風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

徒付く風

2007年07月13日 14時33分54秒 | エッセイ、随筆、小説


 

自分の顔、

痩せた自分を鏡に映すとき、私はふと遊郭を思い出した。

その理由は不明なのだが、吉原か、人形町か、それとも木場なのか・・・・・



なぜ、そのような話をするのかというと、

もし、過去に生きていた時代があったならば、という不確かな確信の中で、

その気配が今でも私を取り巻いているのではないか、

ふとした瞬間に、痩せた自分の裸身を鏡に映す何気ない日常の動作の中に、

その匂いを嗅いでしまうためではないか、と思う。


なんとなく感じられる様子は、重要なメッセージをそこに秘めていたりする。

肌襦袢を纏っていると、

腰紐を締めていると、

人差し指で紅を指していると、

遠い日をそれでも懐かしむ自分を自分がどこかで眺めている視線に誘われ、

縁という存在の不思議の、

解釈のつかない、

訝しさや、

怪しさや、

懐かしさや、

尊さが、

白肌の上を行き来する。



今、私たちの頬を撫でる、髪を揺らす、この風は、

いつの時代から届くものなのだろうか。

星の光沢と同様、そこには実際とは相違する時差があると私は思いたい。

昔、私が生きていた時代、そこからの風に、今吹かれているのだ、と。



風にも浮気心があるのか、

風鈴の音色を今日は一度も聞いていない。

それとも私には、その音色よりも先に聴覚を擽る響きや振動が強すぎるのか。


寄りておとなひけれど音なし。





風の追窮

2007年07月13日 09時40分06秒 | エッセイ、随筆、小説

 

