私は障害の痛みというものを、心臓が生を維持するための動きを
私たちの意思ではどうにもできない領域であるように、無意識で繰り返すように、
24時間激痛と不具合と闘ってきた。
それと友達になろうと努力してきたが、なかなか友達になどなれそうにない激しさだった。
主訴は頭痛と頚椎痛であり(もちろん他にもいっぱい、不具合のオンパレード)、
頚椎に関しては自分の頭を支えられず、
かといって、横になっても多少の負荷がかかるためか、軽減する頭痛とは比例せず、
その痛みに首を切り落としたいほどだった。
首を切られるとどうなるのだろうか・・・・・・と日本の残酷写真史(別途記述します)を見て
日本や世界が行ってきた悲惨な現実、人間という本質を考える傍ら、自分の首のことを思った。
そんな痛みから一瞬でも気を紛らすために、といって友人にmixiを薦められた。
そこなら私(友人はそれがPCデビュー)でも簡単に写真UPまで出来たし、
日記として、記録として、自分流にアレンジして、書くことに専念してみたら、と。
どれだけ自分が書けるかを試してみてもいいし、知ることも、その内容の方向性や種類や
原理・法則を自分で確認してみたら・・・・・・・
ふう~ん・・・・・・という狐使いにでもあったような感覚で、でも、楽しそう、という安易な気持ちで
友人の指示に従い登録を済ませた。
そこで田口ランディさんのブログと出会い、
ランディさんがお薦めする柳原和子さんの 著書「百万回の永訣」の存在を知った。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031632863&Action_id=121&Sza_id=G3
私の伯母が私の交通事故と同時期に癌の再発を繰り返していた。
野菜つくりや長野のおやきを日本全国に普及させる活動をしたり、ブルーベリーを栽培したり、
その傍らで物書きを得意としていた伯母は、自分の最期があとわずかだと気付いたのか、
一冊の本を自費出版している。
当時、いいや、つい最近まで長時間の移動は体調を悪化させるとの理由から、
私はお見舞いにも通夜にも告別式にも出席できなかった。
それは、去年94歳で亡くなった大好きな祖母や叔父のそれにも、
私は自宅でひっそりと涙を流す結果となり、
自分の疾患の重篤さと情けなさを同時にかみ締めていた。
田口ランディさんの公式ブログから連載している雑誌の存在を知った。
ランディさん自身のブログでも、医療にも触れているので、ぜひご一読ください。
「しょうがない」というタイトルの原爆投下における久間発言については、
ぜひ、今夏、私たちの世代が真剣に考えるテーマではないか、そう思えてならなのです。
今のじわじわと迫り来る変化によって、自分の子供や孫や愛する人たちを戦地へ送ることは
私にはできない。
国家のため、正義などと無垢な人々を陶酔させる時代は、もうあのときだけで十分だ。
国家とは?
正義とは?
そうした美辞に隠された現実は、悲惨で悲しい。
最近では、イラクをみていればよくわかる。
田口ランディさんなど素敵な方々が文章を掲載・連載している雑誌、「風の旅人」。
私はその雑誌を説明するに至る表現力を持っていないので、
雑誌なのだけど、雑誌ではない。(才能のなさをさらしているみたい・・・)
感銘を受ける言葉、写真から、視覚から入力する言葉を自分の内側の勧請と織り合い、
何かが生まれる瞬間をお楽しみください。
どちらが縦糸で、どちらが横糸などそんなことは関係なく、
そこからの感応から芸術という作品を紡ぎだしたご自身を、誇らしく思うことでしょう。
私などのレベルではご紹介が足りません。
ぜひ、皆さんがお確かめになる機会を、そのお時間を頂戴できれば光栄に思います。
私が天井を見つめている時間、いつも傍にいてくださった本、雑誌です。
深慮も激励も、それによって私は自分の運命を乗り越えようとしてきました。
あらためて御礼申し上げます。ありがとうございます。(届けばいいなぁ・・・)
また、私が交通事故後からドクターショッピングを繰り返す事態に陥ったとき、
参考にさせていただいたのは、癌を宣告された方々のそれでした。
ですから、柳原和子さんの作品は、私という患者自身の立ち位置を変えました。
私の現主治医との友好な関係は、その書籍がなければ成立も構築もできなかったでしょう。
田口ランディさん公式ブログ
http://<WBR>runday<WBR>.exblo<WBR>g.jp/
風の旅人 ホームページ
http://<WBR>www.ka<WBR>zetabi<WBR>.com/