はあなたの母であり、

私はあなたの父であり、

私はあなたの娘であり、

息子であり、

そして、あなたは私のすべてであったのだと。



また、生まれてきてくれてありがとう。

私を探してくれて、ありがとう。

かくれんぼしてたみたいね、私たち。

私を、あなたを、引き合わせたすべてに、ありがとう。

心を込めて、そう伝えたい。ありがとう・・・・・・と。





深い河、インドの風に吹かれて

2007年07月11日 22時43分04秒 | エッセイ、随筆、小説

 

両手で抱えるほどの大きな樹も

最初は小さな苗なのだ

高い建物だって

細かな土の積み重ねだし

千里の道も一歩からはじまる


すぐれたリーダーとなる人は

小さいものごとが大きくなるという過程を理解している

何かに注力するのではないけれど

見守って育てていくことが大切
切だと考えている

老子より 





去年、インドへ一ヶ月滞在したときに

持ち帰れなかった荷物の一部がようやく届いた。

見ず知らずの空港職員が困っている私へ助け舟を出してくれた。

同胞であるはずの日本人は、持込重量も知らないのか、と

怪訝な表情を浮かべる人もいれば、裏技を教えてくれる人もいた。

インドらしい・・・・・・と思った。

なにが、どこが、そう私に思わせたのかはわらかないけれど、

インドらしい。何もかもが。すべてが。

噴出してしまうくらい、インドらしくて可笑しくて・・・・・・

 

私が外国へ行くとき、その土地の風に吹かれなければ、

風がすべてを運び、教授し、その国を伝えているのだと信じている。

風は、乾きや潤いや嘆きや喜びまで、運んでしまい、

ときに、疲れた旅人の私を困惑させたりもする。

けれど、風に吹かれれば、その国がわかる。

よくきたね、と出迎えてくれるものもあれば、

なぜ来た?と追い返すものまで多岐にわたる。

 

黒髪の一本一本を丁寧に揺らすとき、

恋人がそうするように、自然に手を伸ばしてくるように陶酔する。

 

作家、遠藤周作が描いた深い河はそのもののインドが目前にあり、

天国も地獄も遠い未来の、死の、その先の出来事ではなく、

それが生きることだと知った。

だからこそ、生き抜くことの意味に触れた気がした。

自然が迎えにくるまで、どんな苦痛にも、苦難にも、耐えてみせよう。

 

帰国すると私は、日本の風に吹かれた。

死を遠ざける日本の風は、生そのものが幻想にみえた。

まやかしにみえた。


人間の内側にも風は吹いている。

ただし、その風の存在にはまだ多くの人は気付いていない。

 


風からの教授

2007年07月11日 18時54分32秒 | エッセイ、随筆、小説

 

なんかね、潮風が効く体質ってあるらしいよ。

それはなにげない友人との世間話の中から突如飛び出してきた、

予言にも似た処方だった。

確か、自然療養の種類を検索していたとき、

「クリマセラピー(気候療法)」という初めて耳にする言葉と、

外国の海のようなどこまでも透き通るマリンブルーのカタログを、

南房総のあるカフェでみつけた。

そのSEA BLUEは海外のものではく、

南房総の色彩だと表紙には説明書きされていた。

その色彩にも、そのデザインにも、療法にも、

予言が予言そのものではなくなる予感や確信や手ごたえを覚えた。

 

過ぎ去った夏の余韻など見つけることのできない海岸は、

白い貝殻でできた砂浜だった。

押し寄せたり引いたりする波音だけが響く静寂の海岸は、

物悲しくあり、悲哀でもあり、けれど、母のような温かさを常に感じた。

だからか私はひとり膝を抱えて緋色の夕日を

ぼんやりと眺めていることが好きだった。

朝礼で、体育の時間で、避難訓練の、動作が遅いと怒られるときのように、

膝と股の間には隙間などつくらず、小さく背中を丸めて、緋色に染まる。

それと一体になる。

風に吹かれる。

そうしてじっと、私は自然になろうとしていた。

それは生でも、死でも、どのような種類の自然でもよかった。

 

交通事故によって負った不具合は、想像以上に私の心身を破壊し、

いつもなら、優しい横顔で私の経過に一喜一憂してくれる主治医が、

機会を見計らったように呟いた。

 

僕たちが生きている時間ではおそらく、自然治癒以外の方法での完治は無理だ。

見込めないとか、確立とか、他の方法で、言葉を選ぶ余裕はないのか?

私は無理とか、仕方ないとかいう類の言葉が大嫌いで、

閉じ込めていたものをすべて吐き出すように拒否反応が起きた。

それを見計らう機会は今じゃない、と言いかけてやめた。



医師も必死なのだろう。

彼の無精髭をみつけるたび、それがすべてを物語る。

けれどね、医師になった以上、感性が鈍ってしまったら、

治せるものも見落としてしまう。

医療が患者を生み出していく様を、私は患者となった自分を通して、

嫌というほど突きつけられてきた。

疾患との日々が、眺めるだけの天井が、美しい裸体のような装丁の本が

大切な存在を教えてくれた。

それは、私の傍らにある、自然との共生だった。その処方だった。

 

