「じいちゃんとばあちゃんでお弁当を交互につくってもらえる?」
そういうと、一番鈍感であるはずの父が、
「入院でもするのか?」と言った。
「アメリカの病院を視察したいのと今後の仕事のためのライセンス取得と、
療養のために、日本から離れてみたいの。
現地には弁護士もセラピストも医師の友人もいるから、
私にとっては最強なんだけど・・・・・・」
母は押し黙っていた。
24歳で余命1ヵ月を宣告さてた癌患者の女性の一生を
テレビでは放送していた。
母はそれを見入った振りをして、私の話など聞こえない振りを決め込む。
けれど、家族でも理解できない病状に、多少の理解を示した瞬間を意味する。
長野に母方の家が2軒ある。
そこに手を加えれば自然の中で療養ができると思うんだけど・・・と父。
食料も生活のすべてを車で行き来しなければならないことは、
私には無理だと思う、と返答。
今だけではなく、今後も、車とは無縁で生きていきたいと希望しているの。
突然のめまいで、また被害者になるのも、加害者に転じるのも、
もう懲り懲りだから。
今度何かあったときは、確実に娘を路頭に迷わすことになる。
だから、私は、私の責任として、それを彼女の人生の試練として
授けることは母親としてできない。
さすがに、最低2ヶ月・・・・・・とは言えなかったので、
たぶん・・・・・・1ヵ月程度、とだけ言葉を濁す。
資金は?
機内での気圧は?
飛行機に乗ったこともない父が心臓を押さえるときは、
心配をしているんだぞ、という合図だ。
両手で心臓を押さえて、自分で自分の心臓を蘇生しているらしい。
それを横目で確認した母は、
そんなことをしなくても心臓は動いているから大丈夫と、父を諭す。
そろそろ安心させてくれよ・・・と父は哀願するように私へ言う。
私はといえば、どんなことがあっても生き抜いてみせるから、
最後のわがままだと思って、勘弁してね、と楽観。
笑顔もいつもより数倍、頬を緩ませたものを浮かべ。
さすがにエコノミーでは・・・・・・と値段を調べた。
あまりにも高額ならともかく、多少の金額差でビジネスへ移行できるのなら
私はビジネスで行きたい。
すると、それを提案してくれる会社が名乗りをあげてくれた。
本格的に米国へ行く日程が決まれば、航空券は投資しますから、と。
金曜日は娘の学校の面談を申し入れていて、その旨を担任にも相談する。
担任も大病をしているため、私のことはいつも気にかけてくれていた。
両親をはじめたくさんの方々の手を借り実行される今回の留学は、
身が引き締まる思いと共に、
今まで苦しんできた甘露にも、
挑戦への第一歩にも、私の結晶として、長年の夢を果たしてみたいと思う。
時熟なのだろう。
失われた時間を取り戻すのではなく自分の速度で歩く道を
自分なりに模索できたら・・・・・と希望する。
本当になんとお礼を伝えればいいものか。
今は気の利いた言葉が思い浮かばないけれど、
米国でも日本でも多くの人に助力いただける私は、
本当に、誰よりも、親不孝者であり、友人不幸ものであり、
それなのに、幸せ者だ。
ありがとう。
どうしても土曜日のことが頭から離れない。
それは医師に会えなかったことだ。
診察受付終了時間まで20分も猶予があり、
電子受付欄には、脳神経外科の再診に、彼の名前はあった。
だから、私はそれをいつものように押した。
いつもなら右手なのに荷物が多かったから、
その日は左手だった。
それがいけなかったのだろうか・・・・・・
たかが点滴だ。
けれど、その二日前、私は嚥下障害の疑いが生じて、
薬のあの小さな粒が飲み込めないことを話した。
3日で5kg体重が急激に落ちたことも話した。
主治医も慌てていた。
だから、処方されているメイラックス1mgを自分の心身の状況を優先して
使用方法に従わなくていい、とまで言ったのだ。
増やさない限り、減らすように、と。
その日、看護師には点滴に通う旨、その了解を得た。
私が抱えている疾患について、
私の場合は特に体力の低下が悪化へと密着することを経験している。
だから、第二週に外来に出る主治医の予定を詳細に聞き、
午前11時から午後12時までの時間に外来へ出ること、
当日の朝だって、
事務方へ変更や急患や緊急手術のない旨を確認して病院へむかった。