天才とはな・・・・・携帯電話の着信ボタンを押すと、

3年もの間、駄々をこねていたあの友禅染師からの連絡だった。

いつものこととはいえ、前置きがない。

それなのに、繊細な絵柄の、色彩の着物を仕上げる。



演説がはじまる。

長くても30分以内でお願いします、と私は言った。

今はいい調子で筆が進むので、それ以上、他で体力を消耗すると、

その手がぴたりととまってしまうためだ。

彼は職業柄、嫌というほど経験してきているのですんなり理解してくれる。



演説は幕をあける。



天才とはな、際限なく苦痛に耐える能力を言うんだ。

今日の(7/12付)読売新聞社説に掲載されているから、

それを理解できるまで読め。

いいな、新聞が手元にないなら、自分で買いにいける体調じゃないなら、

親父にでもお袋にでも行ってもらえ。存分甘えろ。

こないだと言っていることが違うじゃないか・・・と思ったものの、

自分で行けます、と言って演説の続きを待ちわびた。


渡米して頑張っているイチロー選手のことみたいですね、と言うと

そのとおり、たぶん、イチローのことを言っているんだ、と染師も唸る。


人間とはな、棲む水が違うんだよ、魚と同じように。

山のきれいな水でしか生きられないやつもいれば、

急流で、

川でも海のすぐ近くで、とか、

池や湖、

そして、広大な海だ。

その海の中にあって、深海でしか生息できないやつも、さまざまだ。

けれど、人間には理想があるから、欲があるから、

なかなか魚のようにはうまくいかない。

生息地を自ら見つけられなかったり、生息地の違う者と衝突を起したり。

けれど、人間にも合う水と合わない水がある。

場所と時期もある。

自分の思ったものとは違う釣れた(人生)魚に文句を言うことは、

自分へ、自分の人生へ、自分の実力へその言葉を投げているに等しい。

だから、考えることを停止させてはならない。

苦しくても考えるんだ。

考えていればいつか自分を納得させる答えを自分が見つけてくる。

大事にしろ。



今回の演説は予定より12分早めに切り上げられた。

水とは、天才とはとしばし独語したあと、

自分への力の入れ方やひとり転びせぬ生き方を、

その方法の教授だと演説を理解した。



演説への返信は自筆での手紙になって久しい。

うまい言葉がみつからない。

素直に、その教授を言葉にしようといくら考えても浮かばない。

銀座の伊東屋で便箋を選び、私の下手な文字を綴るだけで格好がつかない。



空でも眺めよう。

不確かなことをどこまでも押し極める道を、

きっと風が運んできてくれるだろう。

租借するだけで私の人生が終わりそうだ。

それも人生だ。

それを引き受けるしか、他に術はない。




風の御召

2007年07月13日 07時30分02秒 | エッセイ、随筆、小説



私は障害の痛みというものを、心臓が生を維持するための動きを

私たちの意思ではどうにもできない領域であるように、無意識で繰り返すように、

24時間激痛と不具合と闘ってきた。

それと友達になろうと努力してきたが、なかなか友達になどなれそうにない激しさだった。

主訴は頭痛と頚椎痛であり(もちろん他にもいっぱい、不具合のオンパレード)、

頚椎に関しては自分の頭を支えられず、

かといって、横になっても多少の負荷がかかるためか、軽減する頭痛とは比例せず、

その痛みに首を切り落としたいほどだった。

首を切られるとどうなるのだろうか・・・・・・と日本の残酷写真史(別途記述します)を見て

日本や世界が行ってきた悲惨な現実、人間という本質を考える傍ら、自分の首のことを思った。


そんな痛みから一瞬でも気を紛らすために、といって友人にmixiを薦められた。

そこなら私(友人はそれがPCデビュー)でも簡単に写真UPまで出来たし、

日記として、記録として、自分流にアレンジして、書くことに専念してみたら、と。

どれだけ自分が書けるかを試してみてもいいし、知ることも、その内容の方向性や種類や

原理・法則を自分で確認してみたら・・・・・・・


ふう~ん・・・・・・という狐使いにでもあったような感覚で、でも、楽しそう、という安易な気持ちで

友人の指示に従い登録を済ませた。



そこで田口ランディさんのブログと出会い、

ランディさんがお薦めする柳原和子さんの 著書「百万回の永訣」の存在を知った。

http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031632863&Action_id=121&Sza_id=G3


私の伯母が私の交通事故と同時期に癌の再発を繰り返していた。

野菜つくりや長野のおやきを日本全国に普及させる活動をしたり、ブルーベリーを栽培したり、

その傍らで物書きを得意としていた伯母は、自分の最期があとわずかだと気付いたのか、

一冊の本を自費出版している。

当時、いいや、つい最近まで長時間の移動は体調を悪化させるとの理由から、

私はお見舞いにも通夜にも告別式にも出席できなかった。

それは、去年94歳で亡くなった大好きな祖母や叔父のそれにも、

私は自宅でひっそりと涙を流す結果となり、

自分の疾患の重篤さと情けなさを同時にかみ締めていた。



田口ランディさんの公式ブログから連載している雑誌の存在を知った。 

ランディさん自身のブログでも、医療にも触れているので、ぜひご一読ください。

「しょうがない」というタイトルの原爆投下における久間発言については、

ぜひ、今夏、私たちの世代が真剣に考えるテーマではないか、そう思えてならなのです。

今のじわじわと迫り来る変化によって、自分の子供や孫や愛する人たちを戦地へ送ることは

私にはできない。

国家のため、正義などと無垢な人々を陶酔させる時代は、もうあのときだけで十分だ。


国家とは?

正義とは?

そうした美辞に隠された現実は、悲惨で悲しい。

最近では、イラクをみていればよくわかる。


田口ランディさんなど素敵な方々が文章を掲載・連載している雑誌、「風の旅人」。

私はその雑誌を説明するに至る表現力を持っていないので、

雑誌なのだけど、雑誌ではない。(才能のなさをさらしているみたい・・・)

感銘を受ける言葉、写真から、視覚から入力する言葉を自分の内側の勧請と織り合い、

何かが生まれる瞬間をお楽しみください。

どちらが縦糸で、どちらが横糸などそんなことは関係なく、

そこからの感応から芸術という作品を紡ぎだしたご自身を、誇らしく思うことでしょう。 



私などのレベルではご紹介が足りません。

ぜひ、皆さんがお確かめになる機会を、そのお時間を頂戴できれば光栄に思います。



私が天井を見つめている時間、いつも傍にいてくださった本、雑誌です。

深慮も激励も、それによって私は自分の運命を乗り越えようとしてきました。


あらためて御礼申し上げます。ありがとうございます。(届けばいいなぁ・・・)



また、私が交通事故後からドクターショッピングを繰り返す事態に陥ったとき、

参考にさせていただいたのは、癌を宣告された方々のそれでした。

ですから、柳原和子さんの作品は、私という患者自身の立ち位置を変えました。

私の現主治医との友好な関係は、その書籍がなければ成立も構築もできなかったでしょう。



田口ランディさん公式ブログ

http://<WBR>runday<WBR>.exblo<WBR>g.jp/


風の旅人 ホームページ

http://<WBR>www.ka<WBR>zetabi<WBR>.com/