自分でも驚くほど、自分が自分ではなくなっていった。

すべてにおいて受容など安易なことではないのに、

それがこと障害となると道のりは険しい。

死が敗北だと考えがちな西洋医学のように、

私もそれを受容したらどうなるのだろう。

どうなるのだろう・・・・・と何度も考えるうち、

頭の中がぐるぐると壊れた洗濯機になった。

水が飛散ってしまうため、周囲を、自分をも傷付ける。


もう十分考えたから・・・・・・と自分なりの結論を出して

ただ、自然を見つめることだけに没頭した。

それが、私の生きる道なのだもの。





もういい・・・・・・

過去を振り返ることも、未来に不安を覚えることにも飽きて

自然だけを、今を、みつめよう。

 

南房総に移住した友人はことあるごとに、私の悩みなんてさ、と言う。

ほうれん草に虫がついたとか、トマトの糖度が低いとか、

わかめをもらい過ぎたとか、

東京で、女経営者でバリバリ仕事していたときが幻想だったような、

嘘みたいに、

なんだかあったかい悩みなんだよね・・・・・としみじみ言う。

 

潮も潮風も体にいいらしいから、入っておいでよ。

すこしぐらい冷たくても、波が荒くても、大丈夫だから。

海に浸かっておいで、という。

健康になりたいなら、言うことを聞きなさい。

なんだかこの人、お母さんみたいだと思った。

心の中でそう思いながら、私の愛情の欠如を、母との確執を、

このお母さんが弱っている私を引き受けてくれているのだと思った。

しぶといんだから、さらわれたりしないよ。

私と同じ匂いのする人間は大丈夫。


私はお母さんに言われるとおり、海のお風呂に浸かって、

海底の足に伝わる感触や、さざ波の振動や、

色彩を何層にも重ねる海原の中で、わんわんと泣いた。

声を出して泣いた。

大人なのに泣いた。

確かに感じたの。子宮に戻された感覚が。

スキップをしながら帰ったら、そのお母さんは言った。

今日の晩御飯は、海のご馳走よ!って。

 

私は快方へ向かっている。

軽率に完治などという言葉や、

健康のすべてを取り戻したなんてことは言わない。

いいや、私の性格を考慮すると、言えない。

それは、そこには他者の人生が密接に関与するためだ。

これからも、3年、

いや、5年程度の経過観察を主治医に付き合ってもらい、

その中でこれ以上の悪化は加齢にも影響されない、と

お墨付きをもらったとき、

自分でもそれを体現したときで、

私は言おう。胸を張って、治ったよ、と。

それまでは、この難病について、特に公の民としての私見など

私は述べるつもりはない。述べられないといった方が正解だろう。

 

けれど、許してもらおう、この程度の感情の吐露は。

春先のポピーたちや、

木々や、

波間の輝きや、

朝日の眩しさや、

緋色の色彩や

潮の匂いや、

地平線の空の色や、

海の、すべてを許す寛容さや怖さや、

体を丸めてじっと風に吹かれていると、

自然が痛みをさらっていったんだと気付く。

自然を理解することは、自分を、他人を、

この広大な宇宙を理解することを意味する。

だから、ここにいると、この土地の風に吹かれると、

あったかい悩みしか近づいてこないのだろう。

私にはそれが、今なら痛いほどわかる。

 


風と雨の音と戯れ

2007年07月11日 15時36分45秒 | エッセイ、随筆、小説

 

茶のかほり漂う午後は、雨の音までもが贅沢で、優雅で、

緩やかな時間だけが漂う。

茶屋で母が買ってきた水出し用の茶葉と、

父の友人がつくったすこし右に傾いている香炉へ

茶匙一杯だけの贅沢な香をゆらせる。

江戸から継承された蝋の灯りは、ゆらゆらとして、

現代をまるであざ笑うかのように、静かに舞う。

どうしてこんなにも早い速度で、

生きることがよしとされてしまったのだろう?

それはいつからなのだろう?

なせ人はそれに、疑問を抱けなくなってしまったのだろう?

だから、壊れていく自分にも、気付けなくなっているというのに。

ふと、自分のそれを思うと、

私はかめ(亀に失礼 笑)以上に遅く、

そして、その速度の中でしか生きて行けない。

そんなに急いで、行く先も、行く必要も持ち合わせていないから。
 

友人からの返信がないので不明だが、

GET HERE というタイトルが付けられたピアノメロディは、

おそらく彼が作曲したのだろう。今日で3日目になる。

私の部屋で、朝も昼も夜もずっと流れたままで、

壊れたレコーダーのように、繰り返されている。

研ぎ澄まされた感性が織り成すメロディは、

カリフォルニアの空の下で、

燦燦と降り注ぐ太陽や誘惑の月光や

波との戯れの中で誕生したのだろう。

あなたという存在や内包がよりすくすく育まれたことを

音を聴いているだけで、伝わってきたから。



それが心に入り込んだり、出たり、

目の前で戯れたり、どこかで佇んだり・・・・・・

このピアノソロへの誘いのまま、

その世界へ吸い込まれていくと、

世界が、大きくみえたり、小さくみえたりしながら、

私が生きている今を、時代を、抱き締めたくなる心境になる。

 

これ以上、雨音に酔いしれる前に、

予定とおり、銀座の店でみつけた麻布でできた日傘を見にいこう。

そのグラデーションが、

海や空の境界のように曖昧な一瞬をとらえた色彩だったから、

私は呼ばれてしまったみたいなの。

私を連れてって。あなたのそばに置いてって。

すこしだけの贅沢を今夏は許してもらおう。

暗闇と闘ってきた自分に、その日々に。

 

湿った風、漂う茶のかほりが江戸の時間の存在を知らせる。

ほら、すぐそこに、目の前に・・・・・・