あの、おっちゃんのタクシーを自宅まで呼んで。
看護師からの説明は二転三転するばかりか、
体力がないために通常の待合室では、健常者(付き添い人)が
私が寝ている椅子を蹴飛ばしたり、揺らしたりすることが苦痛なため、
処置室で休ませてもらえることをつい最近、偶然に知り、
同じように、当然のように、処置室へ向かった。
若くてかわいい一生懸命な看護師が「使用しますが・・・」と言った。
はじめは「2番・3番ベッドなら大丈夫」と言っておきながら、
「そこはやっぱりダメ」と言って、
結果、私は自分の持参したフリースの毛布に包まって、
処置室内の付き添い人が待つ長いすをベッドかわりに横になったのだ。
それも、誰かが指示してくれたわけでもなく、
誰かがここしか・・・・・・と謝罪してくれたわけでもなく、
「ここで横になります!!」と私が私の居場所を見つけて横になった。
「先生の診察は終了しているの」という看護師。
けれど、受付時間はその時点でも過ぎていない。
「今、お見えになるから、ここで待っていてね」と言って
いつもとは違う診察室内のベッドで待たされることに。
すぐさま「こちらへ」と案内されたのは脳神経外科の診察室内で
私が入室すると内鍵をかける金属音がした。
点滴の準備を始める旨の説明を受け、
私は主治医がその間に様子を聞きにくるのだと、
てっきり決め付けていた。
それは甘かった。
院内携帯でも連絡は入らず、私はひとりぼっちで病院の天井を眺めた。
何箇所かの染みが怪獣にみえたり、雲にみえたりしながら、
どういうことだ? と払拭できない疑問を抱える結果になったのだ。
「先生にお会いしたかったのね・・・」
年配の看護師が点滴の針を刺す箇所を探している際、声をかけてくれた。
私は言った。
「はい、あいびきですから」と。
ここに主治医がどのように関与しているのかは不明だが、
私は風邪ではない。
障害者手帳の申請を済ませた、そういった疾患を抱えた患者だ。
病院へ行きたくない。
来週、主治医とはどんな顔をして会えばいいのかわからないからだ。
どうですか? と聞かれたとき、
どうもこうもない!!と思いをぶちまけてしまう自分が想像できるし、
主治医に距離感を置いた冷めた目でみてしまう自分も想像できる。
手紙を書こう。
あの日、雨の中、私は主治医へ渡す手荷物を持参していた。
そのときは季節の葉書に一行だけ感謝の気持ちを綴るもので済ませたが、
今後はそうはいかない。
世の中が静かに治まらなければ・・・・・・
それは特に医療現場には急務なのだ。
彼らの感性を取り戻すためには、
今、何が欠如して、何を補えば、感性が取り戻せるのだろう・・・・・
人間にはこころっつーもんがあるからなぁ~
それを大事にせにゃ、あかん
どう考えても、日本も他多くの国も男社会だ。
他の国はさておき、女性が自立し、ひとりで子供を産み、育て、働くのは、容易ではない。
なぁ~、お嬢さん、そうだろう?
ひとりで子供を産む覚悟は、そりゃ俺らでは真似できないことだ。
男は女によって生まれ変わる。
また、女も男によって生まれ変わるもんだ。
なぁ、お嬢さん?
まだ若い。これからがあるお人だ。
自分の人生を大切に、そして、社会に役立つ起業を実現させなさい。
それがお嬢さんの役割だ。
約束とはいわん。
が、それをみたいと魅力を感じた女には男はどうしても思ってしまうもんだ。
男って単純だろう?
男なんて、ちっぽけなもんさ。
男は女から生まれてきた事実を覆せないから、えばってみたりするけど、
所詮、女には敵わないとどこかでわかっているんだよ・・・・・・
男の美学。
男っていいですね・・・・・・と素直に私は言葉へ変えた。
私の本心だからだ。
女が惚れる男ではなく、男が惚れる男って、粋でいなせで格好いい。
揺ぎ無い哲学を持ち、わかりずらい優しさを備え、繊細さと大胆さが表裏一体だ。
お金の大切さも認め、お金では買えないものの存在も知っている。
偉そうなことを言っても、所詮、男なんてちっぽけだ。
なぁ、お嬢さん、そう思うだろう?
私の目前にいる、手のかかる男たちが愛しくてたまらない。
物言わずとも察し、場の雰囲気を読み、打ち解ける男たち。
今夜は、男の美学に大いに嫉妬した自分がいた。